第三章
第三章
目覚めると時刻は朝の七時。
僕は知っている、この感覚を。
一度目は眠たげでも清々しい感覚。
二度目は困惑と驚きの感情。
三度目はこの状況に慣れ、諦めにも似た感覚。
今回、四度目の卒業式の朝は複雑な感情だった。
感覚的には昨日の夕方。
相沢さんが針留に告白されていた光景。
あの光景を思い出すと悲哀の感情が溢れてくる。
しかし、あの出来事がリセットされてまた卒業式の朝に戻っている事実を考えると希望が持てた。
そんな風に思い耽っていると、勢いよく扉を開けて妹の夏音が入ってきた。
「ちょっとお兄ちゃん起きて……」
「あぁ、そのくだりもういいから……」
何度も見た光景に嫌気が刺していた。
「な、何よ!そのくだりって!? いつも一人じゃ起きれないくせに!!」
バタンッ。
少し涙目になりながら出て行く夏音。
ちょっと意地悪過ぎたかな……僕の反応……。
ふと棚の上に飾ってある高校の修学旅行で撮った班行動の集合写真に目をやる。
相沢さんと二ショット……なんてハードルが高くて撮れなかったから、帰った後に同行したカメラマンのお兄さんが撮ったであろう班行動の集合写真を買っておいたやつだ。
半分思い出、半分邪な気持ちで買った写真を綺麗に写真立てに入れて飾っている所を、ノックもせずに入ってきた夏音に見られたのも今じゃいい思い出だ。
あの時はクッション投げ付けてやったが……。
そんな事を思い出しながら眺めていると、その異変に気付いた。
「あ、相沢さんが…透けてる!?」
この場合別に相沢さんの下着が透けている訳ではない。
相沢さんの姿が薄くなって、背景が薄っすら見えていた。
「どういう事なんだ?」
僕はそれを見て、今起きているループ現象と相まってただただ混乱していた。
「ちょっと何してんの? 朝ご飯食べる時間無くなるよ?」
混乱していた僕を引き戻したのは夏音の声だった。
「あ、ごめんごめん。今行くよ」
立ち直った僕は着替えて食卓に着いた。
それでも僕はご飯の味がわからないぐらいに頭の中が真っ白だった。
「何ぼーっとしちゃってんの? お兄ちゃんまだ寝惚けてんの? 一人で起きてたと思ったら、脳みそは全然起きてないじゃない」
呆れ顔で夏音は言った。
「あぁ……」
僕は腑抜けた声で、腑抜けた返答しかできなかった。
「はぁ……だめだコリャ。もっと針留先輩とか見習ってしっかりしたら?」
針留……。
流石にその名前には反応せざるを得なかった。
「針留ね…」
「勉強できてスポーツできて顔も良くて……おまけに生徒会長とか。まぁ、あんな完璧人間がお兄ちゃんだったら気疲れしちゃいそうだけどね」
若干の夏音の優しさが胸にしみる……。
夏音は続ける。
「しかも確か針留先輩の元カノって二年生で今登校拒否してる子だって噂なんでしょ? 一部で噂になってんのよね……何があったのかな……」
「え? マジでそんな噂あんの?」
僕はキョトンとして目を丸くしながら答えた。
「まぁ噂は噂だけどね。でも二年生で一人だけ登校拒否してる人がいるのは確かなのよね……」
針留にそんな黒い噂があったとは……。
お、おい待てよ?
もしそんな女性関連に黒い噂を持つ針留と相沢さんが付き合う事になったら……。
僕は精神を保てるのか?
……いや、僕の話はどうでもいい。
相沢さんは幸せになれるのか?
一体、過去に針留は何をしでかしたのか?
「なぁ、夏音。その登校拒否してる女の子って名前は何ていう名前かわかるか?」
喜多川遥。
元バスケ部のマネージャーらしい。
夏音のやつ詳しいな……。
そこまで調べたのか?
うちの妹はスパイか何かですか?
とにかく良い情報は得た。
早めに身支度を整えて外に出ると、意外な光景が目に入った。
月野さんが家の前に立っている。
前回……三度目のこの日……確かに月野は僕の家の前で待っていたけど……こんな早くからいたの? 暇なの? ドMなの?
「や、やぁ早いね、お、おはよう」
「巡も早い。おはよう」
どうしたもんか……。
まだ待ち合わせには三十分もあるってのに……。
そういえば月野さんって学校での人間関係とか詳しかったかな……。
いや、興味無さそうだな……。
しかし僕は他の方法が思い付かなかった。
「まだ早いしうちで話さない?」
月野さんをリビングに通して僕はコーヒーを淹れた。
別に月野さんを初めて家にあげる訳ではないが、フランス人形のような容姿の月野さんがいつものリビングのテーブルにいると違和感が半端ない。
「私に何か話しでもある?」
月野さんがコーヒーを少し啜ってから話を切り出してきた。
「ちょっと聞きたい事があるんだ。針留の件で……」
「喜多川遥との事?」
え? 月野さんは僕の心を読んだのですか?
