第38話 テスト勉強って始めるまでが大変
梅雨がもうすぐ終わるかという7月初旬の金曜日。
雨は降っていないまでも、ドンヨリと曇った空模様と同じ、陰鬱な行事がやってきた。
「再来週からテスト週間です。それに先立ち、来週から、部活動はテスト期間終了まで活動できませんので注意してください」
クラス担任の速水さんが帰りのホームルームで、事務連絡を告げる。
「うへぇ……」
俺はテストと呼べる物を、ここ数年受けて来なかった。
本来なら、少将なんて地位に就くなら、みっちり士官学校に通い、幹部学校を出て、さらに昇進の度に、研修の受講して、それに付随して試験の類を突破していく必要があるのだが、俺は野戦昇進なので受けたことがなかった。
戦場を離れて1年間幹部学校に通うとかしてみたかったのだが、今まさにその弊害が出ているとも言える。
「まずいな……」
俺の不安材料は、一般教養科目だ。
魂装関連の実習科目や専門科目は、まだ1学年ということもあり、試験範囲の内容は基礎的なものだったため、何の問題もない。
ただ、国語や数学と言った、いわゆる普通科の高校生が学ぶような科目については、正直言ってヤバい。
戦場を渡り歩いていた頃に、軍の上層部も流石にマズいと思ったのか、年齢相応の教科書が俺には届けられていたのだが、しょっちゅう爆撃なりで荷物が置かれた宿営地が吹き飛ばされるなどして、満足に読めてはいなかった。
「トシにぃに戦場の青空教室で授業してもらってたのが懐かしいな……今は、流石に忙しそうだったから無理か」
またトシにぃとWeb通話で話したいけど、勉強教えてって俺がお願いしても無言切りされそう。
そんな風に一人考えていると、
「ユウ様」
「学園では、神谷君でしょ。速水センセ」
速水さんが俺に話しかけてきた。
俺は、頬杖をついていた姿勢を正しながら、速水さんに一生徒としての態度で向き直る。
「失礼しました。神谷君、何か困りごとですか?」
放課後に、いつもと違い席に座って黄昏れていた俺に、速水さんが担任教官として孤立気味な生徒に声を掛けるという体で俺に話しかけてくる。
「テストをどうしようかなって思ってまして」
「それでは、補習をしましょうか。放課後に2人きりで」
「え? そんな悪いですよ。わざわざ個別授業なんて」
「いえ、頑張る生徒のために努めるは教育者として当然です。ジュルッ」
「ヨダレ出てるよ速水先生」
教師の皮が最後までもたない人である。
「でも、真面目な話、テストはどうするんです?」
「まぁ、リアルな話すると、一般科目は再試験かも……」
俺は憂鬱な顔で嘆く。
「それはいけません! 少将である貴方が追試を受けるだなんて! こうなったら、私が一般科目の担当教官の机からテストの答案を」
「ちょ! そんなデカい声でヤバい不正の話しないでよ速水先生! あと少将言わないで!」
不正をするならコッソリやってくれ!
俺は何も知りません。秘書が勝手にやったことです!
「何を教室で大声出してるのよ」
「やべ! 教室にまだ人が……って、なんだミーナか」
「学園では虎咆2学年筆頭って呼ぶって言ったでしょ」
「あ~、ごめんごめん」
速水さんに注意しておいて、自分はこれである。
しかし、いつも帰る時は昇降口玄関で待ち合わせなのに、今日はわざわざ1学年の教室まで来てくれたんだ。
「あら? 虎咆さん。随分と大荷物ね」
見ると、ミーナは学生カバンの他に、肩に大きめのトートバッグをかけていた。
「部室にしばらく入れないから、荷物を一旦引き上げてきました」
速水さんの問いかけに、ミーナが事務的に答える。
「トートバッグからはみ出ている猫じゃらしは何に使うんでしょうね?」
「速水先生も、部室にあるガラガラとかの1歳児用おもちゃ片付けておいてくださいよ。あれこそ何に使ってるんだか」
どうやら速水さんとミーナは、お互い相手の性癖については、表層のみしか知らないようだ。
「あ~、そう言えばテスト期間中は部室に出入りできないのか」
「そうよ。だから、ファミレスに行きましょ」
「う……ファミレスという単語を聞いただけで、すでにお腹いっぱいに……」
この間の、ミーナの食いしばきの事が脳裏に蘇る。
いくら食べ盛りの高校生とは言え、流石にあの量は異常だった。
「今度は、ちゃんと適正量にするわよ。満腹じゃ、まともに勉強なんて出来ないから」
「あ、ファミレスで勉強するってことか」
「そうよ。ユウ君の勉強は私が見てあげる。去年の過去問もあるわよ」
「ミーナ先生大好き!」
「ムフフ……じゃあ、行こうかユウ君」
ニチャっとした笑みを浮かべながら、ミーナは俺の腕を抱き込む。
