贈り物は思ったよりも
草地に座り、今までと同じように座る。全身の力を抜く。瞼は重力に従って閉じ、下顎は弛緩した筋肉の張力と重力の釣り合いの取れた位置……要するに半開きになる。両腕をだらりと下げ軽い猫背となり、右脚はあぐらのように、左脚は軽く曲げ6の字を描くように座る。これが私の起きている時の姿勢である。
そうして日が落ち、眠気に従い草に寝転がり意識を手放す。そうして私の異世界生活一日目が終わった。
何に起こされるでもなく、自然に目が覚める。太陽の位置はほぼ真上、私が丸一日以上寝ていなければ二日目になる。目を開けてから体感で一時間ほど寝転がり、体がしんどくなったら起き上がり、前日の姿勢に戻る。
そうしていると、ふと自分の中に形容しがたい「流れ」のようなものを感じ取った。あなや失禁かと思ったが違うらしい。別段危害があるようには思えないし、そういうものだと気にしないことにした。
そうして瞼を開け独り言を言っているとふと正面の森の奥に頭ひとつなんてもんじゃない、雲を抜くほど大きく、幹もそれに見合った太さの大樹が見えた。あまりにも見事な威容であったので気が付くと日が暮れていた。
感動というものを味わったのはどれほど振りであろうか、人は年月を経るごとに人格も老化していくが、それは五感に触るものが既知のものばかりになるからと聞いたことがある。最も、私は三十路にすら届いていなかったはずだが。しかしここは異世界、私の心も若返るだろうかと考えた後、私は動かないから、あれと太陽である程度方角の基準になるなと関係もないことを思いつくのであった。
そうこうして数日、いや十数日だろうか?暮らしているうちにふと自分が飢えも渇きもしていないことに気が付く。ははあさては、真白の空間にいた彼の言っていた「多少作り変える」とはこのことであろうか。であれば、おそらくだが先日から私にくる「流れ」──取り敢えずこれを「気」と呼称することにする──は私が生きるための栄養や水、体の原料などを送り込んでいるのではないだろうか。有難いものである。何者かも聞いていなかったが、今思えばあれが神というものなのだろう。
月日の流れは変わらず、否、多少早く過ぎていく。にも関わらず私の体に違和感を感じないのは、私の意識と体の問題なのだろう。どうやらこの世界にも季節があるようだ。草が萌え、葉が茂り、花が咲き実りを迎え、枯れていく。私の体はどうやら極端な暑さ寒さの影響を受けないようだ。これは神に最も感謝しなくてはならないことだろう。雪というのは見るには良いが凍えて辛い。ましてや私は夏以外は寒いもしくは涼しいと感じてしまうものだったのだ。降り積もる雪を眺めつつ、埋もれたらどうしようかと考えながら私は眠りについた。