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護りたいもの~第十章

 連行されていく様子を呆然として見つめていたのは、間中だけだった。局長や課長にはもちろん事前に木下から説明し、今回刑事達と同席する許可を貰っていたからだ。

「一体どういうことですか。書類紛失の件やGPSシールについては、ある程度分かりました。でも何故佐倉さんは、大飯さんや加治田の父親まで殺したのですか。その前になぜ書類を隠すなんて大胆な真似をしたのかが理解できません」

 彼が持った疑問は当然だ。木下もそれが何故かをずっと考えていたが、おそらくそうではないかという程度の推測しか持ち合わせていない。刑事による質問にも答えなかった為、その推理が当たっているかどうかは分からなかった。後は彼女が黙秘を貫かない限り、警察による取り調べが進めばはっきりするだろう。

「書類を隠した動機は、恐らく佐倉さんは法務省がそうした問題が起こった際、他の省庁と同じく隠蔽に動くと踏んでいたようだ。それを後に告発するつもりだったのだと思う」

「告発ですか? 意味が分かりません。自分で問題を起こして、それを隠蔽するだろう省の姿勢を批判するつもりだった、というのですか? 一体何のために?」

「佐倉さんの親戚に今の政府や与党が世論から攻撃を受け、公文書の改ざん問題や隠ぺい問題で命を落とした方がいる。おそらくそのことが許せなかったのだろう。そこで問題を起こし、法務省ではどう動くかを試そうとしたのかもしれない。そしてもし隠蔽するようなことがあれば、糾弾しようと考えていたんだと思う」

「それが資料を隠した動機と目的ですか?」

「省内で問題さえ起こせば良かったんじゃないかな。そこで何をすればと考えた時、死刑囚の起案書作りに必要な資料の一部を紛失させようと計画したのだと思う。過去に「財田川事件」で大失態を犯している検察や法務省としては、事を穏便に済ませるために隠蔽すると確信していたのかもしれない。それを後々内部告発するつもりだった、というのが今の所推察される動機だ」

「ちょっと待ってください。佐倉さん達が内部調査をしたとしても、その結果は外部に出されなかった可能性はあったでしょう。けれどそんな問題を起こしたのが自分自身なのに、それを告発するつもりだったなんて、無理がありませんか」

「おそらく見つからない自信があったか、または刑事局では真剣に調査などしないと読んでいたのかもしれない。それが予想に反して自らが捜査するよう局長に命じられた。驚いたと思うよ。しかし私もいたから、適当な調査で済ます訳にはいかなくなったのだろう」

「では木下さん達が予想していた以上に綿密な調査をし始めていたから、共犯だった大飯さんが焦ったのでしょうか」

「その可能性はあると思う。だから大飯さんが殺された責任の一端は、私にもあったのではないかと反省しているんだ。最初は適当に済ますつもりだった。しかし峰島検事から話を伺い、佐倉さんが持っていた熱意に押されたんだ。それで途中から真剣に取り組むようになった。しかし馬鹿な事をしたよ」

 すると峰島検事が苦い表情をしながら否定した。

「そんなことはありません。もしそうだとすれば、佐倉さんは大飯さんではなく木下さんの口を封じていたはずです。それに大飯さんが殺されるきっかけを作ったのは、私かもしれません」

 突然の告白に、そこにいた全員が目を見張った。木下は思わず尋ねた。

「どういうことですか?」

「まずは私が彼らの計画に無かった行動をし、会議室にいた事です。そして容疑者の一人に検事である私が含まれてしまった。いい加減な調査が出来ないと思わせたのは、その為でしょう。それにこれまで警察にも黙っていましたが、私は大飯さんを追求したのです。起案書作りに目処がつき始め、再作成された資料が届くとの連絡が入る前日の事でした。私は仕事に集中するためそれまで避けていた、資料紛失事件の事を考え始めていました。先程言ったように資料の一部が無いと判った時点で、大飯さんが隠したと直ぐに疑いました。状況から見ても私以外には彼しかいません。だからこそ徹底的に探したのです。倉庫へ運んだ箱まで慎重に捜索したのもその為でした」

