第108話 少将が愚痴れる相手
「あ、トシにぃ。珍しい。一回目のコールで出てくれるなんて」
「別にたまたま手が空いていただけだ。どうした? 祐輔」
Web通話がつながっているパソコンモニターの向こうで、トシにぃがいつもの面倒くさそうな顔ではなく、キチンとこちらを見てくれている。
「ほんと、どうしたのトシにぃ? 何か良いことでもあった? あ、ついに彼女が出来たとか?」
「……切るぞ」
「ああ、切らないでトシにぃ! 大丈夫、俺も彼女なんて出来てないから!」
相変わらず奥手なトシにぃのことだから、1000パーセントその手はないと解ってたけどね。
「今日は、ちょっと愚痴りたくてさ……こんな事、トシにぃ相手にしか吐き出せないし。ゴメンね、忙しいのに」
「……お前こそ、いつもより殊勝な態度だな。まぁ、今はちょうど手が空いてるからいいぞ。幼年学校での虎咆上等兵のコンサートが急遽中止になったからな」
「ああ、そうなんだ。幼年学校の生徒たちは泣くだろうね」
「まぁな。生徒たちに伝達したら。8割の生徒たちが、集会中にも関わらず、膝から崩れ落ちて泣きじゃくってな」
「ええ……」
まさか、文字通り泣いていたとは。
屈強な筋肉の塊の軍幼年学校の生徒たちが泣き崩れるって、どれだけショックだったんだ。
けど、見事防衛して見せたとはいえ、ミサイルをぶち込まれたのだから、中止はやむなしだろう。
「なにせ、虎咆上等兵がここまで有名になったのも、幼年学校のミスコンのステージがすべての始まりだったからな。思い入れも強くて、半ば娘のような心持らしい」
「今度、ミーナにサインやメッセージを幼年学校に送ってもらうように頼んでおくよ」
「それで、こぼしたい愚痴ってのは何だ?」
「あ~、そうだった。あのさ、トシにぃ」
「うん」
「初めて戦場で人を殺した時の事って憶えてる?」
画面の向こう側のトシにぃが少しの間だけ沈黙する。
「ああ。未だに夢に見る。あの時の風景と火薬の臭い、その瞬間の手の感触までリアルに再現された夢をな」
「そっか……ゴメンね。嫌なことを思い出させて」
「別にかまわん。新兵がよくしてくる相談だから、こっちも慣れてる。しかし、何かあったのか?」
「詳しくは言えないんだけどさ……先日、俺が戦場で殺したことがある人と話す機会があってさ」
「ん? ちょっと、意味がよく解らんが」
俺が殺したことがある人というのは美鈴のことだが、高度な軍事機密のため、詳しくはトシにぃには喋れない。
なので、トシにぃの疑問は無視して、話を進める。
「まぁ、それでさ。その人に聞いてみたんだよ。死ぬ時ってどうなの? やっぱり死ぬほど痛いの?って」
「そしたら?」
「やっぱり死ぬほど痛いんだって」
「……まぁ死ぬんだからそうなんだろうな。というか、祐輔。お前、酒とか飲んでないだろうな? 文化祭の前後は羽目を外し過ぎてアルコールに関する非違事案が増えるが、お前まさか……」
「俺だって将官で注意喚起する側だから知ってるよ。っていうか飲んでないよ。戦場でも飲んでなかったでしょ俺は」
「いや、いつもとあまりにも態度が違うもんでな。酒を飲むと明るくなる奴が多いが、中にはひたすらシンミリする奴もいるから」
俺の周りの大人は、大体はお酒で壊れたオモチャみたいになる人ばかりだからな。
っていうか、話の筋がボケてきた。
「俺ってさ……もう戦場に長く居すぎて、色々とずれてると思うんだよ。自分が起こした爆炎の下で多くの命が散っていることを、仕方がないことだって割り切ってた」
「戦場に立つ奴なら大なり小なり、その辺の割り切りは必要だろ。大儀という言い訳でくるんで」
「うん。けど、それで覆いつくせなくなって、気持ちのコップから中身が溢れ出てしまった人から、戦場からいなくなっていくけどね」
「…………」
結局のところ、自分で無理やり思い込んでいるだけなのだ。
『戦争だから仕方がない』
『やらなければ、自分や仲間が撃たれるから』
そう心から思い込もうとする。
そうしなければ、心が死ぬから。
「あ、別にもう戦場に立つのが嫌だとか、もう殺したくないんだって訳じゃないんだ。そこは全然平気。けどさ……」
「けど、なんだ?」
「さっきの、自分が殺した相手に死んだ時の感想を聞いたのに、それでも俺の器は溢れたりしなかった。大してショックを受けていない自分に、ショックだったんだ」
美鈴を戦場で数百人殺していると言われた時。
そりゃ、少しは心の器の水は動揺し、揺れ動いた。
けど、ただ水面に白波が立った程度でしかなかった。
「俺ってさ。もう……」
「知るかそんなもん!」
「え⁉」
俺の言いかけた言葉を遮るように突如、画面の向こう側のトシにぃが、放り出すように後頭部で手を組んで、椅子の背もたれに寄りかかる。
「心の中っていうのは自分だけの物だ。お前が良ければそれで良いんだ。誰かに決めつけられたり、普通はこう考えるべきなんじゃ……って悩む必要なんてない」
「……でも」
「内心の自由は絶対的に保障される。第三次世界大戦になって、魂装という新しい概念が生まれて、それを理由にこの国は、色々と法律をいじくりまわしているクソッたれだが、この条文だけには手をつけられない。なぜだか解るか? 祐輔」
「いや、わかんない……」
っていうか、軍の高官なのに自分の国の事をクソッたれとか言っちゃっていいの?
「絶対的にという文言は、どんな時でも、何があってもという意味だ。たとえ、地球全人類の命が天秤にかかっていたとしても、お前たった1人の心の中の自由の方が優先される」
「……なんか、えらく壮大な話になってない? トシにぃ」
「らしくなくクヨクヨ考えやがって。思春期か? あ?」
「いや、まさに言う通り思春期なんだけど俺」
「ああ。だから、安心したよ。お前も人並みに、色々思い悩むその辺のガキと変わらないってことだ」
その辺のガキと変わらない。
今、俺が一番ホッとする言葉だ。
トシにぃは、昔からそうだ。
俺の欲しい言葉を、なんだかんだくれる。
格好いい兄貴分だ。
「ありがとトシにぃ。おかげで元気出た。また電話するね」
心がスッと軽くなった俺は、Web通話を切電した。
そのままで良いと肯定されたのが嬉しかった。
ふと、そこで美鈴のことを思う。
彼女も、また俺と同じように国家から期待を掛けられた存在だ。
そのプレッシャーは、俺も同じような立場だったから解る。
彼女もまた、自分の心に従って逃げ出したということなのだろうか?
彼女の心のうちは? と考えたが、さっきトシにぃに、心の中は自分だけの物という格言を思い出し、それ以上は考えずにそのまま床についた。