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護りたいもの~第九章

 警察の捜査はさすがに素早かった。佐倉さんの証言などにより加治田智彦の自宅を家宅捜査し、車のナンバーにより彼が溺死するまでの足取りを追ったらしい。そこで彼は亡くなった日の当日、防犯カメラ等の映像により高速道路に乗って甲府から大飯さんが飛び込んだ大塚駅近くまで移動していたことが判明したという。

 またその後、横浜方面へと向かっていたそうだ。つまり佐倉さんが中之島早苗の家や加治田智彦の家を訪問した日と翌日にも車が無かったのは、加治田が大塚駅近辺や横浜まで運転していた為だったことが判った。また順番としては大飯さんが亡くなった後に、加治田は死亡したことが確認されたのである。

 奇しくもDNA鑑定で大飯さんだと確定された人物が、駅のホームから落ちて亡くなった同じ夜のことだ。そのことから、警視庁は周辺の防犯カメラをくまなく調べたらしい。神奈川県警から情報を得て、加治田智彦の乗った車やその姿が写っているかを確認したという。

 そこで大飯さんが大塚駅ホームの防犯カメラに写っていた頃、駅周辺にある道路の防犯カメラで加治田の姿が発見されたそうだ。その為二人の事件には関係性があるとし、警視庁に合同特別捜査本部が立った。つまり自殺や事故ではなく、殺人事件である可能性が浮上したからだ。

 殺人の疑いが高まったとなると、捜査も大々的で本格的になる。まずは加治田の所持していたスマホの通話履歴を調べた所、大飯さんが退庁する少し前に彼の携帯へ電話を掛けていることが判明した。その為警察では、加治田が大塚駅まで大飯さんを呼び出したのではないかと見て、橋から転落した瞬間を目撃した人物がいないか、徹底的に聞き込み捜査を行ったという。

 相当な利用者数がいた中で、時間も捜査員の導入数もかなりかけたようだ。その甲斐あって数人の目撃証言が得られたらしい。それぞれが口を揃えて言ったのが、年配の男性と大飯さんらしき人物が口論している様子を見た、というものだった。

 そして複数の男性の姿が写っている写真を見せた中、皆が皆一人の男と似ていると指を差したと言う。それが加治田智彦だったようだ。しかし加治田本人は既に亡くなっており、大飯さんを突き落とした瞬間を見た人物もおらず、映像なども残っていない。

 その為加治田の手で大飯さんが殺されたと決定づける証拠にはならなかった。だが警察の執念と科学捜査が、その大きな壁を乗り越えたらしい。電車に跳ねられた衝撃でバラバラに飛び散った大飯さんの体と衣服を拾い集め、第三者と接触した形跡が残っていないかを詳細に分析したようだ。

 そしてとうとう加治田智彦の皮膚片が大飯さんの着ていた服と、さらに掴もうとした際に付いたと思われる、右手の指の爪の先から発見できたそうだ。

 それにより加治田智彦が大飯さんを呼び出し、橋から突き落とした確率が高まった。そこで何故そのような行為に及んだのかという動機が、新たな問題となって浮かんでくる。さらにどうやって加治田が大飯さんの携帯番号を知り得たのかも不可解だった。

 その上加治田の死は自殺によるものなのか、それとも事故なのか、はたまた第三者による犯罪によるものなのかが、次に解かなければならない謎となった。

 すると加治田の携帯の通話履歴をさらに調べていく内に新たな事実が判明したという。大飯さんを橋から突き落とし、その足で何故か横浜へ移動していると思われる時間帯に、なんと峰島検事の携帯へ連絡している事が判ったのだ。そこで検事は警察から呼び出しを受け、任意の事情聴取が行われたのである。

 さらには過去に遡り、加治田の家にある固定電話の通話記録も調べた所、定期的に何者かが公衆電話からかけた電話を受け、通話していることが判明した。警察は峰島検事が加治田の死と何らかの関係があるのではないかと疑い出したらしい。つまり加治田を使って大飯さんを殺させ、さらに加治田の口を封じた人物ではないかと考えたのだろう。

 峰島検事なら大飯さんの携帯番号を知り得る立場にあり、加治田にかけさせることも出来る。また一連の殺人の動機は、木下達が調査していた書類の紛失事件とGPSシールが貼られた事件とも関わりがあるのではないか、とまで思われた。

 その為事情を聞かれた全員が、任意だったが指紋だけなくDNAの提出まで求められていた。しかしそれにはやや無理があるのではないか、と何度目かにやって来た刑事に木下と共に呼ばれた課長は、異議を唱えていた。

「峰島検事も大飯も加治田智彦も、佐倉達の調査に名前が挙がった人物で間違いはありません。それに外部へ漏らさないようそちらにお願いしたのは、法務省における重要書類の紛失であり、一歩間違えれば大問題に発展しかねない案件だったからです。しかし殺人事件が起こる程の問題かと尋ねられれば、大いに疑問が残ります」

 あれから目の前にいる警視庁の刑事の他に、神奈川県警の刑事達が木下達の元を訪れた。そして何度も同じ質問を繰り返され、さらに捜査の中で新しく出た疑問点らしきことを尋ねられている。佐倉さんも今は別室で間中と共に話を聞かれているはずだ。

 うんざりするが、警察としても裏取り捜査を慎重に重ねているのだろうからやむを得ない。それに局長からは全面的に捜査協力しろと言われている。その為こちらに教えて頂ける範囲内で捜査状況の進捗を伺う代わりに、事情聴取を受けて来た。

 しかし課長が説明した通り、木下も峰島検事が大飯さんを殺さなければならない程の案件とは思えなかった。さらには加治田智彦まで殺されたとなると、全く別の動機があるとしか考えられない。

