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『三十人の車両』

作者: Sady

『三十人の車両』


三十人が電車の中にいる。

電車は、停車する。同車両には三十人の人達が乗っている。ある土曜日の夕方である。買い物帰りのマダム。子供のクラブ活動のお迎えに行く父親。ドロドロで疲れ果てて半分寝ている子供。友達と一緒に映画を観た帰りの女子たち。しかし、何かが不思議である。


「ツーン」(空気の音)


三十人はみんな同じ方向を向いて眉間にしわを寄せている。何があったのか。ある人は、「早く電車を出せよ。」と苛立ち、ある人は、「かわいそうに。」と哀れさを感じ、ある人は、見たことをソーシャルネットワーキングサービスに呟く。またある人は、友達と一緒にあえてしょうもない話を少し大きめの声でする。


人それぞれの価値観。その価値観が違う人々が同じ方向を見ている。一点集中。映画館でクライマックスシーンを真剣に見ている時以上に。しかもみんな眉間にはシワ。しかしそれはショーによるものではない。ロンドンのアンダーグラウンドでは、アコーディオンが鳴り響く。「我の音色をいざ聞かん!」という様な形相で奏でるアコーディオンの音色は聞こえてくる音色を儚くさせる。しかしこれはロンドンでの話。パリのメトロでは、女性集団が一人の男を囲む。そしてピックポケット(窃盗)と言われる様な行動をとる。「幼稚な坊やは私の財布っ!」と言わんばかりに無造作にポケットを、あさり始める。しかしこれはパリでの話。日本ではない(日本ではありえない/日本の話ではない)。


そんなに田舎ではないが田舎というイメージである大分のとある電車の中で何故。なぜ、様々な価値観を持った人が一点を集中しているのか。しかも電車内で。人間的というか、畏れというか。慈悲の心であろうか。なんてつまらない言い文句なことか。社会心理学的観点からこの状況は考察することが出来るのであろうが、私にはわからない。大学の講義で「なんとなく」言われているのを「なんとなく」聴いていたくらいだからである。行動心理学的な所なのだろうとは思う。ただわからない。まあこれも社会規範が齎した社会の一つなのだろう。


そして停車していた電車のアナウンスが

「お待たせいたしました。発車いたします。次は別府、別府」

と、鳴り響く。


そして発車と同時に目線は、右から左へと皆同じ方向へ眼が向かう。それはテニスの試合中、観客の眼が右から左へと向かうように。そこで皆は、我に返る。自己の存在を思い出し、資本主義社会のもとへと帰還する。そして私はその一連の三十人の動向を俯瞰して語りカタルシス。


何があったかはいうまでもないことであろう。

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