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第43話 脱がせて

「ね……眠い……」


 俺はふらついて蛇行しかける足を何とか奮い立たせつつ、学園の廊下を歩いていた。


 試験1日目は無事に終了した。


鬼門である古典の試験は何とか終わったが、問題を解いている途中にも関わらず、眠気で意識が飛びかけていた。


 一晩徹夜するくらいなら大してダメージは無いのだが、テスト期間中の連日の睡眠不足で蓄積していた睡眠負債が、昨晩の徹夜により、とうとう決壊したようだ。


 疲れている。

 疲れ切っている。


 このまま直ぐに泥のように寝たいが、とても一人で無事に自宅まで帰り着けそうにない……


 電車に乗って座ったら、確実に終点まで寝てしまう自信がある……


 それに、まだテストは明日も実施されるのだ。


 一番の山場である古典は越えたが、他の教科だって別に余裕で高得点が取れるというほど仕上がってはいないのだから、きちんと総ざらいの勉強をする必要がある。


「一杯いっとくか」


 俺は、ミーナからもらった方の、強めの滋養強壮ドリンクのフタを開けて一気に飲み干す。


 良薬口に苦しで、思わず「うえ……」と声が出てしまう。


「神谷少将、お疲れ様です。大丈夫ですか?」

「あ……速水さん。お疲れ」


 学園の中では少将呼びは駄目と注意しなければならないが、最早、お決まりのやり取りをする気力すら湧かない。


「大丈夫ですか? かなり辛そうですが」

「うん、昨夜の徹夜が響いてね……速水さんは大丈夫?」


「私は今日は試験監督だけですから何とか。ただ、生徒を前に欠伸をかみ殺すのは骨が折れました」


 と速水さんが笑って答えた。


 士官だと、部下の前で弱ってる所を見せる訳に行かないからな。

 やせ我慢するのも大変だ。


「じゃあ、俺は帰るね。お疲れさまでした」

「神谷少将、ちょっとこちらに来てください」


「なに?」


 速水さんが、周囲をキョロキョロと見回して誰も見ていないか確認すると、こちらにと手招きする。


 俺が、特に考えなしに速水さんに近づくと、速水さんは俺の腕を掴むと


「転移術式展開」


 一瞬で自宅の玄関内に、俺と速水さんが立っていた。


「ちょ……! 任務外で術式使うのは……」


 俺は、速水さんの行いを咎めようとしたが、


「今のは、神谷少将の身の安全のための非常時対応に該当しますので、自身の判断で行う案件であると判断しました。不適当であったというならば、罰をお与えください」


 良い意味で開き直った感じで、ビシッと屹立しながら速水さんが答える。


「……別に罰するとかは考えてないよ。ありがと速水さん」

「滅相もありません!」


 正直、助かった。


 公共交通機関で帰るのはかなりしんどかったから、一瞬で自宅のベッドに辿りつけるなんてありがたい。


 靴が学校で使う上履きのままだが、そんな物は、明日持っていけばよいのだ。


「あれ……なんだろ。自宅に辿り着いて安心したせいかな……何かクラクラする……」


「だ、大丈夫ですか⁉ 神谷少将」


「ちょっと、大丈夫じゃないかも……」


 俺は玄関でうずくまってしまう。

 何だか身体全体が火照って熱い……


「私がお運びします」


「え、そんな悪い……」


 悪いから大丈夫だと言おうとした所で、俺の身体がグイッ! と持ち上げられたかと思うと、気付いたら速水さんの肩に担がれていた。


 ファイヤーマンズキャリーという、災害時に担架が無くても、大の大人を一人で担ぎ上げて搬送する徒手搬送法だ。


 お姫様抱っこは流石に無理だよな……いや、やって欲しい訳じゃないけど……


 と詮無きことを考えている内に、あっという間にリビングのソファへ寝かされる。


「ありがと、速水さん……すごい手慣れた搬送だったね……」

「戦場で、負傷者を運ぶ際によくやっていましたから」


 理知的で本部の後方支援勤めのエリート女性士官然とした速水さんだが、その実は、しっかり現場で兵としての経験を積んでいるんだという事が垣間見えた。


「体調はどうですか?」


「何だか胸の辺りが苦しくて……」

「胸が……」


 苦しいので、制服のワイシャツのボタンを外そうとするのだが、意識が朦朧としていて、上手くボタンが外せない。