「よ、よくわかったね…」
「巡とは長い付き合い。すぐわかる」
高校の三年間って長いと言えるのかしら?
そんな疑問はさておき、知ってるなら話は早い。
「あの二人には何があったんだ?」
「タダじゃ教えない」
「え?」
僕にどうしろと?
「いつかご飯おごる。それでいい」
月野さんは少し頬を赤らめて言った。
「あ、ああ!そのぐらいなら任せろ!」
「うん……」
何でそんなに頬を赤らめるのか?
こっちまで恥ずかしくなってくる……。
月野さんが話してくれた内容はこうだった。
バスケ部のマネージャーである喜多川さんは、バスケ部のエースである針留に一目惚れして告白。
針留がOKして晴れて付き合う事になったらしい。
ここまでは良くある青春の一ページだったが……。
針留は普段学校では見せないが、喜多川と二人でいる時にのみ、たまに気性が荒くなり暴力を振るう事があったという。
耐え切れなくなった喜多川は別れを告げた。
しかし、学校中の憧れの的であった針留と告白し付き合い別れたとなれば他の女子が黙っちゃいない。
喜多川は孤立し登校拒否に……。
「針留にそんな一面があっただなんて……」
「針留健吾と喜多川遥が付き合ってたのは有名。巡、何で知らない? 巡も孤立してた?」
「さらっと人が傷つく事、卒業式の前に言わないでくれる?」
僕はちょっと悲しくなった。
「針留は何で普段は普通の状態でいられるんだ?学校とかみんなの前ではあんな優等生な振る舞いなのに……」
「ある言葉に反応して異常に怒るって聞いた。針留には怒りのスイッチを押される禁句がある。それは普段、学校とかでは絶対に言われないような事。しかもそれは近しい人でないと知らない事実。」
だから何で月野さんはそこまで知ってるの?
正直月野さんと針留が話してんの見た事無いんですが?
「ち、ちなみにその針留の禁句って?」
「タダじゃ教えない」
「またそれですかい!」
これ以上僕に何をしろと?
「映画、一緒に見にいく。巡のおごりで」
月野さんはまた少し頬を赤らめた。
「しかもまたおごりなんだね……」
「そう。タダじゃ教えない」
文字通り無料じゃ教えないって事か……。
「いくらでも付き合ってやる! で? その禁句って?」
「それは……」
待ち合わせの時間が近くなったので、僕と月野さんは家を出ていつもの待ち合わせ場所まで向かった。
待ち合わせ場所まで行くと相沢さんが笑顔で手を振っていた。
「巡君、月野さん、おはよう! ついに卒業式だね!」
「相沢さん、おはよう! そうだね、三年間早かったな……」
「相沢さん、おはよう。巡、おっさん臭い」
「わ、悪かったな! コメントがおっさん臭くて!」
「ふふふふ、二人とも相変わらずだね。」
そう、相変わらずのたわいも無い会話。
それでも僕らにとってこの登校時間は大事な時間なのだ。
しかし、今日の僕はそのたわいも無い会話ですら、ちょっとだけ上の空になっていた。
卒業式が始まった。
何の取り留めもない卒業式だ。
高校の卒業式だからって何も変わらない。
「皆さんはこの学校を卒業しても、さらに向上心を持って萌え声の発掘に勤しんで……」
普段と変わらない校長の挨拶が進んでいく。
しかし、僕にとってはこれから一大決心のもと、針留に勝負を挑まなければならない。
針留の卒業生代表の挨拶の内容も全く頭に入って来なかった。
卒業式が終わり最後のLHRが終わった後、相沢さんを目で追って僕は行動に出た。
放課後の相沢さんの居場所には今まで一貫性が無かった。
僕は相沢さんを尾行する事にした。
廊下を真っ直ぐ歩いて行くのを階段の曲がり角に身を隠しながら見ていた。
「巡、何してる?」
月野さんが怪しげな僕に話しかけてきた。
「うわっ! ……なんだ、月野さんか」
「なんだとは何?協力者、必要ない?」
朝、月野さんからいろいろ情報得られたからな……。
「一緒に着いてくる?」
「うん」
そんなやりとりをしながら相沢さんを尾行し続けた。
そんな時、僕はふと疑問が浮かんだ。
「そういえば何で月野さんは相沢さんと一緒に行動しないの?」
「相沢さんに放課後は用事があると言われている」
相沢さんの用事って何だろう?