「つまり渡口課長は二人が亡くなったのは、法務省での書類紛失事件と関係がないとお考えですか。それならただの偶然か、あるいは発端となったものの、殺人事件にまで発展したのは別の事情が絡んでいる、ということでしょうか」

 警察でも同じような意見が出ているのだろう。ただそれを再確認するつもりで再度尋ねているように感じられた。

「偶然にしては出来過ぎだと思いますよ。そちらでも調べられてご存知だと思いますが、大飯と加治田との接点は全くと言ってありません。それに大飯達はたまたま私に指名されて、今回の資料一式を甲府地検から運ぶ作業をしただけです」

 そこで刑事の一人がもう一度確認した。

「その役目を与えたのは渡口課長でしたね」

「はい。しかし彼と間中の二名を選んだことに、特別な理由はありません。強いて言えば他の職員と同様に真面目で信頼が置けるという点と、それぞれが抱えている仕事の進捗などから(かんが)みて、一日出張する程度の余力があると判断したからです。といっても候補は彼らだけではありません。他にも何人かはいました。ただ何度も説明してきましたが、彼らを選んだのはたまたまとしか言いようがありません」

「そのことは間中さんや他の職員からお話を伺った際にも確認しましたので、私達も承知しております。そうなると紛失事件がきっかけになった、と考える方が理に適うように思えます。そして殺されたとなると、資料を抜き去った人物は大飯さんではない?」

 ここで刑事達の視線が木下に向けられたため答えた。

「私はそう思っています。紛失した経緯から考えると一見、大飯さんが一番怪しいと見られがちです。しかし私達が調べた限り、そのようなことが出来るチャンスはほぼ無かったと考えています」

「その点ですが、私達も報告書を拝見して検討をしました。そこで他に協力者がいたとは考えられませんか」

「協力者? 共犯がいたということですか?」

「はい。大飯さんが書類を抜き出したとすれば、一番可能性があるのはここの駐車場に着いた時でしょう。渡口課長から鍵の番号を知らせるメールを受け取り、間中さんと合流して会議室へと移動するまでの間です」

「しかし車の中には隠されていませんでしたし、その途中に書類を隠せるような場所はありませんよ」

「それは報告書の通り、私達も検証してみました。木下さんがおっしゃる通り、単独犯なら不可能でしょう。しかし共犯者がいたとすればどうでしょうか。例えば大飯さんがスーツケースから資料を抜き出し、すばやく車の下に隠したとします。そして何食わぬ顔で間中さんと合流して会議室へ向かった。その間に別の人間が車の下から書類を拾ってどこかへと持ち去った、とすればいかがでしょうか」

 愕然とした。佐倉さんはどうか分からないが、木下はこれまで共犯者がいる前提で考えた事が無かったからだ。これまで佐倉さんや課長などの知恵を借りながら、多角的な視点で調査をしてきたつもりだった。しかし複数犯による観点は完全に抜けていたことに気付く。しかし捜査のプロの目からすれば、当然の見方だったのだろう。

「それは考え付きませんでした。先入観があったのでしょう。協力者がいるとは考えが及びませんでした。しかし刑事さん達がおっしゃった方法は不可能です。防犯カメラの確認は私達も行いましたが、大飯さん達以外、怪しい人物など写っていませんでした」

 刑事はそのことも分かっていたようだ。

「はい。こちらでもそちらの駐車場の防犯カメラを拝見しましたが、それらしき人物は発見できませんでした。また例え書類が置かれた場所が別だったとしても、報告書に名前が挙がっている人物達の行動を検証した所、後でそれを回収することが可能な人物はみつかっていません。そうなると協力者がいたとすれば、これまでに上がってこなかった第三者ということになります」

 そこで以前から尋ね損ねていた事を思い出し、聞いた。

「大飯さんや加治田さんは、殺された可能性もあるとして捜査されているのでしたね。そうなるともちろん家宅捜査も行われているでしょうが、何か書類を隠さなければいけなかった、動機に繋がるものは見つかったのですか?」

「残念ながら発見できていません。特に加治田に関しては、書類を隠して死刑執行を止めるどころか、早く執行して欲しいと願っていたと思われる物証や証言しか得られていません。その点は木下さん達が作成された報告書に書かれていた通りです」

 勅使川原弁護士と佐倉さんの会話の中でもそのような事を言っていた。警察ならばもっと詳細に調べているはずだ。それでも同じ見解に至ったのなら、まず間違いないのだろう。

「共犯者がいたという他に、報告書で欠けている視点や、調査が不十分だった点はありましたか?」

 刑事は首を横に振った。

「いいえ、その点以外は驚くほど正確に調査し、分析されていると思います。後追いで我々も報告書に書かれた通りなのか裏取りも行いましたが、ほぼ間違いはありませんでした。ただ少し気になる点があったので調べていますが、これも決定打には至っていません」

「どういうところでしょう?」

「すみません。これ以上は現在捜査中のことなので、ご説明できません。しかし我々のような捜査権がない中で、あれだけの事を短時間で正確な調査をされていたことに驚いたことは事実です」

「そうですか。プロの方にそう言っていただけて、安心しました。しかし負け惜しみに聞こえるでしょうが、共犯者または協力者がいたというのは何となく腑に落ちません」

「いえ、共犯者がいると決まった訳ではありません。我々もあらゆる可能性を探っている中で出て来たことです。逆にここまで正確に調査された木下さん達が、唯一見落としていた視点から再分析したなら、どのように思われるか私達は伺いたかっただけです」

「今初めてその可能性に気付いたばかりですから、まだ何とも言えません。ただやはり直感的には納得し辛い、というのが正直な感想です。だからこそ報告書でも抜け落ちていたのだと思います」

「そうですか。実は我々もこれまで報告書に挙げられていた、疑わしいと思われる人物の中にいると仮定し、当て嵌まる人物がいれば確率は上がると思っていました。しかし捜査していく内に、それは無理だと言うことが分かりました。そうなるとこれまで捜査線上に上がってこなかった第三の人物である、と仮定しなければなりません。それだとほぼ振出しに戻ることになります」