「速水さん……」


「は、はい……」



「脱がせて……」



「⁉⁉⁉⁉」



 速水さんのゴクリッ! と、生唾を飲み込む音が、静かなリビングに響いた。


「よ……よ……よろしいの……ですか?」


 震える声で問いかける速水さんに、



「うん……いい……よ……」



俺は力なく答えた。

 すでに息も絶え絶えだ。


「で、では……」


 意を決したように、速水さんが俺のワイシャツのボタンに、震える手を伸ばす。


「ハァ……! ハァ……‼」


 何だか、俺よりも速水さんの方が荒い息遣いだ。


「ん……ちょっと苦し……」

「す、すいません! 下手くそで……」


 速水さんは慌てて手を引っ込めて、うろたえる。

 そんな、おっかなびっくりじゃ、いつまでもワイシャツのボタンが取れない。


「大丈夫だよ……痛くないから……速水さんの思う通りにやってみて……」


 俺は、ソファの上で、気だるく重い腕を上げて、バンザイの姿勢になる。


 端から見ると、全面降伏。

または、赤子が母親を全面的に信頼している時のような無防備さだ。


「あ……あ……」



 速水さんが、まるで花の甘い香りに誘われる蝶のように、フラフラと俺の胸元に手を伸ばし、何度か失敗しながらも、無事に想いを遂げる。



「ありがと……楽になったよ……」

「ど、ど、ど、ど……どういた……まして……」


 ワイシャツの前が開けて、少し呼吸がしやすくなる。


「ぐ……いざという時にヘタレるなんて……私の意気地なし……でも、弱っているユウ様に付け込むのも……」


「え……速水さん、下唇から血が出てるよ」

「……乾燥しているからです」


「いや、今は夏だから、どっちかというと今はジメジメの季節……」

「いいえ、断じてカラカラです」


 速水さんがより一層下唇を噛み締めてしまったので、さらに血が流れてきた。

 やっぱり速水さんも、昨晩の徹夜の疲れが尾を引いているのだろうか。


「ありがとう速水さん……はぁ……」


「まだ、呼吸が苦しそうですね神谷少将」

「そうだね……こんな症状、初めてだ……」


 これは、何だ。


 まさか、魂装能力の暴走の前兆とかじゃ……


『とんだ言いがかりです。誠に遺憾ですマスター』


 どうやら違うらしい。

 コンが、即刻否定してきた。


『ご自身の行動を鑑みれば、すぐに原因には検討がつきそうなものですがね』


 なんだろう……ボーッとして、ちっとも頭が働かない。

 さっきのワイシャツのボタンを外すやり取りで、残っていた体力を使い果たした感じだ。


「あ! そう言えば、私、良い物を持っているんでした」


 速水さんがガサゴソとポケットをまさぐる。


「これ、咳止め用のクリームです。メンソール系で胸に塗るとスッとしますよ。赤ちゃん用なので、お肌にも優しいです」


 なんで、速水さんは持っているアイテムが全て赤ちゃん用なの?

という至極真っ当な疑問が浮かぶが、今の俺につっこむ力なんて残っていない。


「そう……じゃあ、お願い……」



「……それは、私が神谷少将の肌に触れると……」

「うん……よろしく」


「いや、これは医療行為……断じて医療行為で……落ち着け私……」


 またしても、ブツブツと速水さんが独り言を言っているのが聞こえる。

 塗るなら、早く塗ってくれないだろうか……


「よ、よし……いきますよ」


 速水さんは覚悟を決めたように、ソファに寝ている俺の上に馬乗りのような体勢につく。


 そして、チューブから、トロリと粘度高めのジェルを自身の手に一度経由させてから、ワイシャツがはだけた俺の胸元にタラリと垂れ落として




「ユウ君いる⁉ もう帰って来て……る……」


 ここで、突然我が家のリビングに入って来たミーナから見えている状況を確認してみよう。


 制服のワイシャツを大きくはだけさせて、生気なくソファに横たわる生徒の上に馬乗りになり、トロリとした液体を垂らしている艶めかしい表情をした女教師。




「「「…………」」」




 誰も声を発しない無音の世界では、冷蔵庫の稼働音が聞こえるほどであった。


次回、修羅場。


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