ささやかな日々の糧を
ヘパティーツァ・トヴェルトネは生真面目でしっかりものの、18歳の少女でした。着任したての頃は金色がかった茶色の髪を、10代の少女らしい太い三つ編みにして頭の後ろでくるくると巻き付けてお団子にしていました。
お腹からしっかりと声を出して話す、キビキビした娘で、悲鳴と怒号、銃声が響き渡る戦場でも、彼女の声は力強く耳に届きました。彼女の的確な指示のおかげで、銃弾の飛び交う中、何度も何度も厳しい局面での負傷兵救助を成功させました。彼女がいなければ、わたくしは着任早々頭を撃ち抜かれ潰れたトマトのようになって、戦地の汚泥の一部と化していたでしょう。
彼女はいつも、わたくしたち部隊の全員が、配給のスープにきちんと具を入れてもらえるかを心配してくれました。
わたくしども衛生兵は負傷した兵士をかついで安全地帯まで運びます。確かにわたくしたちは銃をとって敵を倒すわけではありません。戦車を操る訳でも、大砲を撃つわけでもありません。
それでも、身長150センチそこそこ、体重も50キロそこそこのわたくしたちが、ぐったりして歩けない身長180センチを超える大柄な兵士を運ぶのは容易な事ではありません。毎日とてつもなく体力を消耗するので、しっかり食事をとらなければ、負傷兵を治療する以前に、救護活動すら行えなかったのです。にもかかわらず、部隊の男性たちは、前線で敵と殺しあわない女の子たちに栄養は不要だと言って、具のないスープを渡してくるのです。
ヘパティーツァとキルシャズィアはそんな意地悪な兵士たちに毅然と抗議して、自分が負傷した時にちゃんと救助して欲しければ、わたくしたちにもきちんと食事をよこすよう認めさせました。
食事はいつも薄いスープに適当な野菜、もしお豆が入っていれば幸運でした。肉なんて、ほんのひとかけらだって何か月も口にできません。パンは岩みたいに堅くて、少しでも柔らかくするためにスープに浸してしばらくおいて、ふやかしてから食べなければなりませんでした。味なんてほとんどしなかったけれども、その辺に生えている野草などと一緒に、口に入れられるものならとにかく何でも食べました。
だって明日もわたくしたちが生き延びなかったら、いったい誰が負傷兵を救助するというのでしょう?国民を大国の蹂躙から守るためだけに命がけて戦っている気高い戦士たちが、手足が引きちぎれ、身体のあちこちに破片が刺さったまま泥に埋もれてただ死んでいくだけなんて、そんな無残な死に様はあってはならないのです。
ヘパティーツァは、クメリーテと一緒に野営地周辺の植物を調べては、食べられるものを採ってきてくれました。配給のスープに入っているジャガイモやニンジンの皮だけでは、若いわたくしたちの体力を維持するのに到底足りなかったのです。凍てついた林の土を掘りおこし、長芋を採ってきてくれた時はみんな大喜びで、いつも包帯の確保を手伝ってくれていた通信兵部隊の皆さんにほんの少しだけおすそ分けしたものです。
「戦争が終わったら、お腹いっぱいお肉を食べたいね」
「私は蜂蜜漬けのクルミがぎっしり入ったパイが食べたいわ」
皆でそう言って笑いあったのがつい昨日のことのように思い出されます。内容は粗末で惨めな食事でしたが、それでも王都の空虚な宮殿で口にする、豪奢なだけの食事よりもはるかに美味しく、わたくしの心身を満たしてくれるものでした。