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二度とやるかとは言わないが

 なんとか魔物を征した私に対し最初にやってきたのは猛烈な吐き気であった。自分でやったのに何を言っているんだと思うが本当に死骸を見るのはしんどい。特に目が駄目だ。どこまでも無機質さに溢れるにも関わらずそれが有機物であると強烈に主張してくる。だがそれだけならまだ只の死体であるが、今回はさらにそれだけでは済まされない。干し柿のように萎びた新鮮極まりない狼の亡骸から荒々しく幹がうねってそびえ、そこから瑞々しい葉が茂っている。多少名のある芸術家が「これは芸術である」と一言すればそうなってしまうような、迫力と整った歪さを持ち合わせた造形をしているのだ。


 まずい、喉下までせりあがってきた。口を濯ぐ水もない状況で吐くのだけは避けたい、落ち着くんだ私。今にも吐きそうな状況から吐き気を抑えるのは得意であると自負している。口からさらさらとした唾液があふれ出してからが本番だ。間違ってもこれを溢れぬよう留めようとしたり、まかり間違って飲み込もうとすれば即バックドラフトだ。溢れるに任せ大地に唾液をながし続ける。


 ……よし、治まったか。そうだ、少女の方はどうなったか。


 よっこらせと呟きながら立ち上がり、少女のマナを頼りにあたりを捜索する。そう遠くない所から弱々しい狼の片割れの気配と、それよりも小さくなった少女の気配があった。


「大いなる魔を司りし者よ……糧をもって願い請う。風の刃と……其放つ(すべ)を。ウィンド、ダート……」


 詠唱と思われる少女の声とともに、地に倒れたその姿が目に入る。不自然な風を感じたのであろう狼はなんとか避けようとしているのだが脚の3本を引き摺るような動作では到底回避できる訳もなく、却って身体の側面を晒しその首を大きく切り裂かれ絶命した。


 狼が倒れるとほぼ同時に少女のもとにたどり着く。全身に傷を作りそこから出血しているが、致命的な部位は防ぐことが出来ているようだ。


「意識はあるか?こっちはなんとかなった」

「はあ……はあ……私の一番大きいポーチに薬草があるので、私に使ってください」

「使ってって……どうやって」

「葉を形が崩れない程度に揉んで……傷口に当ててください」


 言われた通りに背中のポーチを開け薬草を取り出す。ぱっと見の印象は大葉に近いが、触ってみると中に水が入ったような柔らかさがある。言い方は悪いが、火傷の後の水膨れに近い感触だ。そのまま両手に持ってこすり合わせるように揉み、腕の傷に当てる。気休めにしかならないだろうが、落ちないように両端を細い蔓で腕に縛りつけておく。それを全身の傷に繰り返す。服の上からの傷は脱がすのはしない方がいいらしいとうろ覚えにあったので、服の穴を軽く裂いて治療する。


 薬草が余ったので使った自分の右腕を含め、粗方処置し終えたがここで寝かせてもまともな休息とは言えない、三日目でもあることからこのまま村まで背負って向こうで看てもらった方がいいかもしれないと思い、少女を背負ってひたすら東に歩く。幸いにも重量は気にならないが、ただひたすら何時間も無言で歩き続けるというのは虚無感というか、私は一体何をしているのだろうかという思いで満たされていく。


「……何から何まで、ありがとうございました……」


 不意に少女が口を開く。さっきまで少しの間意識を失っていたようだ。


「私の寝床の近くで死なれたら、永いこと気分が悪くなりそうだからな」

「それでもです。……貴女のこと、何も知らないのにお世話になってしまって」

「いい、いい」

「……最後に、教えてくれませんか。貴女の名前とか、貴女が何者なのか……とか」


 この問いに対し、どう答えたものかとしばし考える。馬鹿正直に自分は神様だ。なんて言ってもからかっていると捉えられるか、本気で畏まられるかのどちらかにしかならないんじゃないだろうか。