「そうですね。ただ私達の報告書で、決定的に欠けていることがもう一つあります。それは動機です。何故書類を抜き取るようなことをしたのかが、全く見当が付いていません」

「それは我々も同じです。誰が犯人かは横に置いて考えても、書類を紛失させて得をするだろう人物は、今のところ見当たりません。死刑執行を止める、または一時的にも遅らせることが目的だったとしても、それを望む人は関係者の中にはいないようです。後は全くの第三者で、過激な思想を持った死刑廃止論者による行為だとも考えられますが、それに該当する人物も、まだ捜査線上には浮かんでいません」

「そうですか。それが一番の鍵だと思っていますが、私達の権限では限界があります。そこでお願いがあるのですが、今回報告書で上がった人物達の背景と言いますか、過去を洗い出す、または現在置かれている状況を捜査していただけませんか。いえ、これまでもされているとは思います。しかしそれこそ様々な視点で見直してみれば、私達が気付かない全く意外な動機が隠れているかもしれません」

 そこで刑事の鋭い目が光った

「ほう。もしかして木下さんには、心当たりがあるのですか」

「引っ掛かっている人物がいることは確かです。特にその方については、念入りに調べていただきたいのですが」

「どなたの事ですか」

 そこで木下は課長と顔を見合わせて頷き、耳打ちした。そして何故その人物を調べて欲しいのかと理由も併せて説明したのだ。それを聞いた刑事は目を輝かせた。

「それは聞き逃せませんね。しかし現時点では動機が分からず、また証拠も不十分だと言うことですね」

「はい。ただこれから提出する物をそちらで調べていただければ、言い逃れ出来ない物証が出るかもしれません」

「分かりました。調べて見ましょう。それはどこにありますか」

「こちらです」

 木下が事前に用意していたカバンの中からビニール袋に包んだものを取り出し、刑事の一人に手渡した。それを目にした彼らは、これまで行き詰っていた事件が進展すると確信したのだろう。表情が明るくなった。

「お預かります。今日こちらに伺ったのは正解でした。まさかこのようなものを提出して頂けるとは、思ってもいませんでした」

「申し訳ございません。私達も隠していたつもりはなかったのです。手に入れたのもほんの数日前ですから。ただ今回の事件とどう関わってくるのか、我々は下手に動かず警察の捜査を待ってからにしようと思い、保管していました。それ以上の他意はありません。それだけは信じていただけますか」

「もちろん信じています。それにこれを調べれば、これまでの皆さん達の証言が嘘かどうかも明らかになるでしょう」

「そうですね。ですから私達の調査が正しかったかどうかは、これである程度証明されると思います。しかしその裏にあるものが何かは、警察の力を借りないことにはどうにもなりません」

「もちろんです。お任せください。早速捜査本部に戻り、ご依頼のあった件について報告した上で、捜査に取り掛かりましょう。それではこれで失礼します」

 刑事達は立ち上がり、急いで部屋を出て行った。その様子を見て木下は課長と共に安堵のため息を吐いた。これでようやく真実が明らかになるだろう。しかし一方で知りたくない気持ちも一部あった。なぜなら木下達が調査し出したことで、大飯さんや加治田を死に追いやった可能性もあるからだ。ここで初めて自分の取った行動が正しいものだったのか、自信が持てなくなっていた。


 警察に例の物を渡した数日後、局長室には課長と佐倉さん、木下と間中、峰島検事の五名に加え、警視庁と神奈川県警の刑事二名ずつが集められた。

「これから一体何が始まると言うのです? 刑事さん達まで揃って何のお話でしょう」

 加治田死刑囚における死刑施行の起案書作成をようやく終えた峰島検事が尋ねた。すでに参事官から総務課長の渡口の目を通り、柳生刑事局長の決裁も済んだらしい。今は矯正局に送られている。一騒ぎあったにせよ、事案は一旦刑事局の手を離れていた。

 四名の刑事達は立ったままで、他はソファに座るよう促された為、全員が腰を下ろす。そこで刑事の一人が説明をし始めた。

「これまで大飯さんや加治田智彦さんが死亡した事件に関して、皆さんに何度もお話を伺ってきました。しかし本来なら事件について、私達から説明することは基本的にありません。しかしそれより前に起こった、法務省での不祥事における調査が関係してきますので、今回は特別にこうしてお集まりいただきました。それではまずそちらの結果が出たようなので、報告して頂けますか」

 その言葉を合図に木下が立ち上がる。すると隣にいた人物が驚いていたが、構わず話し出した。

「起案書も無事他局へと移りました。そこで皆様をお騒がせした裁判書類の一部が紛失した件と、峰島検事が発見した裁判記録に貼られたGPSシールの件についての調査がまとまりましたので、ご報告いたします」

 峰島検事が顔を歪ませて言った。

「書類を隠した人やシールを張った人物が誰か、判ったのですか?」

「そうです。まず紛失した裁判資料は、発見されました」

「本当ですか? それはどこで見つかったのですか?」

 彼だけでなく佐倉さんや間中も初めて聞くだろう情報に、身を乗り出していた。

「ここの地下書庫からです」

 そこで警視庁の刑事の一人が、ビニール袋に入った書類を鞄の中から取り出し、皆が見えるように高々と上げた。事前に話を聞いている局長と課長以外の皆が絶句したようだ。そしてある人物は口をパクパクとさせ、何も言えないほど驚いていた。

 木下が話を続ける。

「これを発見したのは、紛失騒ぎがあってから十日後のことです。佐倉さんが甲府から戻られ大飯さんと加治田さんの死を知らされた後、課長にお願いして書庫を私が再度徹底的に捜索した所、発見しました。その場には事件について全く事情を知らされていない、他の職員が同席していました。探している様子も録画しておりますので、私や課長がどこからか持ってきた、などという不正は一切しておりません」