「そうでしたね。では何故あの時、その事を指摘されなかったのですか」

「木下さんの言う通り、あの時点ではっきりさせていれば、こんなことにはならなかったでしょう。しかし私はそうしなかった。なぜなら動機が分からなかったからです。だから状況を確認し、上に報告するよう提案しました。そうすれば、自ら名乗り出るかもしれないと思っていたのです。しかしそうはなりませんでした。何故そこまでして隠すのだろうと不思議でした。ですが書類は再作成できると判ったので、起案書の作成を優先させようと考えたのです。それに紛失事件のことは佐倉さん達が調査することになったので、しばらく様子を見ることにしました。中途半端な事をせず、最後まで木下さん達に任せていれば、大飯さんは死なずに済んでいたかもしれません」

「どういう意味ですか?」

「仕事がひと段落着いた私は、大飯さんを呼んで尋ねたのです。何故書類を隠したりされたのですか、と。今なら再作成された資料もしばらくすれば届きます。ですからどこに隠されたのかは知りませんが、その前に誤って紛れてしまったけれども見つかった、またはつい出来心でしてしまったと名乗りでるよう、彼を諭したのです。しかし彼が強く否定したので、さらに追求しました。これ以上隠し続けるならば処分は免れない、と。しかもGPSシールが発見され、事件の関係者が資料を運んでいたあなた達に声をかけている。その事から情報漏洩の問題にまで発展しかねません。そう言って追い込んでしまったのです」

「その時、大飯さんは何と言ったのですか?」

 木下の問いに彼は首を横に振った。

「何も言わず、逃げるように立ち去っていきました。その翌日の夜、彼が亡くなったのです。私が話した時の反応による憶測ですが、佐倉さんが加治田まで巻き込んでいた事を、彼は知らされていなかったのではないでしょうか。ただ問題提起したかった彼女の気持ちに共感し、資料を隠す協力をするだけのつもりだったのかもしれません。それが想定していた以上の騒ぎになってしまったので驚いたのでしょう。怖くなり全ての真相を正直に話そうと、佐倉さんを説得したのかもしれません。しかし引けなくなった彼女は、加治田を利用して殺すことを考え、さらには加治田の口をも封じたのではないでしょうか。そう考える方が筋は通ります。ですから大飯さん達が殺されたきっかけを作ったのは、木下さんではなく私です。私がもっと早く真相究明をしていれば、こんなことにはならなかった」

 その場にいた誰もが安易に違うと言い切ることが出来ず、しばらく沈黙した。しかし木下は思い切って言った。

「言い難いことを正直にお話しして頂いて、ありがとうございます。私は長い間、峰島検事を疑っていました。そのことが恥ずかしいです。それに佐倉さんが一連の犯人だなんて、近くで一緒に調査していた私でさえ気づかなかったのです。峰島検事のせいではありません。悪いのは用意周到な準備をして、二人を殺した佐倉さんです」

「庇って頂き、有難うございます。先程の推理から考えると、木下さんが私を疑っていたことはやむを得ないと思います。おそらく佐倉さんがそう仕向けたのでしょう。突然私が現れ計画変更を余儀なくされた時点で、万が一の為にスケープゴートにしようと思いついたのでしょう。もしかすると私が甲府へ裁判資料を閲覧しに行ったことも、事前に知っていたのかもしれません。加治田から用があると突然私を呼び出したことから考えると、間違いないと思います。幸い誘いを無視して行かなかったので、その計画は失敗したようですが、もし私が行っていれば周辺の防犯カメラに写っていたでしょう。そうなれば後々、私も容疑者として浮かび上がると考えたはずです」

「今思い返してみると、そうだったのかもしれませんね」

「ちなみにですが、もし私が犯人だったとしたら、動機は何だと思われたのですか」

 答え難い質問だったが、正直に話した。

「それは佐倉さんのものと似ています。峰島検事は法務省が隠蔽すると見越し、そのネタを将来政治家になられた時に利用する為だったのではないかと考えていました。検事はいずれお父様の地盤を継いで、政治家に転向される予定だと伺いました。しかも野党第一党に所属されていますから、出馬するとなれば与党を叩く絶好の切り口になると思ったのです。だから刑事さんに発見した資料をお渡しした際、峰島検事の指紋が出るだろうと思い込み、背景を詳しく調査するようお願いしていたのです」

「なるほど。確かにおっしゃる通りですね。しかしご心配は無用です。出馬するとしても、ずっと先のことになるでしょうし、そんなことをしなくても今の与党には、付け入るネタが沢山ありますから」 

