第48話 旅行前に年上お姉さん士官へ説教
「はぁ……やっと文明社会に戻ってきた……」
「お疲れ様です神谷少将」
「速水少尉もお疲れ様。今回は久しぶりの連勤だったし、ちょっと手こずったね」
統合本部指令室の綺麗なフロアマットを踏んで、ようやく戻ってきたことを実感する。
俺が夏期休暇に入った途端に、連日任務で世界各地を飛び回る生活だった。
人使いが荒いったらない。
「ご苦労だったな神谷少将」
「あ、橘元帥どうも。お疲れ様です」
俺は、少々おざなりな敬礼で返す。
今回は大規模作戦がいくつも絡んでたから、元帥も指令室で直接状況確認をしてたのか。
「神谷少将、いつも言っているが元帥閣下へ不敬な態度を」
「任務明けなんでご容赦ください。あ、戦闘服汗臭くないですかね?」
司令室の椅子に座って、苦言を呈してくる元帥の補佐官へ適当な返事を返す。
補佐官は、半長靴についた泥が指令室のフロアマットに落ちているのを見咎めて、眉をひそめる。
軍の中枢でも学園でも腫れ物あつかいは変わらずだが、今の俺はそんな細事は気にしない。
「さぁって、今日から待ちに待った夏期休暇だ。行こう、速水さん」
「はっ!」
そう、今日から夏期休暇。
連日の任務の疲れなんて何のその。
これから飛行機に乗って沖縄旅行だ。
俺はルンルン気分で、橘元帥たちへの挨拶もそこそこに、統合本部内の自分の執務室へ速水さんと一緒に戻った。
さて、汗と泥に塗れた戦闘服や半長靴から着替えてシャワーを浴びて……
と、今後の段取りを頭の中で組みつつ、ふと執務室の壁に掛かった時計を見て驚愕した。
「え……10時00分……え⁉ 飛行機の搭乗開始時刻10分前じゃん!」
俺は、頭の中の整理が追いつかない。
「あ、あれ? 速水さん。10時00分って、昨日の10時00分? それとも、まだ前夜の方の10時00分かな?」
速水さんに問いかけた俺の声は震えていた。
やっちまった……という焦燥から、顔から血の気が引いて冷や汗が止まらない。
「まごう事なき沖縄合宿旅行当日の10時00分ですね」
「ノォォォォォォォォォォ‼」
俺は頭を抱えてその場にうずくまって、ダンゴ虫になった。
「世界各地を転戦したせいで、時計の時差による時刻設定が追いつかなかったせいですね。私が迂闊でした」
「いや、速水さんのせいじゃないよ」
装備品の腕時計は、敵にキャッチされるのを恐れて電波時計ではないので、手動による時刻設定なのだ。
世界各地を転戦する度に現地時間に合わせた設定をしていたので、日本の現地時刻というものを全然確認してなかった。
まずい、これじゃあ……
「速水さん。ちょっと頼みが……」
「それは駄目ですよ神谷少将」
不思議と、この状況でも落ち着いている速水さんが、ニッコリと微笑みながら拒否の意志を示す。
「まだ何も言ってないじゃん!」
「私の転移術式で、空港まで行こうと言いたかったんでしょう?」
「ぎくっ……」
「私の転移術式は、原則として上層部の許可が必要です」
「学園の部室に侵入する時や、俺の体調不良の時に自宅に送り届ける時に使ってたじゃない」
「あれは、神谷少将の貞操の危機や体調不良といった、至急対応が必要な場合に該当します」
速水さんが、まるで事前に準備してきたとばかりに、俺の抗議の声を撥ね退ける。
「どちらにせよ、この格好では空港のセキュリティ的に確実にアウトですよ」
「それは……たしかに……」
俺は、自身の戦闘服へ目線を落とす。
ガチの迷彩柄の戦闘服なんて、確実に旅客機には搭乗不可だろう。
泥と汗にまみれて不衛生だし。
「とりあえずシャワーを浴びてきてください神谷少将。まずは、そこからです」
「……わかった。5分で出てくる!」
俺は、ササッと着替えを持って執務室にあるシャワールームへ急いだ。
「まだ速水さんは戻らないのか……」
俺が手早くシャワを終えて着替えて出てくると、速水さんは執務室にはいなかった。
おそらく女性士官用のシャワールームを使っているのだろう。
女の人のシャワーや身支度は時間がかかる。
