身体が求めるモノ
心と体が死んでたので遅れました。初戦闘です。
今日もいつも通りに……とはいかないもので、日の出とともに叩き起こされた。何故だ、私が何をした。つらい。あと500年くらい寝たい。
「今日出発するって言ったじゃないですか!昨日みたいに昼まで寝てたらいつまで経っても着きませんよ!?」
「いつかは着くよ……」
眠い目を擦りながら起き上がると真鍮髪の少女が兎であったろう肉を片手に私を叩いていた。しかもその奥には浅く土を掘って作ったと思われる焚火も見える。色々と突っ込みどころはあるが、まずあの短剣のようなナイフ一本で兎を仕留めたのだろうか?というか魔物は……と思ったが、この草地の周辺は魔物がいなかったか。
「どうやってそれを?」
片手の肉を指差し尋ねる。聞いてから思い付いたがもしかして罠の心得があるのだろうか。
「これですか?普通に魔法でですけど」
「なんと。魔法は魔石のある魔物にしか扱えないのでは?」
「多少の素養があれば魔石を持って祈りの言葉を正しく唱えることで魔法を使うことが出来ますよ」
「初めて知った……というか声を出したら相手に逃げられてしまわないのか?」
「声に出さずに頭の中で言葉を浮かべても出来ます。ただし一字一句間違えなく浮かべないといけないので言葉に出した方が簡単なんですよ」
そう言うと彼女は大きめの砂のような魔石を鞄の一つから取り出してそれを握り、同じ手の人差し指を立てながら何かを唱えるように口を開閉する。するとその直後立てた指の先から線香の先ほどの火が現れた。マナの流れを見ると魔石から体内を廻ることなく最短距離で人差し指の先に流れているのだなと確認したところで魔石と火が消滅した。
「それは私にも出来るだろうか?」
「出来ると思いますけど今は魔石が勿体ないので……今のは小さくなりすぎて使い道が無くなった物でしたから」
にべもなく断られてしまった。まあ魔石が必須でしかも使えば使えば使うだけ小さくなって消えてしまうのだから当然といえば当然だろう。
そのまま私に背を向け朝食の用意をしている彼女を眺め、火があるなら焼きリンゴもいいなと実を付けさせる。日除けの木が接木を重ねたパッチワークをなしているが気にしないことにしよう。
おもむろにリンゴとを手に取り調理器具があれば借りてよいかと尋ねる私を見て、彼女は相変わらず怪訝そうな、それでいて諦観の混じった顔をして承諾してくれた。
いくらなんでも薬草採りに出て遭難した人間が調理器具を持ってるはずはないだろう、馬鹿なことを聞いたと軽率な発言を言ってから後悔したのだがこの返答には驚いた。なんでも薬草採りというのは丸一日かけて行うことがほとんどで山菜や罠にかかった獲物で昼食を作って食べることも珍しくないそうだ。
まあ都合が良くて助かった。本当はリンゴをまるごとホイルで包み焼きにしたかったがアルミホイルどころかここには金気の物自体が無い。借りたナイフは黒曜石のような材質の物であったし器や鍋さえ総じて土器だ。
そんなことを気にしつつ浅い鍋で輪切りにしたリンゴを焼いていく。鍋に敷く油がウサギから採った物しかないのが残念だったが、そもそも先に焼いた兎肉を食べていたので思ったより気にならなかった。
腹ごしらえも済んだので出発の時である。千と数百年振りのまともな歩行であるが身に纏う植物のサポートのお陰で思ったより体が軽い。それでも最初はぎこちない動きになっていたが。
真東、今はまだ朝なので太陽の向きに歩くことになる。今はそれでいいが日が昇っていったら別の方法で方角を知る必要になるだろう。
しばらく森を歩いたところで生えている木の一本に手を当て、それに集中してマナの動きを見る。幹の中を上から下へ、あるいはその逆に流れるマナにはある程度位置の決まった疎密が存在する。道中にあった倒木を観察した結果、これは木の年輪の位置と等しい関係にあるのだ。
年輪は日の当たりによる成長差によって均一な円の重なりではなく南向きに間隔が広く北向きに間隔が狭くなる。ここから方角を読み取ることで多少の誤差はあれど東に向かうことが出来るだろう。
ある意味で勝手知ったる、そして初めて訪れる森をただ歩く。マナ感知で肉食の獣や魔物を避けて歩いているのでちょっとした地形以外の危険は皆無である。
道中で獣を狩り、調理と食事をする彼女を見守る。睡眠だけは譲れないので木々の枝を乗っても折れぬほど繁らせ、丁度いい寝床になる木を見付けたとのたまいそこで川ならぬリの字で寝る。
しかしそれも二日目まではなんとか出来たが何もかも上手く森から出られるとはいかないもので。
「……駄目だな」
「え?」
「この先どう通っても魔物の縄張りに入ることになる。迂回しようなら何日かかるかわからない」
「何体くらいと遭遇するかわかりますか?」
「狼型が一……いや、二頭かなあ」
「魔法はあと二回……非常用も使えば三回使えます。一頭ならなんとか出来そうですが……」
となると、私もどうにか手伝わないといけないのか……
当然だが私に戦いの心得なんて無い。……強いて言うなら大昔に取った「やってりゃ取れる」とよく言われる剣道初段くらいか。
取り敢えず近くの木から両腕程の長さのしっかりした枝を落としてもらうとして、これでどうにかできるとは到底……ん?