 峰島検事は笑いながら庇ってくれたが、木下の胸のつかえは下りなかった。大飯さんが調査を続けていた佐倉さんを説得できず、命まで奪われたのは何故なのか。また彼女は大飯さんや加治田智彦を殺さなければいけないほど、書類を隠したことをばらされたくなかったのは何故なのかが分からない。

 実際に木下が紛失事件の犯人は佐倉さんである証拠を突き付けた時、一瞬態度を変えた。認めはしなかったものの、その後はバレたなら仕方がないと開き直った態度を取っていたようにも感じられたのだ。それよりも殺人の件まで明らかにされはしないかと、内心怯えていたように思う。

 いずれにしても、殺人事件については自分達の手が及ぶ範囲ではない。真相の究明は警察に任せよう。事件はこれで終わったんだ。そう考えることにした。しかし間中は、まだ腑に落ちない点があったらしい。

「書類を隠した動機は何となく理解できましたが、佐倉さん達は最初からB会議室に置いてある段ボール箱に隠そうと計画していたのでしょうか? だとしたらおかしくないですか? あの会議室を使わざるを得なかったのは、事前に用意されていたはずの部屋が、手違いで押さえられていなかったからでしょう。それで急遽あの場所にあった書類を、慌てて片付ける羽目になったと聞いていますが。そうですよね、木下さん」

「そうだったな。あのトリックは会議室に段ボールが積まれていたから、それを急遽利用したのだと思う。何もない会議室だったら、例えばカーテンの裏や窓の外に吊るすなど一時的に隠し、後で回収しようと思っていたのかもしれない。大飯さんから聞いた話の中で書類を確認している時、峰島検事は中身を見ながら室内を歩いていたという証言があった。もし段ボールが無ければ、そうしている間に隠そうとでも思っていたんじゃないかな」

「なるほど。段ボールが積まれているのを見て、これは使えると思ったのかもしれませんね。それで検事が目を離した隙に隠した訳ですか」

「そうだと思う」

「でも書庫に隠したのは良いとして、それを木下さんが見つけ出すまでずっと放置しておいたのはどういうことでしょうか? 誰かが偶然見つけてしまうかもしれませんよね。早く片付けようとしなかったのは何故でしょう。それに課長立ち合いの元で、一度木下さんと二人で書庫を再確認された時にも見つからなかったのはどうしてでしょうか」

「保管期限が過ぎた書類の間に隠してあったから、まず見つからないと踏んだのだろう。特にここ最近は間違って廃棄処分をした問題が起こっていたから、書庫の管理はかなり厳重にされていた。そう簡単に誰もが何度も出入りできる訳ではないから、安心していたのかもしれない。それにすぐ回収しに行けば、逆に怪しまれる。ほとぼりが冷めた頃、何かの調べ物だと言って入室すれば不自然じゃない。その時に隠した書類を処分しようと考えていたんじゃないかな。それに二人で再捜索した時、どこを探すかを割り振ったのは佐倉さんだ。自分が隠した場所を探したのだから、見つかったなんて言うはずがない」

「なるほど。それにしてもGPSシールまで貼り、第三者が関わっていると思わせるなんて手が込んでいますね。現に加治田を動かし、彼が怪しいと思わせていた訳ですから」

「書類が紛失しただけでは、インパクトが薄いと判断したんじゃないかな。第三者が盗んだのではと疑わせ、より騒ぎを大きくすることで刑事局の責任問題に発展するよう仕向けたのだろう。そうすることで間違いなく隠蔽せざるをえないように、誘導したのだと思う」

 するとこれまでずっと黙って聞いていた局長が、吐き出すように言った。

「舐められたものだな。しかし佐倉に調査するよう命じたが、結果によっては穏便に済ませようと考えていたことも確かだ。一緒にいた木下がここまで調べてくれなかったらどうなっていたことか。想像しただけでゾッとするよ。良くやってくれた。ご苦労さん」

 お褒めの言葉をいただいたが、素直に喜ぶことは出来なかった。調査で得た結果の代償は余りにも大きい。再び気分が落ち込む様子を気にしたのか、課長が話題を変えた。

「しかし息子の死刑執行を少しでも早くして欲しいと願っていた、加治田智彦の父親としてやむにやまれない心情に付け込むなんて、佐倉も良く非情な事を思いついたものだ」

 局長や課長達は最終の報告書を見ている。この中で峰島検事同様、見ていないだろう間中は呆気にとられていた。

「先程も聞いていて違和感があったのですが、死刑執行が遅れるかのように嘘を告げたと言う話は、そういう意味だったのですか?」

 木下がそれに答えた。

「ああ。警察でもその点は捜査してくれたよ。本来なら詳しく教えてくれないが、紛失事件と関係していたし、こちらからの情報が重要な手掛かりになったことを考慮してくれたらしく教えて貰えたんだ」