しかし流石に、同じくジャングルを駆けずり回った速水さんに、シャワー無しで転移術式を行使させるというのも酷な話だしな。
なんてヤキモキしながら待っていたが、すでに壁の時計は、飛行機に乗るには絶望的な時刻となっていた。
駄目だ……もう間に合わない。
俺は、ミーナに遅れるから先に行ってくれと、スマホでメッセージを送っておいた。
「少将お待たせしました」
連絡を入れて凹んでいると、速水さんが執務室に戻ってきた。
戻ってきた速水さんは、俺と同じく戦闘服から旅行用の私服に着替えて来ていた。
黒のワンピースに白キャップを合わせて、足元はスニーカーという、旅行での移動が苦にならない機能性を重視しつつ、キチンと綺麗目お姉さんを演出できる見事なファッションだった。
黒のワンピースは動きやすくするためかスリットがちょっと深めで、スラッとした足が見え隠れするのに少しドキッとさせられる。
「う、うん。いや、大丈夫。それよりも旅行のスケジュールについてだけど……」
速水さんの私服姿に見とれていたのを慌てて誤魔化しつつ、俺は旅行のことについて話し合った。
「それならご心配なく。既に代わりのチケットを手配いたしました」
「お~、さすが速水さん」
この人は、秘書官としては本当に優秀だな。
俺がシャワーを浴びている間に、迅速に対応してくれたんだな。
あれ?
けど、そうすると、なんで速水さんは飛行機の出発時間についての時刻確認をしなかったんだろう……
いや、ミスはどんな人にでもあり得るし、そのミスをどうリカバリーするかが重要なんだから、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「お褒めにあずかり恐縮です。ただ、やはり沖縄のハイシーズンであるため、空いている便が翌日の朝一の便でビジネスシートしか確保できませんでした」
「そっか……」
そうなると、ミーナたちと合流できるのは2日目からか。
皆には、本当に迷惑かけちゃうな……
「そ、それで少将。これは、て……提案なのですが」
「何だい?」
意気消沈している俺に、ちょっと声を裏返しながら速水さんが提案があると言ったので、訊ね返す。
「折角、旅の支度も出来ていますし、このまま空港近くのホテルに一泊するのはいかがでしょうか? すでに部屋は押さえました」
「なるほど、前泊みたいなものか。端から、任務明けに直で空港に向かうつもりだったから、スーツケースは手元にあるしね」
夏季休暇は既に始まっているのだ
軍に強制徴兵された頃から、初めて取得できた夏季休暇の初日を、無為に過ごすのは嫌だ。
そして何より、統合本部の中でいつまでもウロウロしていると、ヒマだと思われて、別の仕事が降りかかってくるのが目に見えているので、一刻も早くこの場を離れたい。
ホテルに荷物を置いてゆっくり任務の疲れを癒すというのも、休暇の過ごし方として悪くない。
「じゃあ行」
『神谷せんぱ~い。何してるんですか?』
俺が、速水さんの提案に乗ろうとした矢先、脳内に声が響いた。
『ゲッ! これは……』
『周防妹の魂装、エスピオによる内心への語り掛けですマスター』
『ゲッてなんですか、失礼ですね』
内心に語り掛けてきたのは、当然ながら真凛ちゃんだった。
こんな芸当、彼女しか出来ないし。
『ゴメンね。仕事で飛行機の時間に間に合わなくて』
『それは構いませんよ。だって、神谷先輩と速水先生なら、飛行機を使わなくても沖縄に来れるでしょう? 何なら、先回りすら可能なはずです』
当然でしょ? とでも言いたげな声で、真凛ちゃんが答える。
『……当然、速水さんの魂装能力も真凛ちゃんは把握してるか』
『ええ。なので、旅行の計画は変更の必要はありませんよね』
向こうの顔は見えないが、きっと真凛ちゃんは笑顔で圧を掛けてきている感じだろう。
『ごめん、真凛ちゃん。速水さんの次元転移術式は、軍の上層部に無許可で使用できないんだ』
『それなら心配無用です。私のエスピオの力でいくらでも証拠は握りつぶします』