……枝よ、再び大地に根を張れ。……根を捨てまた私と共に。
枝を徐に地面に刺してマナを込め願い、もう一度願う。それに従って持った枝は根を出し入れする。……結構早いな、これはいけるかもしれない。取り敢えず上下を間違わないように根が出た反対側に葉を軽く付けてもらう。
「よし。私も戦おう」
「だ、大丈夫なんですか…?」
真鍮髪の少女は明らかに不安そうだ。まあ傍から見たら私はほぼ半裸の女性が長い木の棒を持っただけだからな。しかし私の力はこの草木の服によって増幅しているし、権能を使えばこの棒さえ必殺の一撃を繰り出すことも出来る。心配なのは私のセンスくらいだ。あれ?駄目では?
急に不安になってきたがここでやらねばやられる。覚悟を決めて魔物の縄張りの一つに立ち入る。ここで日和って縄張り同士の間を通れば最悪挟み撃ちである。一歩足を進める度に敵意、あるいは殺意と呼ぶべきものが強くなっていく。
歩を進める私達の前に狼のつがいが姿を現した。不意打ちをしないのはありがたいが、縄張りを侵した私達を明確に排除しようとする灰色の出で立ちは体が頭を置いて逃げ出しそうになるほどの気迫である。
「おそらく奴等はまず私達のどちらかに集中し頭数を減らすことを狙うだろう。互いの死角を補おう」
「なるほど…!わかりました!」
狼の最初の飛びつきをなんとか捌き、お互いに背を向け合い応戦する。しばらく戦った結論から言うと私の予想は完全に外れた。普通に二つの一対一という状況を作らされている。しかも相手の動きが速すぎる。目の前に集中しなくてはならず少女の状況を掴む余裕が無い。
体だけは動くため攻撃の対応は出来るが私の反射神経が足を引っ張っている。かつて一家で夕食をとっていた時代、姉に醤油を取ってくれと言われて手を伸ばし始めたときにはすでに母が醤油を姉に渡していた。私はそういうレベルの人間なのである。
前足の爪による一撃を右手に持った棒で防ぐ。その防御と同時に大口を開けた牙が右腕を襲い、強引に腕を戻して牙を避ける。そのタイミングで反対の爪が首筋を襲い左腕で抑える。
そんな綱渡りの攻防を繰り返してすぐ、狼が私の右手首に深々と喰らい付いた。ミシミシという音と共に強くしなやかな蔦の上からでも感じる確かな痛みが脳に伝わるが、戦いにより分泌される脳内麻薬は私に狼狽える許可を出してくれない。
離す気が無いのなら結構。却って好機である。
「Ahhhhh!!!」
全身の枝と蔓の補助を受け、剣道特有の裏声による絶叫を吐き出しながら狼の頭ごと近くの大木に裏拳を放つ。太さが一抱えほどある幹がひしゃげ、歪んだ頭の狼はなおも立ち上がろうとするが、普段ならともかく今はそれを待つほど虚無を頭に残していない。
棒の根を狼の腹に深く突き、全力のマナと願いを込める。
──根よ深く張れ、其を縫い止め吸い尽くせ。