殺人の兆し
「数字が並んでるあのボード、見えるだろ?」
女の人が静かに訊いた。もちろん見えた。さっきから目障りだった。数字がランダムに配列された白いボード版は女の人の後ろでずっと僕を見つめている気がした。
「あれは人の寿命を決めるものよ」
僕は視力検査表かと思っていた。
「私が教団に入った時、教主様はこれで私らの運命を予言したのだけれど… いや、『私たち自ら』運命を決めたわ。だってくじを引いたのは私たち自身の手なんだから」
くじ引きのように数字らを裏返してから一枚ずつ引いて、そのパンネルに書かれた数字の分の寿命を生きるだろうと言った。僕はその話を適当に頷きながら聞いた。寿命を占うのではなくて『決める』という所が得意だなあ、と思った。
「私はその時、『53』を引いたわ」
こくりこくり。最大限悲しそうな表情を見せようとした。女の人は五十を過ぎたように見えた。
「ところがね、その時そばにいた、きちんとしている青年が突然私に『数字を交換しよう』と言ってくるの」
こくりこくり。
「彼は『104』を引いていたのに」
「は?」
僕がーおそらく初めてー問い返した。女の人は無視して話を続けた。
「私が断りもせずに優柔不断にしているから、彼自ら教主様の元へ行って、お許しをもらって私と寿命を交換したの」
寿命を交換する。慣れない言葉だった。その男の人は彼女を好きだったのだろうか。変な判断だが、心の中ではもうそういう確信が立った。
「私が二十二、彼が二十四の時のことで、そして彼が五十三になるまで後四ヶ月足りず残ったわ」
女の人は悲しそうに見えた。僕も寂しい気持ちになった。僕はまだ運命を前にして諦めるという感覚を知らない。だからこそ、その未知さが怖かった。
「それで、あなたはここにどうして訪れたのかしら?」
「あっ、はい! その…」
一瞬答える言葉が思い出せなかった。その分、何一つ対策も無しに無防備に訪れたことを改めて感じ、自分を責めた。
「えーとですね…」
慌てるな。落ち着いてこの人を騙そう。しかしこのまま何か言わないと疑われるのに間違いない。色んな考えがこちゃまぜになって、結局流れる時間を何とかして取り掴むため、結局、
「脅迫状を見て参りました」
率直に返事した。
***
脅迫状が家に訪れたのは今朝のことだった。外には雪が積もっていて、寝起きの直後に適当に着込んで出てポストから手紙数通と新聞を持ってくるその数秒の間、まだ僕が把握してない異国の気団の一部になったように凍ってしまうようだった。そして持ってきた新聞のヘッドラインを見通し、居候している家主の博士宛に届いたーと思ったら不動産のチラシだったー手紙を捨ててから、僕宛に届いた手紙もあることに気づいた。
その手紙には昨日から学校に姿を現していない同級生の名前と殺人の予告日付、そしてとあるマントラ呪文のようなものが書かれていた。
僕は急いで友達二人を呼んだ。もちろん彼らも脅迫状を見てひどく動揺した。
「このマントラ、どっかで見たことある」
うちの一人が動揺を落ち着かせてゆっくり紙を見ていながら言った。
「おそらく最近町でこっそり集まっている新生の宗教が配ってたチラシに似てるものが描いてたなあ」
チラシかあ。さっき捨てたのに。
「でも流石にそういったマントラって一応何か既存の文化とかに根付いてないのかな? いくら新生宗教だとしてもさあ」
「これ、よその国の伝統信仰やで」
もう一人の友達が言った。
「僕、まだこの国のことすらわからないのに…」
僕がため息をついた。この島に来てから一年が過ぎてやっと言葉が通じるくらいなのに。
僕らは図書館に行って、この伝統信仰に関する本を探し尽くした。すると、とある古典論文の脚注に使えそうな内容が記述されていた。
***
「偉いわね」
女の人が言った。実はあれこれ問い詰めて弁明する過程があったけど、書くのが面倒くさいので省略する。
「そう、あなたが欲しがる友達はここにいるわ」
ここで怖いのは、この人は全く慌てていない。むしろさっきよりもっと印象の良いおばさんのように笑った。
「もし、この下に閉じ込めた女の子は、あなたの彼女?」
「い、いいえ。ただの友達」
何真面目に答えてるんだ。
「好きだけど、まだ友達」
要らぬ話まで暴露した。こうでもしないと緊張して死にそうだった。相手は殺人を予告し、その通りに状況を主導しているのに。
「その気持ち、隠さずいつか絶対に伝えなさい」
その当事者を殺そうとする人が何言ってるんだ、という考えにすら至らなかった。その時は。
女の人はー当然な展開の如くー机の下からピストルを取り出した。僕はーやっぱり当然ー部屋から逃げようとしたが、ドアはー当然ー閉まっていた。しかし何度か蹴ってみるとー偶然ー開いて、前もって待機していた二人の友達が入り込んだ。
「地下だ!」
赤いジャンパーを纏った友達が女の人を制圧した。
「地下?」
僕はぼんやり突っ立っていた。
「床でも叩いとれば空洞でも出るんちゃう?!」
青いディッキーズを着た友達が部屋に潜り込んで僕のところに来た。そして机の下にしゃがんで石綿の床をスイカみたいに叩いた。あるタイルから澄んだ音がした。僕と彼でタイルの端を掴み上げると簡単に開いた。すでに寒い季節に、更に強い冷気が上ってきた。意外と明るい地下室の中央にはー
「ハンナ!」
ー一昨日見たまんまの姿で眠らされていた。地下室の冷気のせいで口から出る息が見えたが、その分寒いところにずっといたのなら低体温症にかかったかもしれない。僕が階段のない地下に飛び降りるのを躊躇している間、友達が何の迷いもなくそこへ飛び降りた。
その後は平穏だった。地下室に入って彼女を救出し、雪が積もった道に友達の背中におんぶされたまま寝ている彼女を見て、その友達に嫉妬した。女の人はちゃんと連行された。
なぜ彼女を拉致したのか。これが何を示唆するか全く知り得ないまま、何かとても悪い兆しだけをいっぱい残し、事件はあやふやに終了した。
「こういうことが続くのかなあ」
僕はこんな推測しかできなかった。
「まず家帰って寝ようぜ」
友達が言った。僕はうなずいて薬局を振り返った。スーツ姿のおじさん二人が向き合ってタバコに火をつけていた。
「あれ、警察じゃないよね?」
僕が言った。しかし、もうあっちの先に行った友達にまで声は届かなかった。