第118話 自分をすり減らす子供
「美鈴!」
こちらが気付いた時には、止める間もなく、既に美鈴は炎を上げる建物の中に飛び込んでいた。
慌ててこちらも美鈴に続こうとするが。
「いけませんユウ様! 無闇に火の中に飛び込んだら危険です!」
「離してくれ速水さん! 美鈴が!」
後ろから、慌てたように速水さんに羽交い絞めにされる。
「行くなら私が、空間転移で行きます!」
「それこそ危険だ! マスクもボンベも無いのに入ったら、一息有毒ガスを吸っただけで昏倒する!」
「それはユウ様もでしょ! 冷静になってください!」
速水さんに言われて、俺も少し冷静になる。
『コン、消火は俺達には無理だよな?』
『飽和の力では、酸素濃度を上げて、より炎を元気よく燃え盛らせるか、非燃性の気体で空間を満たして消火は出来るが、中にいる人間が死ぬかのどちらかしか出来ません』
『ったく、本当に小回りの利かない能力だよ!』
俺はボヤキつつ、現況をどうするか頭を巡らせる。
どうする……
名取さんに防御障壁を俺の周りに展開してもらうか?
けど、動いている対象に障壁術式を掛けるのは、かなりの高等技術で、魂装能力のかなりのリソースを割かれると聞く。
隣接建物の延焼を食い止めてもらっている現況で、それは悪手か……
「ほほいのほいっとな。神谷殿、この家の間取りをちょちょいと不動産屋のサーバからハッキングして取得したでござるよ」
俺が何もできていない中、桐ケ谷ドクターは冷静に有益な行動を取っていた。
さすがは、腐っても一所属の長である。
「ありがとう桐ケ谷ドクター! こうなったら正攻法で行くしかない! 桐ケ谷ドクター、今着てる白衣貸して!」
「イエッサー」
桐ケ谷ドクターから渡された白衣をひったくるように受け取ると、隣接建物の水まき用と思しき蛇口で白衣をぐっしょりと濡らす。
「後はこう!」
そう言って、その辺にあったバケツに水を貯めたのを、あたまからバシャーン! と被る。
「ユウ様! おやめください、危険です!」
「美鈴という重要人物をここで喪う訳にはいかない! これは、俺の判断だ!」
「く……了解しました」
職権を振りかざして速水さんを黙らせ、俺は口元を濡らしたハンカチで覆う。
煙は、俺たちが現場に到着した時より、さらに勢いを増している。
俺は、大きく息を吸い込む。
『突入!』
心の中で自分に気合を入れ、燃える建物の入り口へ俺は突進していく。
(ガチャリ)
「あ、祐輔」
「ほわ⁉」
突入しようとしたドアが突如開き、美鈴が顔を覗かせ、俺は慌てて急停止する。
「美鈴⁉ とりあえず、もっと離れるぞ!」
「うん」
俺は美鈴を抱え上げると、ダッシュで火災現場から離れる。
安全な皆の居る所まで移動して、美鈴を下ろすと、玄関ドアが開いて酸素を取り込んだこともあってか、より火の勢いが増していた。
「もう、さすがに再突入は無理だな」
「うん大丈夫。逃げ遅れてたのはこの子だけだったから」
そう言って、美鈴は腕に抱えた白いモフモフのかたまりを見せる。
怖かったのであろう、プルプルと震える白い毛のモフモフは、スピッツ犬のようだ。
「ハク! ハク!! 良かった……無事で……」
火災の野次馬の中にいた人が、泣き崩れるように地面にへたり込む。
「飼い主さん?」
「はい! ハクを助けていただき、本当にありがとうございます!」
泣き崩れる飼い主さんの腕の中に、美鈴が優しくバトンタッチすると、犬のハクも安心したのか、穏やかな顔になり、号泣する飼い主の頬から流れる涙をペロペロと舌で嘗め回している。
「お手柄だったな美鈴。よく、ペットの犬が逃げ遅れてたって気付いたな」
「3階の窓際に白い動くものがチラッと見えたから」
「建物の中は、炎や煙で捜索は困難だっただろ。どうやって探し当てたんだ?」
「分体を展開した。分体で炎に焼かれながら、建物の中をしらみつぶしに」
美鈴は、火傷もすす汚れも大したことがないようなので、恐らくは分体を使ったのだろうということは想像がついていた。
「そうか。小回りの利く能力だな」