サラッと怖い事を言うな……この子は。
『マスター、ここは彼女の言を信用して良いかと。彼女の魂魄の力について開示を受けましたが、人間側の探知技術程度、エスピオの力があればどうとでも改竄や抹消は可能でしょう』
『あら、コン様。お口添えありがとうございますわ』
『随分、真凛ちゃんの肩を持つじゃんコン』
『こちらの旗下に加わった戦力を客観的に分析、評価したまでです。彼女は非常に優秀です』
すました声でコンが答える。
『はぁああぁぁコン様しゅてき……!しゅき……』
(ビターーーンッ‼)
え⁉ なになに何なの⁉
突然、俺でもコンでも、真凛ちゃんでもない声と何かが倒れる音が脳内に響いて俺は当惑した。
『こら、エスピオはしたないでしょ。すいません、うちの子が粗相を』
『あ、今の限界オタクみたい声がエスピオなんだ』
『普段は恥ずかしがり屋で、私以外とは会話しないのですが、崇拝しているコン様にお褒めの言葉を頂戴して昇天しかけて、思わず声が漏れてしまったようです。ほら、エスピオ、しっかりなさい』
ペチペチと何やら頬を叩いているような音だけが脳内に届く。
向こうの効果音も届くんだな。
っていうか、コンの奴、解ってて敢えて褒め殺しみたいなこと言ったな。
相変わらず食えない奴だ。
『さて、エスピオが起きないので、用件を手短に。神谷先輩と速水先生が来てくれないと、私たちの沖縄旅行の1日目は、割と台無しになります』
『そんな大袈裟な……俺たちがいなくたって楽しめるよ』
『自惚れないでください。ドライバーの速水先生が居ないので、移動手段がなくて困るという意味です。あなたは別にどうでもいいです。っていうか、兄のことを公衆の面前でぶっ飛ばしたの、私は完全には許してませんからね』
『はい……調子乗ってサーセン……』
殺気のこもった真凛ちゃんの言葉に、俺は思わず縮こまる。
『解ったら早く来てくださいね。虎咆先輩も悲しんでますよ』
それを言われると痛い……
ミーナ、飛行機の中で泣いてないといいけど。
『あ、でも、速水さんが翌日の飛行機の便や、前泊用のホテルを予約してくれたんだよね。当日キャンセルだからお金がかかっちゃうな』
『あ、そこに罪悪感を感じる必要は無いですよ。今回、神谷先輩たちが飛行機の便に間に合わないように、時計の時刻設定を狂わせたのは、速水先生の故意ですから』
キャンセル料について思い至って躊躇する俺に、真凛ちゃんが事もなげに衝撃の事実を述べる。
『え⁉ でも、なんで、故意だって言いきれるの? ミスは誰にでもあるんだし……』
『飛行機の便も、前泊用のホテルの予約もかなり前からされてますよ。計画的な犯行ですね』
『マジか……』
『女の人って、こっちの目をまっすぐ見ながらウソをつくから怖いですよね~』
『速水さんめ……』
故意による不作為とは……
これは上官としてお灸を据えねばならないな……
『それでは、お待ちしてま~す』
そう言って、真凛ちゃんとの接続が切れた。
「どうしました少将? 急に黙り込んで」
内心での対話が終わり意識を眼前に戻すと、目の前に、フンスカと鼻息の荒い速水さんの顔があった。
「そうだね、俺は少将だね。速水さんは少尉で、俺は君の上官だ」
「……はい? それはもちろんです」
突然、脈絡なく階級の話をし出した俺に、速水さんはアレ? という顔をする。
「今は2人とも休暇中だけど、ここは統合本部の執務室内。ギリギリ、まだ上官と部下の関係が生きていると解釈できる」
「はぁ……」
雲行きが何やら怪しくなってきたことを、速水さんも感じ取ったようだ。
先程の浮かれ気分はどこへやらで、被っていたキャップを脱いで姿勢を正す。
「これから質問することに正直に答えろ、速水まどか少尉。虚偽は認めん」
俺は、あえて将官の威容を以って、速水さんの尋問に臨んだ。
「は……はっ!」
速水さんも状況を悟ったのか、その声は半泣きだった。
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