そんな事を思っているうちに相沢さんが廊下の角を曲がった。
それを見計らって僕と月野さんは後を追う。
「あ、あれ?」
相沢さんがいない。
角を曲がってからほんの数秒の内に相沢さんは曲がった先の廊下から姿を消した。
「奥にもいない」
先に違う場所を探しに行った月野さんも見つけられなかったようだ。
「どこ行ったんだろ……」
僕らは八方塞がってしまった。
「巡、どうする?」
「とりあえず相沢さんが行きそうな所に行ってみるか……」
宛ては少しある。
僕がこの日の放課後を経験するのは四度目だ。
心当たりはあるんだ。
まず、図書室に行ってみたが相沢さんの気配は無い。
次に屋上に行ってみる。
「いないな……」
屋上にも相沢さんはいなかった。
「校門にも自転車置き場にもいないか……」
屋上から校庭を見てみたが、やはりいない。
「あ、針留……」
月野さんが針留を見つけたようだ。
「え? どこだ?」
「体育館の前」
見てみると本当に針留の姿が見えた。
「体育館裏とかそんなベタな所に呼び出してたりとか……まぁそんな訳……」
「体育館脇から入って行ってる」
「お、おい……マジかよ……」
もしすでに相沢さんが先に待っていたら間に合わない。
「ちょっと急いで行ってくるわ! 月野さんは?」
「後を追う。巡は早く行って」
僕は屋上から走って体育館までの通路がある方向へ向かった。
(間に合ってくれ……。)
体育館裏には相沢さんと針留がいて、今正に針留が告白しようとしていた。
まだだ……まだ間に合う……。
僕が息を整えていると。
「相沢さん。俺、相沢さんの事……」
や、やばい!
決まり文句来ました!!
僕は二人に声をかける。
「やぁ、こんな所で何をしてるのかな?」
「あ、巡君」
「巡……」
完全に告白を邪魔してしまったようで、針留は少しムッとしている。
「何か用か? 巡?」
「いや、偶然通りかかったんだ」
「こんな所、偶然でも通りかからないと思うけど?」
「そんな連れない事言うなよ。今日は卒業式なんだぜ?針留……いや白ブリーフ君」
その瞬間、針留の表情が変わった。
「い、今なんて言った?」
「え? 白ブリーフ君って…もっさりブリーフ君だったかな? もういっそもっさり君でもいいか」
針留は僕に向かって歩いてきた。
「てめぇ、ぶっ飛ばす」
針留は僕に殴り掛かってきた。
針留は見る限り我を忘れたような表情だった。
正直殴り合うつもりはない。
怒らせる事ができたならもうこれで充分だ。
「ちょっと針留君? 確かに巡君、変な事言ったけどやりすぎだよぅ……」
いまいち状況が理解出来てない様子の相沢さんは全力で困っていた。
そりゃそうだ……僕もここまで怒り、暴力を振るってくるとは思っていなかった。
抵抗しながらも、少し意識が遠のき始めた頃、遠くから声が聞こえてきた。
「剛力君、あそこ」
「おい、針留!そこまでにしとけ!」
月野さんが元柔道部主将の剛力君と共に現れた。
「あ、あいつ、俺の事を……俺の事を!」
「わかったから、わかったからもう止めろって……」
少し呆れ顏の剛力君が針留を羽交い締めにして連れて行ってしまった。
「月野さん……ありがとう……」
「剛力君は針留の幼なじみ。事情を知ってる」
何で月野さん、そこまで知ってるんだよ……。
そんな事を思っていたが、今はそれどころじゃない。
「相沢さん、何かごめんね」
「別にいいけど、何だったの?」
僕は返答に困った。
ここまでやったのはいいが、僕は殴られまくってボロボロ。
正直、告白どころでは無い。
状況を説明しようにも、全てを説明する事が出来なかった。
針留が相沢さんに告白しようとしたのを阻止した? 何故?
いろいろ説明すると告白の流れになってしまう。
もう僕にはそこまでの気力は無かった。
「ううん、何でもない。相沢さん、月野さん。一緒に帰ろう? 今日は卒業式なんだ。下校だっていつものみんなと帰りたいんだ」
僕は自然とこんな言葉が出ていた。
「うん、そうだね! 帰ろうか!」
「巡、汚い」
「う、うるさいなぁ!」
そんなやりとりをしながら三人で昇降口に向かい、学校を出て行った。
最後の下校を、三人で。
家に着くと夏音が玄関まで出迎えてきた。
「お兄ちゃんおかえり……って何でそんな汚い格好なの!?」
「あぁ、ちょっと帰りに転んじゃって…」
「あぁ、もう。お兄ちゃんったら卒業式の後だってのにドジなんだから!」
僕は強制的に風呂に入らされ、夜ご飯を済ませ自室に戻った。
ベッドに横たわり、一人で思考を巡らせる。
確かに今までで一番気持ちは晴れている。
しかし、心のどこかでこれで良かったのか?
というモヤッとした気持ちがあった。
「告白……出来なかったんだよな……」
結局、ハッキリした答えは出ていない。
取り繕って後回しにしただけなのだ。
それでも、明日への希望が無いわけじゃない。
相沢さんと針留が付き合わなかっただけでも、僕はまだチャンスが消えた訳では無いと言い聞かせていた。
「とにかくこれで、この非現実的な現象が終わればいいんだけどな……」
そう思いながら僕は眠りについた。
朝、太陽の光が眩しくて目が覚めた。
目覚まし時計の音がうるさい。
目覚まし時計を止めてうんと背伸びをしてみる。
眠たげな目を擦り、携帯電話の日付けを確認してみる。
日付けは三月一日。
今は卒業式の朝だ。