 そこで加治田智彦やその家族が、加害者家族として苦しい目に遭って来たこれまでの出来事を間中に伝えた。彼だけでなくその場にいた皆が全員、苦虫を噛み潰したような表情で静かに聞いていた。そうした壮絶な過去を経て、我が息子の死刑執行を強く願わざるを得なかった父親の想いを、佐倉さんは利用したのだ。その理由と手口は余りにも狡猾であり、自分勝手なものだった。それは決して許されるものでは無い。

「それで佐倉さんは「財田川事件」の事を引き合いに出し、書類が紛失すると執行が遅れる恐れがあると加治田に吹込んだ。それで不安を煽り無事書類が整っているか、不備は無いか、無事運び出せているかを気にさせた。だからサービスエリアで私達に声をかけたのですね。そうさせるように仕向けたということですか」

 間中の質問に頷いた。

「そのようだ。緻密な計算と巧みな話術で加治田を精神的に追い込んだやり口は、生真面目な佐倉さんだったからこそ説得力があったのだろう。そして書類を紛失させた後に情報を加治田に流し、大飯さんがそう仕組んだと思い込ませて殺すよう誘導した。殺してしまえば邪魔する者はいない、とでも言い聞かせたんじゃないかな。そして今度は色々知っている加治田を自らの手で口封じし、全てを闇に葬り去ろうとした。私はそれが許せない」

「まあ、落ち着け。殺人の件は警察から発表があると思う。しかし書類紛失に関しての詳細が彼らの口から説明されることは無いだろう。他の省内における不祥事だからな。でも安心しろ。佐倉の件が公になったタイミングで、法務省としても今回の書類紛失未遂事件とGPSシールの件では記者会見を開くつもりだ。もちろん私の口から事実と経緯を説明する。そしてしっかりと謝罪した上で、今後同じ事が起こらないよう対応策を取ることも告げるつもりだ。決して隠蔽したり事実を曲げたりすることはしない。法を司る役目を担っている法務省として、二度と同様の不手際など間違っても起こさない。万が一起こったとしても内部での自浄作用を働かせ、事実解明に誠意を尽くすと宣言する予定だ」

 局長の力強い言葉に、木下はようやく胸のつかえが一つ下りた気がした。これで佐倉さんだけでなく、自らも懸念していた事態は避けられた。しかし紛失事件を引き金として二人を殺したのだ。佐倉家一族の中で、悲劇が再び起こったことになる。

 それにしても正しい事を行い続けることが、どうしてこんなに困難が伴うのだろう。正義や秩序、筋や道理という、当たり前のものがおざなりになっているとしか思えない。正直者が馬鹿を見る世の中など、碌なものでは無いはずだ。

 しかし世界から称賛されることが多いはずのこの日本という国が、いつの間にかそんな場所になってしまっている。少子化なども先進国ならではの問題だと言われるが、それだけではない。豊かな国であるはずが、貧困の差は激しくなり将来は不透明だ。

 そうなると経済力はあっても、能力が高い人達程子供を産んで育てようと思わなくなり、子供が減少するのも当然だ。実のところ、木下の妻も子供を産むことに躊躇している。

 逆に将来的な不安要素を気にせず、子孫を残そうと純粋な本能に従った若者達ほど子供を産むのだろう。しかしその中で経済的に困窮した親が、発散しきれないストレスなどを子供にぶつけるなどして虐待が生れることもあるのだ。そして死なせてしまうか、まともな教育を施さない、または施せないことで、さらなる低所得者層を形成してしまう。

 そうなれば経済的貧困に陥り、生きていくことで必死な若者が多く育つ。その結果将来に希望など持てず、さらに子供を産みたがらない世代を生み出すだけだ。この負の連鎖はどこかで断ち切らなければならない。その為にはこの腐りかけた国を立ち直らせようとする政治家が必要だ。将来峰島検事がそのようになってくれたらと、と木下は切に願った。

