第35話 周防先輩の覚悟
「来たか周防。さすが、定刻通りだな」
放課後。
以前と同じ実習準備室で待ち構えていた進藤教官が、ほくそ笑む。
今日は進藤教官が指定していた、定期報告の日だ。
「首尾はどうだ?」
「この通り……」
周防が小脇に挟んだ封筒からファイルを取り出すと、進藤はニンマリと笑みをたたえる。
「よくやった。早速見せてみろ」
「報告の前に一つ良いですか?」
ファイルを渡すよう伸びた進藤の手に、ファイルを渡すのではなく、周防はファイルを脇に戻す。
「なんだ?」
お預けを食らった進藤の声には、わずかに苛立ちが混ざる。
「神谷へのスパイ行為は、一体どう、この国のためになるんです?」
「任務の内容を詮索する間者を私は好かんな、周防」
相変わらずの貼り付けたようなアルカイックスマイルで、進藤は返答を拒絶する。
「物言わず黙って汚れ仕事をこなすことが出来るのは、使命感と言う背骨があってこそです」
「くどいぞ周防」
進藤は不快感を露わにした表情と口調を周防に向け、威圧することで、無理やりに場の空気を支配しにかかる。
「私に大義をお与えください! それならば……」
「くどいと言っている!」
ついには激高の声を上げた進藤に、周防の顔が歪む。
と、歪んだ後にサッと周防から表情が抜け落ちると、
「クハハハハッ!」
「な、なんだ周防。気でも触れたか」
突然、高らかに笑い出した周防に、先ほどまで激高していた進藤も、思わずたじろぐ。
「いや、何か私のような若輩者が考えも及ばない、壮大な裏があるのかと思ったのですが、今回の件については、やはり大層な物が裏に隠れていたという訳ではないということが解ったので」
「な……」
「わざわざ回りくどく裏を読み過ぎた自分が滑稽でおかしくて、笑ってしまいました。そうか……そうなんですね……」
笑い過ぎたせいなのか、周防は目尻の涙を拭う。
「……最後のチャンスだったのだがな。どうやら、お前には荷が重かったようだな」
最早、関わり合いになる価値もないと判じたためか、進藤は背広の襟を正すと実習準備室を後にしようとする。
「あ、進藤教官。まだ、こちらの用が済んでおりません」
「平静な目を持たぬ間者の報告書など使えん。不用だ。その報告書も、お前もな」
なおも穏やかに笑う周防に、進藤は徐々に薄気味悪ささを感じるようになっていた。
「いえ、私はすこぶる冷静ですよ。それに、貴方にとっても重要な事です。先日、学園への通報窓口制度を使って、今回のことを洗いざらいフォームメールを送りました」
それを聞いて、進藤は鼻で嗤う。
「なんだ、そんな話か。それで私が、動揺すると思ったか」
「怖くはないのですか? 学園長に直接、通報が上がるのですよ」
「あんな制度が、本当にお題目通りに機能している訳が無いだろうが。中途で握りつぶされているに決まっているだろ。そもそもの前提条件を見誤っている所は、所詮はガキだな」
切り札のように捨て身の策を弄した周防を、進藤は嘲り笑う。
「では、学園長の元には情報は届いていないと……」
「ああ。まぁ、あんな現場で地面を這いずり回っていたジジイなんぞ、どうとでも丸め込めるしな」
「ああ……」
「お前のやったことは未遂とはいえ、派閥への明確な敵対行為だ。お前はもちろん、妹共々、地獄へ送ってやるからな」
そう捨て台詞を残し、実習準備室のドアを背にして立っている周防の横を、進藤は肩をぶつけるようにして通り過ぎた。
(ガラッ)
「おや、進藤先生。生徒に指導中でしたかな? これは失礼」
「ああ、これは学園長先生。いえいえ、大丈夫ですよ」
実習準備室を出る寸前に、ドアから高見学園長が入ってきたため、瞬時に進藤は教官としての皮を被る。
「いやはや、進藤教官は民間企業体の御出身ながら、指導にも熱心で感心ですな。生徒たちからの評判も良いと聞きますぞ」
「いえいえ、そんな。私、かつては教育業界にもおりましたので、その知見が学園に活かされればと、日々邁進しておるだけです」
如才なく話しながら、進藤は内心で少し焦っていた。
この場に高見学園長が来るなんて、全くの想定外だ。
今の追い詰められた周防は、平静さを大いに欠いているため、学園長へ直訴することも考えられた。
学園長と話をしながら、後ろにいる周防の様子をチラリと見るが、周防は平然としている。
ここで、初めて進藤は大きな違和感を感じた。
周防はなぜ、こんなにも落ち着いている?
