第115話 あなたが神か?
「あ、結構ですぅ」
ドアを開けて、視界に桐ケ谷ドクターの姿を見とがめた瞬間、俺はそう言って玄関のドアを閉めようとする。
「ちょいちょい! 待たれぃ神谷殿! 吾輩、遠路はるばる沖縄から東京まで来たでござるよ! ちょいと、お家に上げてくんしゃい」
「うち、貧乏でお金何で、何も買えないですから」
「押し売りじゃないで候! 頼むから開けてくれなり~」
閉めようとした玄関ドアの隙間に強引に足をねじ込んできながら、桐ケ谷ドクターが懇願する。
訪問販売だったら、完全にアウトな行動だ。
「桐ケ谷所長、だから言ったじゃないですか。アポなしで休日に訪問するのは非常識だと」
ギャーギャーうるさい桐ケ谷ドクターの後ろには、副官の名取さんもいた。
まぁ、この人が随行しているなら桐ケ谷ドクターも無茶なことはしないだろう。
「あ、名取さん。お久しぶりです。しょうがないですね、どうぞ」
「お邪魔しマッスル~」
俺がドアを抑える手を緩めると、桐ケ谷ドクターはスルリと軟体動物のように玄関をすり抜けて家の中に入り込んでくる。
日頃は研究者として引きこもってるくせに、やけに良い動きをするな。
「おおう! この子が、噂に聞く東方連合国からの、ホムンクルス生成の魂装能力者ですか!」
リビングに入った、桐ケ谷ドクターは早速、お目当てのものに飛びついている。
飛びついているというのは文字通りの意味で、美鈴は桐ケ谷ドクターに全身で絡みつかれて身体をまさぐられている。
「不審者」
言葉の抑揚からは解りづらいが、即座に緊張状態になった美鈴が、5人のホムンクルスを生成する。
「ちょ! 美鈴、服、服! って、急に暗い!」
「はい、ユウ君は見ちゃ駄目だからね」
どうやら急に俺の視界が真っ暗になったのは、ミーナが後ろから俺の目を手で塞いだからなようだ。
いや、そりゃ美鈴のホムンクルス生成能力で生み出された直後の分体は、素っ裸な訳だが。
「ミーナ、今の状況はどうなってるの?」
「分体をペロペロしようとした桐ケ谷ドクターが美鈴の分体5人に床に組み伏されてる。」
「それ、桐ケ谷ドクターは大丈夫なの?」
「組み伏されて苦しそうだけど、それでも分体をペロペロ嘗め回してるから大丈夫だと思う」
ほんと、何しに来たんだよこの人は。
って十中八九、目的は美鈴なんだろうけど。
「
「大丈夫よ美鈴。この人は味方よ。ちょっとファンキーな研究者なだけで」
「そうですよ小娘2号。一応、日本の偉い人なんですよ。これでも」
ミーナと速水さんが、美鈴をなだめる。
まぁ、ファーストコンタクトがこれじゃあ、美鈴が警戒するのは当然っちゃ当然だ。
「美鈴、その人を放してあげて。それか分体に服を着せて。このままだと、俺がまともに話せない」
「……後者の案を採用する」
しばらくバタバタ、ゴソゴソと音がする。
どうやら、美鈴の生成した分体に服を着せているようだ。
しばらくした後、ようやく俺の目元の拘束が解かれて、目の前の状況が解るようになった。
「ムフフフ、これは興味深い、実に興味深いですぞ」
取り合えず、家にある服を着た美鈴の分体を両手に花がごとく抱えて、桐ケ谷ドクターが頬をペロペロしたり身体をまさぐったりしている。
分体の美鈴は死んだ目で、されるがままにしている。
分体にも感情表現ってあるんだな。
「うわ、やってるな」
「桐ケ谷ドクターがこんな変人だとは思わなかった」
「あれ? 美鈴は、桐ケ谷ドクターのことも知ってるんだ」
「当然。東方連合国にとっての最大の難敵だったから」
オリジナルの美鈴が感慨深そうに、自分の分体がなぶり者にされているのを見届ける。
自分が辱められている姿を第三者視点で眺めるって、いったいどんな気分なのだろうか?
