国家と人民と領土
今回の『空気と日光の所有権を主張する人々』は、”領土の所有権を主張する”国家です。
紀元前15000年頃、人類は農業を発明し、同一の場所に集団で定住するというライフスタイルが生まれました。
アルビン・トフラーが唱える農業革命です。
これにより国家が生まれ、領土という概念が生まれました。
領土内に住む人民を含め、領土内の一切の支配権を国家が持つとい概念です。
今日、多くの国家が民主主義であることを謳っています。
われわれの日本国憲法も主権在民を謳っています。
民主主義社会では、国民全員が基本的人権を有しているはずです。
ただ土地の所有に関しては、この国では国民に十分な人権が認められていないのではないか、と思うことがよくあります。
都市部の不動産は高く、国民は”うさぎ小屋”に住んでいます。
しかも生涯所得の大半をつぎこみ、生涯の大半を住宅ローンに悩まされながら、”うさぎ小屋”を購入するのです。
さらには住宅を購入すると固定資産税がかかります。
国民が自分で住む空間に対して、固定資産税は取るべきでない、というのが私の主張です。
呼吸をするのと同様、自分が寝る場所は必要ですし、そこに税をかけるのは、呼吸税と同じくらい窮屈です。
いくつもの別邸を持っている人や、膨大な敷地と豪邸を所有する人に課税するならともかく、貧しい国民から”うさぎ小屋”まで取り上げようとする行政のやり方には、心底憤りを感じます。
かつて奈良時代、墾田永年私財法というのがありました。自分が開墾した土地は永遠に所有することができるという法律です。
これをもう一度、復活させてほしいと思います。
西部開拓時代、ネイティブ・アメリカンが白人たちに手紙を書きました。
それによると、ネイティブ・アメリカンにはこれまで土地を私有する概念がなかったということです。
空や海と同様、大地はみんなのものであり、個人が排他的に私有するのはおかしいと彼らは回答したというのです。
結局、ネイティブ・アメリカンは白人たちに滅ぼされ、土地をみんなのものとする制度そのものも消滅しました。
しかしながら、自分が住む家ぐらいは簡単に確保できるという世の中にすべきであると私は確信しており、そうでない今の社会に対して、みんなで声を上げて基本的人権を主張していくべきでしょう。