 話が落ち着いた為、局長により解散を告げられた面々は、それぞれの部署へと戻った。その道中でもう一つやり残したことを終わらせるため、木下は課長に声をかけた。

「すみません、少しお時間を頂いて宜しいですか」

「ん? ああ、いいよ。課長席に来るか」

「お願いします。簡単な確認とご報告だけですから」

 課長の後に続き部屋に招かれ、応接用のソファに座るよう促された。そこに腰を下ろすと、課長も斜め横の上座の席に座った。

「改まってなんだ。簡単な確認と報告と言ったな」

「はい。先程局長室で間中に尋ねられた時には誤魔化しましたが、事実は違いますよね」

顔色を変えた課長は、それでも惚けた。

「何のことだ?」

「佐倉さんが使った資料隠しのトリックはその場の思いつきでは無く、事前から用意されていたものだと言うことです」

「ああ、そのことか。確かに警察の捜査でも、佐倉は周到な事前準備をしていたことから、かなり以前より書類紛失事件を起こす計画を立てていた節があると言っていたな」

「はい。総務課の仕事の中に、死刑が確定された際資料を取り寄せる仕事があることは当然佐倉さんも知っていたはずです。そして昨年ここに赴任が決まったことから、死刑が確定される案件が発生すれば、高い確率でその仕事が行われることも予想出来たでしょう」

「それは十分あり得るな。法務省での不祥事を起こすことを考えていたから、「財田川事件」に目を付けたのだろう。同じような事件が起これば、過去に起こった大きな汚点の記憶を呼び覚ますことになりかねない。だからこそ資料の一部が紛失したなら、法務省としては必ず隠蔽に走ると予想しても不思議ではない」

「それが加治田の案件でした。恐らく佐倉さんはその機会を見越して、事前に加治田へ連絡を取り始めたのでしょう。それだけでなく甲府地検への出張を申し出て、裁判書類の閲覧をしていた峰島検事の事も知ったはずです。中之島早苗に奇妙な電話をしたのも、加治田に閲覧するよう仕向けたのも、計画されたものだったと思われます」

「ああ。だがその事なら私も君から報告を受けているし、警察からも聞いていることだ。それを今更何故繰り返す?」

 怪訝な表情をする課長に、木下は尋ねた。

「つまりそれだけ周到な準備をしていた佐倉さんが、書類を隠す方法だけはその日に訪れた機会をたまたま利用したとは考えられません。それは余りに不自然だとは思いませんか」

「突然使用する会議室が変更になったから、やむを得なかったのだろう。しかし事前の計画より、いい方法があるとその場で閃いたんじゃないのか。二人を殺した際のアリバイトリックを考えたくらいだ。悪知恵が働いたのだろう」

「例えそうだったとしても、峰島検事が書類から目を離すかどうかも分からない状況で、書類を隠す行為には危険を伴います。しかし大飯さんは、この時しかないという程のタイミングで隠すことができた。だからこそ峰島検事は、大飯さんが犯人だと確信されたのでしょう。会議室や書庫を念入りに確認されたのも、その為だとおっしゃっていました。しかし佐倉さんは予想していたかのように、書類を安全な場所へと隠し直すことができた。さらに自分を容疑者から完全に外すだけでなく、峰島検事が怪しまれるように仕組んだ」

「何が言いたい?」

 苛立つ課長に対し、じっと彼の目を見つめて告げた。

「課長も佐倉さんに協力されていたのですね。最初は大飯さんに書類を運ぶよう指示したことから始まりました。そして会議室が急遽あの場所になったのも、資料の整理をしていた数名の中から、敢えて佐倉さんにあの会議室を片付けるよう指示したのもそうです。大飯さんに電話をかけて席を外させ、その後峰島検事に代わるように言ったことも、課長が共犯者でなければできなかった」

「き、君は何を言い出すんだ。全てただの偶然じゃないか」

 まだ白を切る彼に尋ねた。

「課長は今後、佐倉さんが警察や検察の取り調べに対し、一貫して黙秘を貫くとお考えですか。さすがに無理だと私は思います。それとも今回の書類紛失の一件に課長が関わっていることを、佐倉さんが隠し続ける確信でもおありですか。それに警察は、佐倉さんの携帯の通話記録を取りよせるでしょう。そうすればすぐに分かることです」