「うん。ただ、疲れたからおんぶ」
「あいよ」
「ユウ様のおんぶ……羨ましい」
速水さんが指を咥えて羨ましそうに見てくるのをよそに、俺は美鈴をおんぶする。
そうこうしている間に、ようやく消防車が現場に到着し、慌ただしく消火ホースなどを準備しだした。
「吾輩と名取氏は、まだ延焼防止のためにここに残るでござるよ。神谷殿たちは、帰るがよろしかろう。美鈴氏のことも、消防に説明しづらいですしな」
たしかに、美鈴が火災現場に飛び込んで云々は、あまり人様言えないし、そこを深堀されると、美鈴の魂装能力について言及せざるを得なくなる可能性がある。
ここは、桐ケ谷ドクターのアドバイス通り、この現場から立ち去った方が良さそうだ。
「わかったよ桐ケ谷ドクター。白衣を駄目にしちゃってゴメンね」
「緊急時だから気にしていないでござる。あ、でも、もう秋の夜だから肌寒くて風邪をひいちゃいそう……クシュン! 名取氏の温もりで、吾輩の身体をあたためて欲しいな~なんて」
「消防士さんと一緒に、火災現場の最前線にでも行って暖をとればいいんじゃないですか」
相変わらずな2人のやりとりに苦笑いしながら、俺は美鈴と速水さんで、火災現場から撤収した。
「なぁ、美鈴。疲れたってことは、結構な人数の分体を生成したのか?」
桐ケ谷ドクターたちと別れたが、まだ場所は繁華街なので、人目につかない所で、速水さんの転移術式を使って帰宅しようということで、俺たちは繁華街のはずれの方へ向けて歩いていた。
そこで、歩きながら背中にいる美鈴に水を向けた。
「数は数人だから大したことない。この疲れは、幻痛」
「幻痛? え……美鈴、お前、分体の痛覚を遮断しなかったのか?」
思いもかけない言葉に、俺は思わず立ち止まる。
「煙と炎の中では視覚が役に立たないから、触覚だけを頼りに探し当てた。故に、痛覚を遮断するわけにいかなかった」
「……それは、自分の身を焼きながら探したってことか?」
「火傷は激しい痛みを伴うけど、火傷を受けた直後なら身体は動かせる。数人分の重度の火傷の痛みの情報が流れ込んできたから、さすがに身体が疲弊した」
「なんて無茶なことをするんだ!」
俺は思わず声を荒げつつ、美鈴を地面に降ろして彼女へ非難の言葉を浴びせかけた。
「……? これが、誰も犠牲を出さずに、あの子を救い出す方法だった」
「犠牲ならなってるだろうが! お前が!」
「ますます解らない。現に、オリジナルの私自身は火傷一つ負っていない。今回は、本体と分体の距離が近かったから、分体を吸収して回収出来て、能力の秘密が衆目に曝されもしなかった」
本当に意味が解らないという顔で俺を見ている美鈴の目に、ふと既視感を覚えた。
そしてなぜ、俺が今、こんなに怒っているのかも。
「美鈴。ここは、もう戦場じゃないんだ。だから、これ以上、自分をすり減らす必要はないんだよ」
背の低い美鈴の目線と同じ高さまで屈んで、彼女を抱きしめる。
「……なんで、怒りながら祐輔の方が泣いてる?」
「あれ……何でだろうな?」
俺は美鈴に指摘されるまで、自分が泣いていることに気付かなかった。
自分自身で、感情の高ぶりに気付かなかったということだ。
「祐輔。いい子いい子」
美鈴がポンポンと、震える俺の背中を優しく叩く。
「おかしいな……俺が美鈴を諫めようとしたのに。逆になっちゃったな」
恥ずかしさと、心地よさが奇妙に同居するフワフワとした不思議な感覚。
ただ、それは嫌なものじゃなかった。
「私の方がお姉さんだから。私を見て、昔を思い出したんでしょ? 泣いていた自分を」
そう言われて、自分の中で合点がいく。
そうか。
俺は、自分の痛みを何てことではないと言っている美鈴を見て、そうやってやせ我慢して戦場を駆っていた頃の少年時代の自分を、無意識に重ねてしまっていたのか。
「うわ……俺、ほんとかっこ悪い」
「んーん。別に格好よくある必要なんてどこにもない」
「ホント、美鈴ってお姉さんなんだな」
「ん。何度も言ってるのに、ようやく気付いたか」
そう言った美鈴の声は、少し弾んでいるように聞こえた。