「私は聞いていないわよ。いつの間にそんなことを」

 これまで共に調査し、報告書を作成していた佐倉さんが戸惑うのも無理はない。木下は素直に謝った。

「黙っていてすみません。しかし一旦調査は中止しろと言われていたので、私の勝手な個人的推測を確認する為に、佐倉さんの手を煩わせてはいけないと思って今まで隠していました。申し訳ございません。ただこれだけは信じてください。私は最初、峰島検事を疑っていたのです」

「私ではない。書庫にあったと言うことは、隠した人物は大飯さんだろう。私以外にそれができるのは、彼しかいないはずだ」

「峰島検事のおっしゃる通りです。最初に隠したのは、大飯さんでしょう。しかし他に共犯者がいたのです。いえ、厳密に言えば主犯ですね。結論からお伝えしましょう。裁判書類を一部紛失させて倉庫に隠したのは、佐倉さんですね。そしてGPSシールを貼ったのも、あなたではありませんか?」

 いきなりの犯人扱いに戸惑ったのだろう。激しく反論した。

「何を言っているの。私がそんな馬鹿なことをする訳がないでしょう。私と君は調査をしていた側なのに、一体何の証拠があるっていうの。どんな理由があって私が書類を紛失させたと決めつけられるのよ!」

 それでも木下は気圧されることなく淡々と述べた。

「動機についての推測は、後程ご説明したいと思います。しかしあらゆる状況証拠と物的証拠から、書類を隠せたのは大飯さん、そして佐倉さんしかいません」

 まだ興奮している彼女は、掴みかからんばかりの態度で突っかかって来た。

「どうしてそう言い切ることが出来るの。書類が書庫から見つかったことは分かったわ。しかしそれを隠したのが私と大飯だという証拠は何?」

 ようやく立ち直ったらしく、厳しい眼光で木下を睨んだ。しかしそんなことで(ひる)むことはない。それ以上に強い怒りの感情を持って見つめ返した。

「書庫から見つかったことで、書類の紛失は甲府地検からここへ運ばれた後だったことを意味します。もちろん佐倉さんと協力した私が書庫に隠さない限りは、ですが」

「それはあり得ない。木下が説明した通り、書庫の捜索には私以外にも監視していた職員がいたからそれは不可能だ。書庫の鍵はそれまで書類が無くなったと騒ぎ、その後私の立会いの下で、再度佐倉と木下が手分けして書庫を捜索したあの日から、誰も使用していない。管理している私と、不在時に対応する責任者の証言からもそれははっきりしている。万が一私が書類を隠していた犯人、または共犯者だったとすれば、こっそり事前に隠すことが出来たかもしれないがね」

 課長は冗談めかして言った。木下の無実を証明してくれたのだから、今度は彼の無実を説明しなければならない。

「課長は書類が紛失したと分かった時点で、その場にいませんでしたから主犯ではありえません。共犯者であれば先程言われた方法も可能でしょうが、それなら私が書庫を探したいと言い出した時、止めたはずです。それは隠した主犯に聞けば分かるでしょう。佐倉さんは紛失したはずの書類を課長に渡されましたか?」

 木下の問いに、彼女は大きく首を振った。

「そんなことをする訳がない。だから何故私が隠したと決めつけるの。根拠は何?」

「今の証言で課長が書類を隠した共犯者でないと分かりました。それ以前に佐倉さんが使ったトリックからすれば、そんなことをする必要がありませんから当然でしょう」

「トリックって何ですか? 一体どうやってあの場から、佐倉さんは書類を抜き出せたのですか? それが何故書庫で見つかったというのですか?」

 今度はあの場にもいた間中が質問した。木下は佐倉さんの目をじっと見つめていたが、一旦逸らしてまずはその説明から始めた。

「先程説明したように、書類の紛失は法務省のB会議室に運ばれてから起こったと考えてください。大飯さんと間中が甲府地検から運んだスーツケースは、会議室で開けられました。あの時あの場にいたのは、大飯さんと間中の他に段ボール箱を運んでいた私と佐倉さん、そして先に到着していた峰島検事の五人です。そうでしたね」

 峰島検事と間中が頷く。佐倉さんもそれは認めた。

「そこで大飯さんと間中は、ケースから書類一式を会議室の長机の上に出した。そして本来は二人で間違いなく書類が揃っていることを再度確認した後、局長付の峰島検事に渡し審査して貰う段取りだったのです。しかしそこでイレギュラーな事が起きました」

「重要書類と他の書類が万が一混ざるといけない。そう考えた大飯さんが、私に木下さん達と一緒に早く片づけを済ませるよう指示したことですね」

 間中が記憶を確かめるように言った。木下はそれに対し首を横に振って皆に向かって説明した。

「その通り、と言いたいところだけど少し違う。大飯さんと佐倉さんは、あの会議室に峰島検事がいると思わなかった。そして本来大飯さんは間中に片づけを手伝わせ、一人で書類の確認をするつもりだったのでしょう。そんなところに峰島検事が確認を手伝うとおっしゃった。給湯室に用意されていた台車も、実は佐倉さん達が事前に置いていたと思われます。それを峰島検事が見つけて会議室に持ってきたのではないでしょうか」

 その問いに佐倉さんは大きく否定した。

「それは違う。先程から大飯と私が共犯だと言っているようだけど、あの時彼は親切心で言ってくれだけじゃない」

 すると峰島検事が納得したように頷いた。

「なるほど。最初から間中さんに荷物運びの手伝いをさせるつもりだったのですね。そして一人で確認している間に書類を隠し、私へ引き継げばいいと思っていた。そこで私が書類を審査している間に気付かせる予定、またはそれより前に一部足りないと騒ぐ計画だったという訳ですか。しかし私がいたため、それが出来なくなった」