 木下の指摘に動揺を隠せなかったようだ。恐らく彼もその点を心配していたはずである。書類紛失事件だけの話で終わっていれば、大飯さんと同様に共犯だったことを口にしないはずだと軽く考え、手を貸していたのかもしれない。

 しかし今となっては、二人の人間を殺した凶悪犯として警察に捕まっている身だ。しかも死刑になるかどうかの瀬戸際に立たされている。そんな状況で課長一人を守ることなど考えるだろうか。

 単なるきっかけに過ぎない紛失事件の共犯について、厳しい取り調べを耐え抜き隠し続けられるとは思えない。特別の事情が無い限り、自分だけが悪いのではなく協力者がいたことを自白し、少しでも罪を軽くしようとするのが人間の本性だ。

「課長、いずれ明らかになることです。最初に私は言いましたよね。簡単な確認と報告だと。これはあくまで確認です。私は警察ではありませんし、処罰する権限もありません。ただこの件を佐倉さんと共に調査するよう、局長から命じられた私としては疑問を持った点を全て明らかにしたい。ただそれだけです」

 ようやく諦めが付いたらしい。課長は項垂れ、うつむいたまま答えた。

「その通りだ。お前が言ったように、いずれ佐倉の口から私の名が出るだろう。そうなれば局長の耳にも入る。あいつが当初私達に話した計画に無い殺人をしたから、こんなことになったんだ。本当に馬鹿な事をしやがった」

「では大飯さんを書類運びに任命したこと、会議室の件や電話の件もお認めになりますね」

「ああ。私は佐倉に甲府地検から資料を回収する日取りと、その時の段取りやコースを教え、大飯を回収役に指名して欲しいと言われた。後はわざと会議室をダブルブッキングしてB会議室を使うように仕向け、佐倉に片付ける役目を与えたんだ。最初はそれだけでいい、後は全てこちらでやるからと言われていた。だから書類の隠し場所など詳しい事は聞かされていなかった。もし知っていたら、木下に倉庫を再捜索させて欲しいと言われた時、私は断っていたはずだ」

「課長は佐倉さんから、計画の一部だけを知らされていただけなのですね」

「ああ。しかし峰島検事が突然現れたことで、計画が狂い出した。そこであの日佐倉から、会議室にいる大飯のスマホに電話してくれと連絡を受けたんだ。途中で彼と代わって話をし、部屋から少しの時間だけでも離れるよう仕向け、大飯にはその間に資料を隠せと指示するよう言われたよ。私のしたことは本当にそれだけだ」

「資料の隠し場所を知らなかったことは確かでしょう。しかし地検に行く日取りや段取りとコースまで聞かれていたのに、加治田のことは知らされていなかったのですか?」

「信じてくれ。詳しい事は全く知らされてなかったんだ。しかも当初の計画では木下が言っていた通り、間中のスーツケースに入っていた資料を隠す予定だった。それなのに慌てた大飯は自分のスーツケースのものを隠したから、さらに厄介な事になっただけなんだ。加治田との話は全て佐倉が勝手にやったことで、大飯も全く聞いていなかったはずだ。三人で打ち合わせをした際も、隠すだけで良いと言われていた。私達は騙されたんだよ」

 悲痛に叫んでいたが、同情する気にはなれなかった木下はさらに尋ねた。

「最初はどういう計画だったのですか?」

「まずは箱の中へ隠し、検事に渡す前に資料が無いと騒ぐつもりだった。そして間中が紛失した、または運び損ねて向こうの倉庫へ置きっぱなしにしたか、どちらかにするつもりだったんだ。もし甲府地検に尋ねて無いと言われても、ほとんどの資料は再作成できるはずだから、起案書の作成に支障をきたすことはない。そうなれば必ず事なかれ主義を通すためにも、資料紛失の件は無かったことにされるはずだと、あいつは言ったんだ。私も大飯も自分に責任は及ばないと思ったからこそ、計画に乗ったんだよ」

「そこで課長は局長に調査をするよう進言し、それが却下されると見込んでいた訳ですね」

「そうだ。必ずそうなるから、と佐倉は何度も繰り返して言っていた。それを信用したらこの有り様だ」

「やはりそうでしたか。先程お伝えした簡単な確認は、これでほぼ終わりました。残った報告の件ですが、課長が佐倉さんに協力している疑いがあることを、既に局長はご存知です。今回私が最終確認をした上で事情を明らかにすれば、再度局長にご報告する予定です」

