球団創成期から、貧乏球団と蔑まれた球団とともに生きる
俺の名前は、「赤羽 翔太」
20xx年のドラフト3位でヒースランド・ドルフィンズに入団したプロ野球選手だ。
同期入団には、5球団が競合して当時の監督が1位指名を引き当てた夏の高校選手権大会のヒーロー「丘 海児」がいる。
ずっと丘の背中を追いかけてきたが、最近追いついてきた気がする。
俺の所属するヒースランド・ドルフィンズは、この世界の東の島国である「イーザニア連邦」の地方都市「ヒースランド」にある貧乏な市民球団として発足し紆余曲折を経て現在に至っている。
ヒースランド・ドルフィンズの生い立ちから現在に至るまでのお話をする。
まだ、俺は20才で親父と母方のおじいちゃんの受売りなのだが・・・
母方のおじいちゃんの親父、俺の曾祖父は、実はドルフィンズ創設時に数合わせのために入団させられたキャッチーだという事らしい。
また、親父は我が国第一の商業都市「オースラップ」に生まれて育ち「オースラップ」にあるオースラップ・パンサーズの生まれながらの大ファンだ。
まず、ドルフィンズの創設にはどうしても80年前の世界大戦について説明する必要があるらしい。
当時のイーザニア連邦の指導者達は、世界を一つの国家にするという理想を掲げて隣国である東の大陸国家に戦争を仕掛け大陸奥部に進行を進めていたが、ロジスティックの問題もあり攻めあぐめていた状態であったようだ。
そうであるのに関わらず、当時の無能としか思われないイーザニア連邦の指導者は、大洋を隔てた物量豊富な技術的にも当時の最先端を有していた覇権国家である西の大国からの挑発に乗ってしまい、戦争を仕掛けてしまったらしい。
西の大国に対する戦果は初めのうちは順調に上がっていたようだが、徐々に戦力差のために押し返されるようになり、制海権と制空権を完全に失った状態となったらしい。
20才の俺でもその制海権と制空権を失った時点で降伏をするしか選択肢が残っていないと考えるのだが、当時のイーザニアの指導者達は無謀にも本土決戦を声高に叫び、戦争の続行を決断をしてしまった。
その結果、西の大国は自軍の兵士の損失をより少なくする選択として、降伏を促すための大規模な空爆をイーザニアの各重要都市に行い各都市の住民たちの住居と生命を奪っていった。
がしかし、イーザニアの指導者たちはなかなか降伏の決断に至らないため、地方都市である「ヒースランド」と「ケープランド」に西の大国は、開発中の新型爆弾を投下した。
その新型爆弾の被害は凄まじく、「ヒースランド」と「ケープランド」は一発の爆弾で焦土と化してしまった。
流石に、イーザニアの指導者たちも覚悟を決め、無条件の降伏を受け入れ戦争を終結させた。