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幸福とは死者の群れの中に生者を見出すこと  作者: 歌川ピロシキ
キルシャズィア・パーヴァサリス
9/17

憎みきれないということ

 キルシャズィア・パーヴァサリスはわたくしたちより少しだけ年上の21歳。とても面倒見の良い、わたくしたち衛生兵部隊の仲間たちにとっては、姉のような存在でした。

 彼女はいつだってわたくしたちの気持ちに寄り添い、少しでも健やかでいられるよう心を配ってくれていました。


 食事のことだってそう。銃を取って敵を殺すわけでも、大砲を撃ったり戦車に乗ったりするわけでもないわたくしたち衛生兵は、たいして食べる必要なんかないだろうとほとんど具のないスープを渡されるのが通例でした。それを、キルシャズィアはヘパティーツァと一緒に根気よく男のひとたちを説得して、自分が負傷した時にちゃんと救助して欲しければ、わたくしたちにもきちんと食事をよこすよう認めさせました。


 キルシャズィアが人を説得する時は、決して怒ったり声を荒げたりはしないのです。ただ、静かに微笑んで相手の気持ちに寄り添って、心をほぐしてから自分の気持ちに寄り添わせる。はじめのうちは彼女をさげすみひどい罵倒を浴びせてきた下士官たちも、いつの間にかキルシャズィアの微笑のとりことなって彼女の言葉に素直に耳を傾けるようになるのでした。


 あれは戦場で迎えた何回目の冬だったでしょうか。中隊本部から夕食のパンとスープを乗せた手押し車を受け取って部隊に戻る途中、ノヴドロゴ軍の捕虜が連行されるところに出くわしたことがありました。


 焼け焦げた軍外套はボロボロで防寒の役には立たないでしょう。やはり焼け焦げ無数の穴があいた毛布を頭からかぶっていました。みなさんご存じの通り、冬のセプテントリオは凄まじい寒さです。狐に追われた小さな野兎が、走りながら凍えて死んでしまうくらい。


 連れて行かれる捕虜の中に、一人の少年がおりました。まだ15か6くらいの、明るい栗色の髪とハシバミ色の瞳の、まだあどけなさの残る少年でした。涙と鼻水が顔の上で凍り付いて、それが頬を切り裂いて血が滲んでいるの。


 その子の眼がわたくしたちの手押し車に釘付けになっていました。他のものはなにも目に入らない様子で、ただ手押し車の上のパンだけを涙が凍り付いた顔でじっと見ていたんです。わたくしはどうすれば良いのか途方に暮れて立ち尽くしてしまいました。


 すると、キルシャズィアは迷わず自分の分のパンを取り上げると、その少年に渡したのです。少年は、渡されたパンを握りしめ、一瞬何が起きたのかわからないという顔をしていました。そして、自分の手の中に、間違いなくひと切れのパンがあるという事実がじわじわと彼の脳にしみ込んでいくにつれ、嬉しそうに、ほんとうに嬉しそうに微笑んだのです。


 血と泥にまみれて、顔中に凍り付いた涙と鼻水をこびりつかせたままでしたが、その花がほころぶような笑顔を見た瞬間、信じられない……にわかには信じられない事でしたが、わたくしは心からうれしいと感じたのです。


 あれほど愛する国土を踏み荒らし血と暴虐をまき散らしたおぞましい敵であるはずのノヴドロゴ兵を、心の底からは憎み切らずにすんだ。その事が、なぜかたまらなくうれしかった。

 自分でも本当に驚きました。あれほどまでに血と暴力と破壊を見慣れてしまったにもかかわらず、わたくしは、人を心の底から憎み切る事はできなかったのです。


 ああ、わたくしにも人間らしい心がまだ残っていたのです。なんということでしょう。


 キルシャズィアは自分でも信じられない情動に、身動きすることすらできないわたくしの手をそっと握ってくれました。そして、ごくごく当たり前の事の、何でもないことのように静かに微笑んで、そのまま部隊にスープとパンを運んでいきました。

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