 考えた末、どうにも答え方が分からなかったので馬鹿正直になることにした。


「名前はもう昔のこと過ぎて忘れてしまったよ。私は……植物神、樹と草を司る者。樹神とでも呼んでくれ」

「…………そうでしたか、なんだか、納得できました。そんな恰好をしているのも、気付いたら果実を持ってて、渡してくれるのも……あんな場所に、独りで佇んでいたのも」

「私ばかり教えるのもなんだか不平等だな、君のことも教えてくれよ。名前とか」

「そういえば、何も言ってませんでしたね。私の……名前は――――



 再び眠りに就いた彼女を背負ってまた歩き、とうとう生まれて初めて森の外に出た。少し先には煙突から細い煙が伸びた質素なログハウスが何軒も見える。


「何者だ!」


 長い木の槍を持った男が私の前に現れた。随分疲れていたので向こうから来てくれて助かる。


「薬草採りに森に入ったここの村娘が私の寝床に迷い込んだ。送り返しに来たが道中で怪我をしたので看てやってくれ」


 疲労が酷く口調まで気が回らない。偉そうだがもうどうでもいいだろう。真後ろを向いて背負っていた少女を衛兵らしき男に見せる。少女の姿を見た男は驚いて報告に村へ戻っていった。


「族長!娘さんが、娘さんが帰ってきた!」


 しばらく待っていると浅緑の服に色とりどりの糸を編んだり、木を削り出して作ったような装飾をふんだんに身に纏った壮年の男が走ってきた。さっき聞こえた族長とやらであろう。


「傷の手当てこそしてあるが身体を直す血や肉も、癒やす時間も足りていない。すぐ看てやってくれ」


「おお……我が娘よ……!7日も戻らぬ故、死んだと諦めるしかなかった私を許してくれ……」


 目の前でボロボロと泣き出す男に割り込んで声をかけたいとは思えなかった。なんとも面倒そうで。


「娘を救ってくれた貴女様と、大いなる方々に深い感謝を。我々に出来ること、渡せる物はなんでも御礼致します」


 これ私も「大いなる者」に含まれると気付かれたら大変なことになる奴だ。とはいえ今更態度を変えてもおかしいからあれだしもう察せられてたらドンマイだけど。


「形ある物は要らん、どうせすぐ朽ちてしまうのでな。私の望みはただ彼女が快復するよう努めてもらいたいだけ……あいや待て」


 一旦思考をし直し、真後ろに見えている世界樹を指差す。


「未来永劫、あの雲を貫く大樹、世界樹を害すことないよう頼む。あれに何かあると私の面倒が増える」


「元より見えども手の届かぬ物。いくらでも御約束致します。ささ、宴の準備をしますのでどうかこちらへ」


「いや、もう私は帰る。魔物の縄張りに開けた穴がいつ塞がるかわからんし、何よりこんな人の多い所には居られん」


 半ば強引に少女を族長に手渡す。


「私は今すぐ帰って寝る。人間は6日も7日も連続で活動するようには出来ていない。今回はガッツリ寝るから起きた時にはお前もとっくに寿命だろう。……間違っても起きるまで待とうとしたり、寝顔なんざ見に来たりするなよ。じゃあな」


 族長に抱きかかえられた眠る少女を軽く撫で、最後の挨拶をする。ほんの一瞬だけ、彼女がキラキラと輝いて見えた。


 元来た方角へ向き直し、すぐ家路に就く。これからまた三日歩かなければならないという事実に心の底からげんなりするが、あそこが私の唯一の居場所であることに間違いないので戻るしかない。幸いにも魔物を倒した場所は塞がっていなかった。おおよそ敵意のある存在を全て避けてただ歩く。休憩と睡眠時間以外は全て歩く時間に費やしたが、結局その二つが長いせいか5日もかかってしまった。


 すっかり心の中がこの世界に来た当初まで空っぽになった状態で自分の寝床に着いた。ただただ疲れた。こんなに面倒なことになるなんて分からなかった。今思えば人助けなんてするんじゃなかった。ただそこに在ればいいだけの存在だと言っていたじゃないか。今私に必要なのは十分な、十分な睡眠と、呆けるための時間だ。歩いた状態から立ち止まるプロセスを挟まずにベッドに寝転がり、意識を手放した。




――――ああ疲れた。何故私はあんなことを。

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