 驚愕した課長は、跳ね上げるように顔を上げた。

「柳生局長は、私が関わっているかもしれないと知っていたのか。その上で自分の口から問い詰めることをせず、木下に確認するよう指示したというのか」

「はい。私に対しあくまで課長が言い逃れをされた場合、警察からの報告を待って対処するつもりだ、とおっしゃっていました。しかし何らかの事情があるのだろうから、と話を聞くよう私に指示したのです。そこで最後にお伺いします。何故課長は佐倉さんに協力をされたのですか」

 天井を眺めるように顔を上げた課長は一度大きく息を吸い、そして語りだした。

「国家一種試験に合格して入省した私達キャリアは、実績を積んで昇格していく。だがその過程において、法務省では他の省と事情が異なることを知っているな」

「はい。さらに難関と言われる司法試験に合格し、検察や裁判官になった法曹界の方々が後に出向という名目で入省されます。そして重要ポストを占める慣習がありますね。省のトップである事務次官はもちろん、局長クラスのほとんどは検事出身者です。私達のような叩き上げの職員にとって、昇進が狭き門であることも理解しています」

「そうだ。実際柳生刑事局長は元検事だし、今の他の局長クラスもほとんどが法曹界出身者だ。私達のようなキャリア組は、課長止まりになることなど珍しくない。つまり私が局長以上に昇格することは難しいだろう。馬鹿らしいとは思わないか。法務省で一からコツコツと仕事をしてきた人間より、司法試験に合格した外様が重要なポストに就く。警察で言えば俺達はノンキャリア組で、奴らはキャリア組なんだよ」

「なるほど。だから刑事局で大きな問題を起こせば、局長の責任問題になりかねない。そうすれば、課長が昇進する隙もできると考えたのですか。確かに刑事局は無理にしても、最近では矯正局長や保護局長のポストならば、キャリア組が配置される人事を行う傾向にありますからね。しかし死刑が確定した後に資料一式を取り寄せて確認し、刑事局付の検事に渡すまでは総務課の仕事です。そこで問題が起きれば、ご自身の身に火の粉がかかるとは思われなかったのですか」

「もちろん考えたさ。だがそこは徹底調査すると私が主張しても、検事出身の局長ならば、「財田川事件」の再来を彷彿させる案件には蓋をするに違いないと、佐倉が言ったんだ。ならば問題が発覚した折に、筋を通そうとした私の意見を抑えた局長の責任は重くなる。しかも検事出身だからこそ起こった事件となれば、少しは私達のような法務省の叩き上げが評価されるはずだ、と説得された。といって確実に私が昇格できる保証なんてない。しかし何もしないよりはましだと思ったよ。しかも今回の計画に手を貸せば、重要ポストを占める元検事出身者を、少なくとも一人は蹴落とすことができる。それが現在の慣習に一石を投じることに繋がれば、言うことは無い。だから私は協力することにしたんだ」

「大飯さんも同意見だったのですか」

「ああ。三人共他の省庁における隠蔽体質にうんざりしていたことも本当だ。しかしあいつは人一倍上昇志向の高い男だった。それにエリート官僚の父親を少しでも見返したいと、屈折した感情が強かった。だから課長の私が上手く昇進すれば、引き揚げて貰えると踏んで協力を承諾したのだと思う」

「しかし今回の件で局長の口から課長が関与していたと、マスコミ発表されるでしょう。そうなれば課長達がした事は、私達のような叩き上げ組の肩身をさらに狭くさせます。当初の思惑とは全く逆の結果を招くことになりますが、その件についてはどうお考えですか」

「そうなるな。すまない。佐倉の口車に乗ったのが間違いだった」

 素直に頭を下げた課長に、収まらない鬱憤をぶつけた。

「それだけではないでしょう。確かに法曹界出身者と我々との関係は、微妙なものがあります。それまでの職場における立場も経験も違いますから、やむを得ない点もあるでしょう。しかし元を辿れば、互いに国家公務員であることは変わりません。私達は国民の税金によって養われ、国民の為に仕事をしているのです。もちろん一定の国民に選ばれているからといって、政治家や時の政府の為に働くことが正しいとは思えません。今現在、そして将来に向かって、国民の為になる仕事をしているのだという誇りを我々が失ってはいけない。国家試験に合格し、入省した際にそう皆が教わったはずです。それが何故か時が経つにつれ、理想を忘れて現実の薄汚い社会構図に飲み込まれていく。それを仕方がないと諦めるのですか。そんなことでいいのかと、お思いにならないのですか」