「でもそれだと、大飯さんが真っ先に疑われませんか?」

「そう。間中の言う通り、チェックするまでが大飯さん達の仕事です。その為検事に渡す以前から無かったことが判明しなければいけない。だからトリックが必要だったのでしょう。私達は早く荷物を出さなければいけないと急いでいた。その為大飯さんと峰島検事の言葉に甘え、間中に手伝って貰いました。しかしそれが佐倉さん達の罠であり計画だったのです。もし当初の予定通り大飯さんが一人でチェックをしていたら、書類紛失の件はまた違った形になっていたでしょう」

 ここで佐倉さんが異議を唱えた。

「意味が分からない。間中に手伝えと言ったのは大飯でしょう。私が言ったわけじゃない。実際、間中くんの代わりに峰島検事が書類の確認をしていたじゃないの」

 木下は反論に応えた。

「峰島検事が先ほど言われた通り、大飯さんは間中に最初から手伝わせるつもりだった。しかし峰島検事がいたことで焦ったのでしょう。なぜなら書類を抜き出す様子を見ている人物がいては困るからです。しかしなんとか上手くタイミングを見計らい、私達が運び出していた段ボール箱の中に資料の一部を隠した」

「だったら犯人は大飯でしょう。しかしどのタイミングで隠せたっていうの。それは無理だという結論に至ったのは、私と一緒に調査していた木下が一番分かっているじゃない」

「最初は私もそう思い込んでいました。しかしよく考えてみると、見落としていたチャンスが一度だけありました。それは課長からの電話を受けて一旦廊下に出た大飯さんが、峰島検事と電話を代わった後です。部屋へ素早く戻った大飯さんは、検事が廊下でまだ話している間に、急いで資料の一部を運び出す箱の中に放り込んだ。十数秒でもあればできることです。しかし予定外の事だったので、慌てたのでしょう。最初は間中が運んできた資料の一部を隠すつもりが、間違えて自らが運んできたケースの中の資料を隠してしまった。なぜ大飯さんが怪しまれるような資料を自ら隠したのかが疑問でしたが、そういう理由なら納得できます」

「それはあくまで推測でしかない。だったら大飯が廊下に出た間に、峰島検事が同じことをしたかもしれないじゃない。それでも矛盾が生じる。書庫では三人でトリプルチェックしたにも関わらず、見つからなかった事は知っているよね。しかも課長が言っていた通り、その後君と一緒に手分けして探し、発見できなかった。違う?」

 木下は佐倉さんの反論に応じず受け流し、峰島検事に質問した。

「大飯さんと峰島検事の二人が書類の確認をしている間、私と佐倉さんと間中の三人で段ボールを運び出しました。丁度二往復で運び終えたのを覚えていらっしゃいますか?」

「覚えていますよ。一度三人共戻ってこられ、最後は佐倉さんだけが運び終わったからと確か会議室の鍵を持って戻られた。だから二度で終わったのでしょう。それがどうかしましたか」

「時間はお昼の一時を過ぎていました。しかし私を含めて他の二人も昼食を取っていなかったので、そのまま食事の為に外へ出ようとしました。しかし佐倉さんは会議室の鍵を持っていたので、今後使用される検事に引き渡すため一人戻ると大飯さんが慌てていた。理由を聞くと、書類が一部足りないと騒ぎ出していたということですが間違いありませんね」

「そうです。私と大飯さんは資料の一部が無いことが分かり、見渡す限り部屋の中を探し、再度チェックもしていました。そんな時に佐倉さんが現れたので、理由を説明し手伝って貰ったのです」

「そこでお伺いしたいのですが、佐倉さんが来られる前に、会議室の中を徹底的に探されたようですね。それぞれの持ち物の中や机の下だけでなく、カーテンの裏や、コピー機の中までも調べたと伺っています。しかも佐倉さんに同じ場所を確認させた。さらには書類のチェックまで手伝って貰ったと聞いています。それでも発見されなかったため、既に運び終わった段ボールの中も探すように指示し、書庫にまで向かったのは何故ですか」

 すると彼は少し躊躇った後、説明し出した。

「実は私も資料が無いと気付いた瞬間、大飯さんがどこかに隠したと思いました。私以外にそれができるのは彼しかいないからです。しかし隠したとしても場所は限られます。だから部屋の中を探せばすぐ見つかると思いましたが、発見できませんでした。書類のチェックミスで無いことも分かっていましたが、佐倉さんが来られたので念のため同じ確認をお願いしたのです。それでも資料はなかった」

「だから後は運び込んだ段ボールの中しかあり得ない、と思われたのですね」

「そうです。そして大飯さんが意図的に隠し直せない様、私が探す箱を割り振ったのです。それでも一回目で発見できなかった為、トリプルチェックまでしました」

「それでも見つからなかった時、どう思われましたか?」

「隠したのは大飯さんで間違いないけれど、その後はどう処理したのかあの場では思いつきませんでした。木下さん達を呼んで事情を伺っても分からなかったので、とりあえず上に報告した後で考えようと思ったのです」

「ではその後何か思いついたことがありますか」

「考えようとしましたが、紛失した書類が再作成できると伺ったので止めました。私は起案書さえ作成できれば良かったからです。それが仕事ですから」

「その仕事の目処がついた後はいかがですか?」

「そ、それは、」

 何故か彼は言い淀んで俯いた。そこで犯人扱いされたまま、これまでの話を聞かされていた佐倉さんは焦れたのだろう。無視し続ける木下に向かって呆れた声で尋ねた。

「結局大飯が資料を隠したのでしょう。それなのに私が主犯だと決めつける根拠は何?」

 ここまで来ると怒りを通り越し、余りにも酷い茶番劇に呆れる。その為、木下はため息をつきながら説明した。

「私も最初は峰島検事が隠したと思っていました。ですから検事が書庫に着いた際、佐倉さんにここからここを、大飯さんはそこから、と探す箱の場所を指定されたのだろう、と。そうすれば自分が隠した箱を最初に開けられますからね。そして他の二人が探している間に、別の関係ない箱へと隠すことが出来ます。そして念のためにと言い、それぞれが一度探した箱を他の人にも探させた。それは自らが犯人ではないように見せかけるためです。これが私の推測でした」