「ああ、この人はこれでも世界的な電子魂装学の権威だしね」
「東方連合国がまともに通信網が使えなくなった元凶。けど、電子戦で敗北した祖国の力では、桐ケ谷ドクターには届かなかった。だから、腹いせに戦場の歌姫に私が操縦するミサイルでの攻撃が為された」
「あれって、そういう八つ当たりの精神もあったんだ……」
おかげで全国ツアーが吹っ飛んだミーナは、美鈴の話に少し複雑そうな顔をする。
「虎咆さん。東方連合国国民へ観せる動画の提供ありがとうございます。おかげで、迷惑をかけてしまい申し訳ありませんでした」
「あ、いえ大丈夫ですよ名取さん。私は別に気にしてないので」
俺たちとの会話にはまざらず、フガフガと美鈴を観察し続ける上官に代わって、副官の名取さんがミーナに謝罪する。
「本当にコレは、思いついたアイデアを試さずにはいられなくて。周りはいい迷惑です」
上官をコレ呼ばわり。
相変わらず、名取さんの上官への態度は冷えきっている。
「名取さんも大変ですね。今日は、東京に用事が?」
「ええ。市ヶ谷へ出張です。本当は、明日の移動でも良かったのですが、前乗りして神谷少将に会いたいからと桐ケ谷所長が言って聞かなくて。しかし、いざ、蓋を開けてみれば」
「アハハッ。俺に会いたいってのは建前で、本命は美鈴に会いたかったわけだ」
「だって、まずお見掛けできない超希少な魂装能力者なんですぞ美鈴殿は。吾輩は、軍人である前に研究者な訳ですから、あくなき探求心の前には、出張理由の誤魔化しなんて些末なことでござるよ」
「研究所に帰ったら、サボった分の仕事はそのままに残しておくように言づけてあります。あと、前乗りの宿泊代金は私用扱いで自費ですからね」
「そ、そんなぁ~ 名取氏ぃ~~ 私、今月は私的研究の資材にお金使っちゃって、お財布がピンチなんで候~」
ここで、たまたまお金の話題が出たので、俺は当初話し合っていた内容について思い出す。
「はぁ……俺もお金のことが心配なんですよ桐ケ谷ドクター」
「……お二人とも、地位に見合ったお給金はもらっていないのですか?」
お金のことに悩む、この国の特記戦力の2人を見て、名取さんも不安になったようだ。
「いや、給料としては、ガキが持つには十分な額を貰えてる訳だけど、所詮は公務員だからね。頑張っても、別に給料が増えるわけじゃないし」
「何やら、のっぴきならない状態のようですなぁ~神谷殿。ここは、沖縄国立魂装研究所という、国の一行政機関の運営を切り盛りする、インテリお姉さんな吾輩に相談してみてはいかがかな?」
「日頃、予算会議とか私に丸投げの癖に……」
後ろでボソッと呟く副官の名取さんの声は聞こえていないのか、桐ケ谷ドクターが頼られたい気満々の目で、俺の方を見る。
「はい。実は……」
ウザイが、知恵は少しでも多い方が良いので、悩みの原因である美鈴の膨大な食費による家計破綻について桐ケ谷ドクターに話す。
「ふむ……そもそも、美鈴氏はこの国にとっても重要人物のはず。なら、彼女の食費は、国家予算にて面倒を見るのがそもそもではなかろうか?」
「本来はその通りなんでしょうけど、俺が各方面に無理を言って彼女を引き取った手前、予算要望しづらくて……」
「ナハハッ! 俺様がルールだ! の神谷少将ともあろうお方が、案外、お役所のルールには従順なんでござるな~」
「いや、我がままを通した以上、これ以上は流石に人としてどうなのってのがあってさ……」
「なるほどなるほど。それなら、我に策ありですぞ」
おお! マジか⁉
「美鈴ちゃんに稼いでもらえば良いのですぞ」
「……ミーナ、警察の生活安全課に電話を」
「未遂で緊急じゃないから、最寄りの警察署に直接電話の方がいいかな?」
「ちょ! 待たれい、待たれい! 別に未成年者を使ってアコギなことをしようってんじゃねぇですぜ!」
未成年者を守るのは善良な市民としての義務だ。
ミーナも、迅速に最寄り警察署の電話番号をスマホで検索する。
「じゃあ、何なの?」
「ちょっと美鈴ちゃんに、吾輩の研究の手伝いをしてほしいので候」
「研究……具体的には何するの?」
「美鈴殿の分体を何人か派遣していただきたいのでござるよ。ホムンクルスは、今まで東方連合国がひた隠しにしてきたもの。これを詳らかにするのは、戦略上も重要ですぞ」
「ひどい人体実験をするとかじゃないよね?」
「そういう非道なことは誓ってしないでござるよ」
そこまで説明を聞いたところで、俺は美鈴の方を見やる。
「その条件なら問題ない。この国に匿ってもらう対価として、いずれは研究協力なりはするつもりだった。だが、ペロペロ身体を嘗め回されるのは勘弁してほしい」
美鈴も
「それで、研究に協力した際の報酬は?」
「研究対象である美鈴ちゃんには、吾輩の研究予算から、必要経費として食費が渡せるでござるよ。予算目的の付け替えや、配食の段取りは名取氏に任せるでござる」
そこは相変わらず人任せなんですね、桐ケ谷ドクター。
「しかし、聞くところによると、美鈴さんの食べる量は尋常ではないようですから、何かしらの外部サービスを頼った方が良いですね。具体的には、寮の食堂や社食の調理をする業者と契約する形になりますかね」
上官からの無茶振りは最早日常なのか、文句も言わずにすぐに名取さんは今後の対応案を述べる。
そして、その内容は俺たちにとって僥倖だった。
「え……食費だけじゃなく、調理の手間まで省けるの⁉ ほんとに⁉ 名取さん」
思わず俺は、名取さんの両肩をガッシリと掴み、ミーナと速水さんは期待を抱いた目で名取さんの顔を見つめる。
「どうしたんですか? 顔が近いですよ皆さん」
名取さんは困惑顔だが、これが興奮せずにいられるかってんだ!
経済的な問題だけじゃなく、毎日の調理にかけるリソースまで解決できるだなんて。
貴方が神か?
「良かった……今は私が居るから何とか台所が回ってたけど、私が音楽隊の仕事に出るようになったら、ユウ君と大して料理できない年増だけじゃ作り切れないと思ってたから」
「ミーナ不在の場合、朝の3時から仕込みを開始しなきゃと悲壮な決意をしてたんだよね。良かった……」
「良かった……本当に……」
「皆さん苦労されてたんですね……」
肩を抱き合い、涙ぐむ俺たちを見て、名取さんは若干引いていた
運動部の寮の食堂メシの動画観るの好きです。
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