「その通りだと思う。だからこそ私は何とかしたいと思ったんだ」

「そうかもしれませんが、明らかに方法を誤ったのです。課長や佐倉さんのやり方は、一見理想を実現させようと試みたかに見えますが、実際はただの私利私欲に過ぎません。国民の為にと言っても、口先だけで己の利益を第一に考えている今の政府や与党のやっている事と、何ら変わりありませんよ」

 これ以上怒りを口にすると、手を挙げてしまいかねない。木下は課長をそのままにし、立ち上がった。愚か者を殴れば、己も同じ土俵に上がることを意味する。決して佐倉さん達のような過ちを、繰り返す訳にはいかない。心の中の自分にそう言い聞かせながら、部屋を出て行こうとした。そんな木下の背中に向かって課長が呟くように言った。

「ああ。言い忘れていたことがある。大飯の父親は元財務官僚だが、佐倉の五歳年上の従兄が自殺した時の直属の上司だ。これは大飯が殺されたと分かった今だから気付いたことだが、あいつは最初から従兄の復讐をするつもりだったのかもしれない。だから今回の計画に大飯を誘って書類を車で運ぶよう仕向け、書類を隠す役目をさせたのだと思う。何故なら佐倉は、その従兄と付き合っていたはずだからだ。もちろん大飯はその事を知らなかっただろう。佐倉も俺が気付いているとは知らないはずだ。以前、一度だけ二人が腕を組んで歩いているのを偶然見かけただけだからな。それに初めて刑事が来た時、佐倉は大飯の事を信頼できる同僚で親しい友人でもあった、と言ったことを覚えているか。あれは嘘だ。表には出さなかったが、裏では同期だからこそ互いにライバル視していた。しかもあいつは女だ。同じキャリアでも男が多い官僚の中で苦しんでいたことを知っている。もう一つ言えばあいつが甲府での調査を強引に認めさせたのも、最初から加治田と合流する為だったと考えれば納得できる。まあ、これも警察が全て明らかにしてくれるだろう」

 驚愕の事実を聞いた木下は言葉を失った。その為そのまま無言で部屋を後にした。その足で局長室へと向かったのだ。これが本当に最後の報告となるだろう。正直に言えば、佐倉さんが総務課に配属された時から木下は彼女を憎からず思っていた。

 しかし既に智花との結婚が決まっていた為、それ以上の感情を持つことを固く禁じていたのだ。そんな相手が殺人犯だと分かった時点で裏切られたと強い憤りを感じていたが、さらに愕然とさせる事を聞かされ、一時でも心動かされた己の愚かさを嘆いた。

 心を落ち着かせる為、木下は廊下を歩きながら窓の外に目を向けた。曇り空の隙間から、陽の光が差している。少し青空も見えた。そして一度は荒んだ気持ちを立て直す。正しい事をしたければ偉くなれ、とは誰の言葉だったろうか。

 しかし偉くなることが目的になり、本来の道を見誤って大きな間違いを犯しては本末転倒だ。今回局長が事件を公にし、問題点がどこにあったかを明らかにすれば、多少なりとも世間を含めて同じ官僚達への問題提起になるだろう。

 この国に絶望するのはまだ早い。諦めることはいつでもできる。自分が官僚でいる限りたとえ微力であったとしても、内部から改善するよう働きかけられるのだ。確かに政治家や官僚による不祥事は絶えない。国民による信用も著しく失っている。

 しかしそんな私利私欲に走る愚かな奴らばかりではない。柳生局長のような人もいる。過去には死刑囚の命を救った、矢野元裁判長のような強者もいたのだ。そして多くの官僚達は勤勉に働いている。その努力を無駄にしない様、個々人がコツコツと地道に信頼を取り戻すしか方法は無い。

 人間だから間違いを犯すことはある。だが問題が起こった時こそ、どう対処するかが大切なのだ。その度に適切な処理を行いさえすれば、時間はかかるだろうがいずれ人心を取り戻すことは出来るだろう。

 まだこの国の先には僅かでも希望があると信じたい。その為にこれからは上を目指して仕事をするのも悪くはないと思った。もちろん正しい事を貫けるようにするためだ。木下は妻の顔を思い浮かべながら、局長室まで胸を張って歩いた。                        (了)

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