 峰島検事が驚いたらしく顔を上げた。

「そう思われていたのですか。でも私は隠していませんよ」

「はい。峰島検事でないことは分かっています。隠したのは大飯さんで、その後さらに別の場所へと移したのが佐倉さんでした。つまり二人は共犯だったのです」

「私が質問するのも何ですが、先ほどからそう言われる根拠はなんですか?」

「恐らく佐倉さんは峰島検事があの会議室にいた時点で、もし資料が無くなれば徹底的に探そうとすることを予想していたのでしょう。二回、三回と探したのは、最後の二回で佐倉さん達が運び込んだ箱だけでした。その他の箱の中に隠されていたなんて、検事は考えてもいなかったのではありませんか」

「どういうことです? 倉庫に運んだ段ボールの中に隠されていたのではないのですか?」

「最初は大飯さんが箱の中に隠し、会議室から書庫に運びだした事は間違いないでしょう。タイミングは先程お話しした通りです。しかし箱を運び出し終わり、書庫の鍵を閉める段階で、佐倉さんが別の箱に移したと思われます。恐らく大飯さんが隠した箱はどれか、目印をつけていたのでしょう。佐倉さんはそれを知っていた。事実、箱の蓋が破損したものがありましたからね」

「な、何を言っているの。何の証拠があって、そう決めつけるわけ? 間中くんが手伝い始めた時、箱を落として中身を散乱させたでしょう。その時に破れたんじゃないの?」

「佐倉さん、落ち着いて下さい。話はまだ途中です。峰島検事はどの箱を探すかを自らが割り振られた。これは予想以上に幸運だったことでしょうね。おかげで三人共隠した犯人ではなく、さらには書庫に無いと思わせることが出来ましたから」

「しかし何故か書庫から資料は見つかった。その方法なら大飯さんだって、私の目を離した隙に隠し直すことができたかもしれません」

「今峰島検事がおっしゃった通り、もちろんその可能性もあり得ました。しかしそれ以上に決定的な証拠が出てしまったのです。警察で資料に付着していた指紋を照合していただきました。すると新しいものでは大飯さんと間中、そして甲府地検の波間口監理官の他に、佐倉さんのものが出たのです。捜査が始まった際、ここにいる皆さんが任意で指紋の提出をされたと思いますが、それと一致したようです。おかしくありませんか。何故紛失した資料に、近づいていないはずの佐倉さんの指紋が付いていたのでしょう。大飯さん達がここへ運んできた後、書類が紛失したと先程言いましたよね。それなら佐倉さんはどこで資料に触れる機会があったのでしょうか」

 木下の指摘に、先程まで赤くなっていた彼女の顔が青くなった。それでもしぶとく抵抗を見せた。

「そ、それは何かの間違いじゃないの。他の箱に入っていたのなら、何かのはずみで触っていたのかもしれない。隠し直したのは大飯でしょう? 木下くんや峰島検事の言う推理なら、その可能性だってあるじゃない」

「その確率は余りにも低いと言わざるを得ません。それはこれまでの調査でも二人で話し合ってきたじゃないですか。だから何度も言っているように、資料を発見した後刑事さんに渡して調べて貰うまで、私は峰島検事の指紋が出ると思っていました。ただ倉庫の中を探す前に、今回の紛失事件が複数犯である可能性は無いかと刑事さん達に言われ、初めて気づいたのです。そこで念のため佐倉さんには黙って課長にお願いし、徹底的に捜索しました。すると残念なことに私の予想を裏切り、あなたの指紋が検出されたと刑事さんから聞いて驚きました。もう言い逃れは出来ませんよ」 

 佐倉さんは言葉を失っていた。まさか一緒に調査していた後輩から疑われていたことに、全く気が付いていなかっただろう。さすがに想定外だったのかもしれない。それとも裏切られたとショックを受けていたのだろうか。

 いずれにしても、彼女が真犯人であることには間違いない。

「資料を隠したのは、自分だとまだお認めになりませんか」

 木下が念押したが沈黙を貫いていた。そこでもう一つの件についても指摘した。

「GPSシールを張り付けたのも、佐倉さんですね。第三者が事前に貼り付けていたかのように見せかけたのも、書類紛失事件に第三者が関係しているかもしれない、と思わせるための攪乱だった。そうではありませんか」

 それでも彼女は頷かない。ただ否定もしなかった。どんな証拠を掴んでいるかを確認するまで、安易に言葉を発せず黙秘しようと決めたらしい。そんな様子を見て説明を続けた。

「これもお認めになりませんか。GPSシールを張り付けられるタイミングは、佐倉さん自らがお調べになったように、三人の方が裁判資料を閲覧した後どころか、地検から大飯さん達が資料を受け取った後でしかあり得ません。その為あなたの目論みは失敗に終わり、仇となっただけでした。ですから可能性があるのは、峰島検事と佐倉さんの二人しか考えられないのです」

「それはどう言う意味ですか?」

 口をつぐんでいる佐倉さんの代わりに峰島検事が質問してきた。木下はそれに答えた。

「実は佐倉さんが甲府地検で事情を確認していた際の音声データが、一部カットされていることを警察の方が発見されていました。そこで私も甲府地検に再度確認を取ったのです。すると波間口監理官が大飯さんと間中に書類一式を渡す前、地検の検務官数人で資料が揃っているかどうかを、表題だけでなく中身も見ていたことが分かりました。伺ったところでは落丁がないか、破損している個所は無いか、それこそ一枚一枚めくってチェックを行ったそうです。しかも見落としが無いよう、同じ書類は最低でも二回、異なった二名で行ったほどの念の入れようだったと聞きました」