先程、最後の切り札も意味が無いと思い知らされ、絶望しきっていてもおかしくないのに、このどこか余裕が感じられる佇まいはなんだ?
まるで、既に結末を知っている映画を観ているかのような……
「時に、進藤先生。先日、面白い話を聞きましてな」
「はい、なんでしょう?」
呑気に世間話を始めた高見学園長に、内心で舌打ちをしつつ進藤は適当に相槌を打つ。
「神谷少将を嗅ぎまわっている連中が学園内にいるそうなのだ」
「そ、そうでしたね。そう言えば、つい先日も教官の何人かが急に来なくなりましたね」
戒厳令がしかれた神谷少将の情報について、すぐに動いて自身の派閥に情報を持ち帰れば捕捉されると考え、進藤は動かなかった。
結果を見れば、進藤の想定した通りで、不用意に動いた者たちが案の定、巣ごと一網打尽にされた。
「ハハハッ、そいつらもそうだが、賢いネズミは用心深くて叶わん。飛び切りのエサを設置しても、中々食いつかん」
「そ、そうですね」
「そして奴らも手段を選ばず、学園の生徒まで駒として利用し始めた」
「…………」
進藤の首筋に玉のような汗がつたう。
「さて、もう私が何を言いたいのか解るな? 進藤先生。それとも、現場で地面を這いずり回っていたジジイの説明では解りづらかったかな?」
進藤は、弾かれたように実習準備室のドアではなく、窓ガラスへ疾走し、顔の前で腕をクロスして防御しつつ身体ごと突っ込んだ。
(ガシャーンッ!)
と窓が割れる音がして、進藤教官は屋外へ脱出…………出来なかった。
まるで見えない壁があるように、進藤教官の身体は、実習準備室内に弾き戻された。
窓ガラスの外には、見えない障壁術式が展開されていたのだ。
割れた窓ガラスの破片は外へ飛散せずに、すべて実習室内に落ち、進藤教官には通常ガラスをぶち破った時以上に、ガラスの破片が身体の至る所に食い込んでいる。
「故意の破損だから、窓ガラスの修繕費は全額、進藤先生の負担だな。給料から天引き……いや、それは確か労働基準法上、違反だったか?」
「ぐ……私に手を出せば、私の所属する派閥が黙って……」
障壁への衝突による打撲に喘ぎ、ガラスの破片が突き刺さり出血が痛々しい中、進藤教官は必死に身体を床から起こす。
「ああ、その点は心配ご無用だ。既に軍の特殊作戦群が、お前さんの巣を燻し終わった頃だろう」
「特殊作戦群⁉ たかが学園での産業スパイに毛が生えた程度の私に何故そんな⁉」
「それだけ、あんたは触れてはならんものに触れようとしたということだ。まぁ、お前さんは何も知らずに終わるだろうがな」
「神谷少将……何かあると思ったが、奴はまさか……」
そこで、進藤が何か思い当たったというように呟いた所で、実習準備室のドアが開かれた。
軍の特殊作戦群の隊員が数人ドヤドヤと入ってくると、進藤に大きな麻袋を被せ、手早く担がれて運ばれていった。
見た目は、ただの海外からの輸入穀物が入る大きな麻袋だが、遮音膜が張られているため進藤の怒号も精一杯手足をジタバタさせる音も、静かな校舎には何も響かなかった。
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