「……2人きりで行くのですか?」
速水さんがジトッとした目をミーナに向ける。
「放課後は服務外なので、上官と言えど、答える義務はないで~す♪」
「その挑発したような態度が答えですか……」
「なんですか~? まさかお仕事を早退してファミレスになんて行く訳ないですよね~? このテスト週間前の大事な時期に」
「ぐぬ……」
「新任の速水先生はご存知ないかもしれませんが、このテスト週間前の時期は、放課後にも教官室の前には質問をする生徒の列が出来るんですよ~」
「そうなんだ」
「ぐぬぬ……」
速水さんも、一応表向きは学園の教官なわけで、当然受け持ちの生徒が何人もいる。
特に、速水さんが担当している魂装教科は、今後の自分の将来を左右するものだから特に皆、熱心だしな。
「じゃあ、そういうことで~ ユウ君のことは私に任せてくださ~い♪」
「俺ばっかりに構うと、他の生徒に悪いから、勉強はミーナに見てもらうね。じゃあ、速水先生、質問対応頑張ってね」
「んぎりいぃぃぃ!」
速水さんの奥歯が軋む音を背中に、俺とミーナは教室を後にした。
「甘いわね、小娘……私を挑発したことを後悔なさい……」
去り際に、怨嗟のこもった速水さんの声が聞こえた気がしたが、俺は聞こえなかったふりをした。
◇◇◇◆◇◇◇
「な・ん・で、アンタ達がいるの!」
ファミレスの中にミーナの声がこだまする。
俺とミーナがファミレスに入ると、そこには見慣れたメンツが既にボックス席に座っていて、手を振って来たのだ。
「速水教官から、神谷の勉強の面倒を見るようにと指示連絡があってな」
周防先輩はそう言って、ブレンドコーヒーのカップを傾ける。
「私の所には、2人きりになるから邪魔してこいってストレートな指示連絡が速水教官から」
琴美が、スマホの画面をミーナに見せる。
「あんの年増がぁぁあああ!」
ミーナがテーブルに拳を振り下ろして、ワナワナと怒りに震えている。
速水さんとミーナの対立を見ていると、残念ながらやっぱり世の中から戦争や諍いはなくならないんだなと俺は思った。
「ユウったら、こういうテスト勉強なら同学年で首席の私に頼るのが筋じゃない?」
ぶすくれている琴美だが、今はそれよりも一同、琴美のことで気になる点があった。
「ちょっと火之浦さん。あなた、その大事そうに腕の中に抱えている縫いぐるみ。ひょっとして……」
そう。
琴美は、この間、俺の家に来た時にあげた縫いぐるみを抱えていた。
正直、持ち運ぶような大きさの縫いぐるみではないのだが……
「ああ、この子はユウからのプレゼントです。可愛いでしょ?」
「……その縫いぐるみ、今すぐユウ君に返しなさい」
「嫌です!この子はもう、うちの子です」
そう言って、ギュッと球体キャラの縫いぐるみを抱きすくめる。
琴美は小柄で幼い容姿だから、高校の制服を着ているのに、割としっくりくる絵面だった。
「ミーナ、これは俺が本当に琴美にプレ」
「『これ』じゃなくて『この子』って言ってユウ! この子は私の大事な家族なんだから!」
「お……おう……」
よく解らないが、縫いぐるみ愛好家的にはよろしくなかったらしく、琴美に怒られた
まあ、これだけ琴美に愛してもらえるなら、この縫いぐ……もとい、この子も幸せだろう。
「だって、それは……」
ミーナも琴美の気迫に気圧されているが、それでも何やら歯切れ悪くだが抗議をしようとするが、
「これ以上、この子について文句を言うなら私にも考えがあるんですよ。いいんですか虎咆先輩? ユウが居ない間に、この子に何してたか私、解ってるんですよ」
ビクッ! と、ミーナが肩を震わせて、ダラダラと汗をかき始めた。
ファミレスの中は、ちょっと涼し過ぎる位に空調が効いているのだが。
「にゃ……にゃんのことかな~?」
「私が魂装能力の関係上、匂いに敏感なの知ってますよね? だから、この子に付着した虎咆先輩の体え」
「うわぁああああ! わぁああああ! わぁああああ! 解りました! その子は火之浦さんの子です! 異論ございません!」
ミーナが両の手をブンブン振りながら、琴美の言葉をかき消す。
「ちょっと、ミーナ。他のお客さんもいるんだから、うるさくしちゃダメだよ。って、汗が凄いよミーナ」
「ハァハァ……ごめん。ちょっと、取り乱しちゃって」
汗を拭いながら、荒く呼吸をしているミーナを尻目に、琴美は何故か勝ち誇った顔をして縫いぐるみの頭をナデナデしていた。
「なぁ、勉強しようぜ」
周防先輩の一言により、俺たちはようやく本来の目的を思い出したのであった。
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