 刑事の一人が付け加えるように言った。

「報告書の中で、そのような事は書かれていませんでしたね。甲府地検での佐倉さんと先方との会話の中でも、詳しく触れられていない部分しか録音されていませんでした」

「はい。おそらく佐倉さんはわざとその点について深く追求しなかった。しかし会話をよく聞くと分かりますが、GPSシールが貼られていたと先方に告げた時、波間口監理官がそんなはずは、と呟かれています。しかしそれを遮るように喜多原検事が何故こんなものがあったのかと言い出したので、佐倉さんは話題を逸らして話をされていました。後で報告書を作る私に送付するための録音ですから、下手なことを喋られるとまずいと思ったからでしょう。そして恐れたことが起こった。途中で詳しくその点について説明がされたようですね。だからその部分の録音を、意図的にカットしたのでしょう」

 峰島検事が頷いた。

「なるほど。そういった状況ならこちらへ持ち込まれた後でしか、貼り付けられませんね」

「そうです。それなのに法務省へと持ち込まれ、峰島検事が審査されている際にそれが見つかった。ということは、少なくとも峰島検事が書類の中身を見られるまでの間に貼り付けた、としか考えられません。違いますか」

「そうかもしれませんね。なるほど。だったら私か、または紛失資料の最終チェックを行った佐倉さんしかいないことになります。大飯さんであれば、その時点で貼ることは避けたでしょう。なぜなら私がぺらぺらと資料をめくる癖を見ていたでしょうから、すぐ発見されてしまう恐れがあった為にできなかったはずです。しかし二人とは別に、資料を確認されていた佐倉さんなら可能です」

「そうです。おそらく佐倉さんは、その最終チェック時にシールを貼られたのでしょう。そして資料を隠した犯人が分かった今、峰島検事が貼る理由など無いことも明らかです。つまり佐倉さんしかいない」

 するとそれまで黙っていた彼女が突然丁寧な言葉で喋り出した。

「異議があります。その件はこれまでの事情聴取でも警察に質問され答えています。録音が途切れていたのは、私がデータ―をパソコンに移す際、間違って消えただけでしょう。それに木下くんにはあの時電話で言ったはずです。地検が書類の捜索をした状況を聞いていた時、一つ気が付いたことがあるが帰った際に報告する、と。覚えていないかな」

「覚えています。しかしこちらに戻られた時、大飯さんや加治田さんも亡くなったことでそれどころではなくなりました。調査も一時中断したため、そのまま報告を受けずに終わっています」

「そう。私は隠すつもりなどありませんでした。きちんと報告するつもりだったのです」

息を吹き返したように話す彼女だったが、木下は冷ややかな目で見つめながら言った。

「しかしそれも計算だった。録音データが一部削除されていることが発覚した場合に用意した、言い訳に過ぎません。その理由は後ほど明らかになるでしょう」

 軽く受け流されたためか、彼女は再び逆上して反論した。

「それだけじゃない! シールのことだって大飯が峰島検事の癖を知らない時点、例えば会議室で出される前に貼り付けた可能性もある。そうじゃないと言い切れないでしょう!」

「大飯さんが駐車場に着き、課長から鍵の暗証番号をメールで受け取って間中と合流する間のことをおっしゃっていますか?」

「そう。その間ならできたはずよ」

「しかし大飯さんがGPSシールを貼る理由は何でしょうか? 資料を隠し紛失したと騒ぎ立てたことで、その犯人は自分でないことをアピールしながら、第三者の仕業だと見せかけ調査を混乱させた。それが佐倉さんの動機でしょう。少なくともあなた達のどちらかがGPSシールを貼った犯人であることは確かです。それ以外は考えられません」

「消去法での立証ね。しかし状況証拠でしかない。それとも物的証拠があるの?」

 そこで木下は彼女が虚勢を張っているのだと気付いた。先程警察が資料に着いた指紋まで調べていたことから、こちらがどこまで掴んでいるかを恐れているようだ。それならば教えることで、もう逃げ場が無いことを思い知らせてやることにした。

 同席している刑事達に視線を向けてから、彼女の目を睨みながら告げた。

「もちろんありますよ。ここに何故刑事さん達まで同席しているか。それは佐倉さんが資料を隠しただとか、GPSシールを貼っただとかといった、法務省内の不祥事程度では済まない罪を犯したからです。そのことに気付いていながら、懸命に冷静な振りをしていますが無駄です。あらゆる証拠は揃いました。GPSシールを購入した記録、そして書類の紛失に第三者が関わっていると思わせるため、中之島早苗さんに嘘の電話をかけ、裁判記録を閲覧するように仕向けたこともそうです」

 そこまで告げるとさすがに彼女の顔が引き攣った。しかしその程度では怒りが収まらなかった為続けた。

「まだありますよ。加治田智彦と接触し、さも死刑執行が遅れるかのように嘘を告げた。そして勅使川原弁護士を通じ裁判記録を閲覧させ、書類に不備が無いかを調べさせたのも佐倉さんです。さらに裁判書類を運ぶ日時を知ったあなたは加治田智彦に連絡を入れ、サービスエリアにいた大飯さん達に声をかけさせた。恐らく場所や時間は、課長が大飯さんと連絡を取っていたため知ったのでしょう。しかしあなたはやり過ぎた。そこまでなら大した罪には問われなかったはずです。しかし共犯の大飯さんが予想に反し余りにも大事になったため、あなたを追求でもしたのではないですか。それであなたは加治田智彦を騙し、大飯さんを呼び出させて橋から線路へ突き落させた。さらに加治田智彦の口を封じるために横浜へ連れて行き、海へ突き落して溺死させたのです。しかも疑いが峰島検事に向くよう加治田さんから携帯にかけさせ、呼び出そうとした。あなたの自分勝手な想いを成し遂げるために、何の罪もない二人の人間が殺されたのです」

「な、何を言い出すの。書類を隠したこともGPSシールを貼ったのも私じゃない。しかも大飯や加治田まで殺したなんて、余りにも話が飛躍しすぎている!」

 ここでこれまで黙っていた警視庁の刑事が口を開いた。

「ここからは警察の管轄ですので私から説明しましょう。紛失した資料を木下さんが発見し佐倉さんの指紋が出て来なかったら、ここまであなたを疑うようなことは無かったでしょう。大飯さんは何らかの理由で加治田に殺され、そして自分は罪の意識に苛まれ海に飛び込んで自殺したと処理されていたかもしれません。しかし現在あなたの家には家宅捜査が入っています。先程木下さんが言ったGPSシールの購入記録だけでなく、加治田智彦のものと見られる皮膚片が付着した服も発見されたようです。おそらく彼を突き落とした際に揉めたかして、付いたのでしょう。さらに彼が横浜で死亡した頃の時刻、あなたが借りたレンタカーが周辺の防犯カメラに映っていました。甲府にいたはずのあなたは横浜で別のレンタカーを借り、甲府まで戻って返却していたことも裏付けが取れています」

「え? 大飯さんや加治田が殺された時、佐倉さんが甲府にいたアリバイは証明されていたのではないのですか?」

「峰島検事の疑問はごもっともです。加治田が大飯さんをホームから突き落としたことは、様々な証拠からみて間違いないでしょう。しかしどうやって峰島検事の携帯の番号まで知り得たのか。そこで別の人物から聞いたのではないかと考えました。そして何者かから頻繁に連絡を受けている形跡があったため調べていましたが、それが佐倉さんでした。木下さんから提出された資料を基に周辺を徹底的に洗ったところ、ここ数カ月ほどの間に加治田と何度も連絡を取っていた疑いが浮上しました。加治田の家に掛かってきた公衆電話を調べたところ、その全ての周辺で佐倉さんの姿が防犯カメラに映っていたからです」

「そんな事までしていたのですか」

 驚く峰島検事に刑事はさらに説明をした。

「はい。そして佐倉さんは大飯さん達が亡くなった夜、調査状況を逐一木下さんに送ることで、甲府にいることを印象付けたかったようです。そして家を見張る振りをして加治田を上手く言いくるめ、彼のセダンで東京へと向かった。佐倉さんが借りていた車は軽でしたから、高速で移動するのなら普通車の方が良い、などと(そそのか)したのでしょう」

「でも借りたレンタカーのカーナビについていたGPSで、甲府にいたと証明されていたのではないのですか?」

「アリバイトリックを使ったのです。加治田の家が人気のない場所だったことを利用し、長時間エンジンをかけたままにしてカーナビを起動させた。そうしてあたかも甲府にいるよう偽装したのでしょう。ハイブリッドにしたのも長時間持ち、音も静かだからだと推測できます」

「なるほど。そうだったのですか。だから途中で寝てしまって、夜遅くまでいたと証言したのですね」

「そうです。車だと甲府から霞が関近辺まで片道約二時間、そこから横浜まで一時間弱、甲府まで約二時間かかります。合計往復で約五時間ですね。中之島宅を訪れた後、甲府のホテルに戻られたのが午前三時。加治田の家で待っている間につい寝てしまったと言えば、その間に東京と横浜で犯行に及ぶことは可能です」

「でも高速道路のカメラには加治田の姿と車は写っていたと聞きましたが、佐倉さんは写っていなかったのですか」

「高速道路のカメラでは、運転している加治田の姿を捉えています。佐倉さんは理由をつけて後部座席で隠れるように座っていたのでしょう。木下さんにパソコンで報告する仕事があったことと、自分の姿が映ることを避けるためだったと思われます。しかし防犯カメラの映像をよく見てみると、後ろに誰かが座っている姿は何か所かで確認されています。そうして移動した彼らは、途中で加治田の携帯を使い大飯さんを呼び出し殺した。さらに帰る途中で峰島検事を呼び出した後、車の中に携帯を残させ加治田を海辺に誘い、突き落としたと思われます」

「だから加治田の車は横浜に放置し、そこから別途レンタカーを借りた佐倉さんは甲府まで戻られたということですか」

「はい。その車は次の朝、宿泊したホテルの近くにある同じ系列の営業所に返却されていました。今はそうした乗り捨てが出来ますからね。これらのことは営業所やNシステムなどで確認済みです。ここでお聞きしますが、何故佐倉さんは加治田智彦と接触されたのですか?」

 その質問に彼女は答えなかった。何かを告げれば相手に情報を与えてしまうと熟知しているからだろう。刑事もそう来るだろうと予想はしていたようだ。

「黙秘されるのならそれはそれで結構です。さすがに法務省のキャリアだ。釈迦に説法になりますが、与えられた権利ですからね。しかし逮捕状は既に出ています。加治田智彦の殺害及び大飯拓郎に対する殺人教唆の罪で、あなたを逮捕します。例えあなたが黙秘し続けようと、検察に送検し起訴できる程度の証拠はしっかり揃えていますからご安心ください。無理な自白を強要するつもりもありません。しかし素直にお話しされた方が、心証は良くなると思いますがね。これは間違いなく裁判員裁判になるでしょうし、二名亡くなられています。下手をすれば死刑を求刑される事案です。ああこれも釈迦に説法でしたね」

 そう言って刑事が四人共立ち上がり、懐から出した逮捕状を見せた上で佐倉さんに手錠を嵌め連行した。その間の彼女は全くの無表情で、抵抗する素振りも見せず刑事達に囲まれて部屋を出て行ったのだ。

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