無宗教の有神論者
宗教団体または宗教法人と呼ばれる組織があります。
神社、寺院、教会などを運営する組織です。
前回、太陽の所有を主張するのはおかしな話だと説きましたが、私に言わせれば宗教団体とは、太陽と同様みんなの共有物であるはずの神さまや仏さまの独占的所有権を主張しているようなものです。
自分たち宗教団体にお布施を払わなければ、人々は神仏の恩恵サービスを得られない。神仏に祈るにはまず自分たち宗教団体の指示に従いなさい、と言っているようなものです。
もともと無神論者にとって、ある意味、宗教団体は詐欺のよう存在ですが、実は有神論者にとっても然りです。なぜ、彼らは神仏の排他的独占権を主張する権利があるのでしょうか。
宗教団体の中にはトップが超能力者である場合があります。
霊が見え、霊のお告げが聞こえる、といった類です。
多くは詐欺ですが、中には確かに常人とはちがう超能力者もいるかもしれません。
でも超能力者は神さまではありません。
私たちより速く走れる人、歌や踊りがうまい人は世の中にたくさんいます。
速く走れたり、歌や踊りがうまい人も偉いことは偉いですが、彼らが神さまではないことを思い出してください。
宗教団体のカリスマもこれと同じです。
私はいかなる宗教団体にも所属していませんが、有神論者ではあります。
無宗教の有神論――これが私の信じる宗教、といったところでしょうか。
人間長く生きていると、自分が修行のためにこの世に生を受けたこと、そして何らかの目的をもってこの世に生を受けたことに感覚的に気づくようになります。
また自分が今、生きていられるのは自分の実力ではなく、神さまに守られているからであることにも気づきます。
宗教が様々な文化圏で自然発生したのは、おそらく私と似たような経験をした人が古代社会にいたからでしょう。
ただ私が信じるのは神さまだけであって、特定の宗教団体に属する人間の僧侶、神官、神父、牧師ではありません。
とは言え、親戚が亡くなったときには私は人並みに仏式や神式の葬式に参列しています。
マナーとしてお焼香を上げたり、玉串を捧げたりします。
肉親が亡くなったときは、気持ちの問題として葬儀はあっていいと思います。
ただ私たちが注意すべきは、宗教団体が強大化し、冠婚葬祭を執り行うだけでなく、政治や経済に大きな影響力を及ぼすようになることです。
どこの文化圏でも古代社会では、宗教家と政治家、科学者は一体でした。
科学の概念はなく、宇宙のことわりはすべて今日で言う宗教で説明し、宗教のトップが政治のトップだったのです。
たとえばかつてローマ教皇はヨーロッパ社会の権力の中枢で、各国の国王の上位に位置しました。
今日でも巨大な宗教団体の多くは、人民を救済するという名目で、実質的には人民を支配するための組織と言えるでしょう。
ネットジャーナリスト、リチャード・コシミズ氏(知らない人はググってください)によれば、ある種の宗教団体は国際麻薬シンジケートと癒着している、とのことです。
暴力団が麻薬でもうけた金を非課税特権の宗教団体に預け、マネーロンダリングしているのです。
つまり宗教団体は地下銀行のフロント団体だったのです。
この他、ある種の宗教団体は政治にも関与し、自分たちと癒着した人間を政治家にさせて政界を操り、信者たちに不正選挙の手伝いをさせている、とのことです。
宗教団体が肥大化するとこういう危険なことが起きるのです。
以前、勤めていた会社で、先輩が専門学校に営業にしようと調べたところ、どこの専門学校も経営母体が宗教法人でした。
宗教団体の中には、その総本山に一つの町を思わせるほど膨大な敷地を所有しているところが少なくありません。
日本国民が”うさぎ小屋”に住んでいる一方、彼らは非課税特権を利用して暴利を貪っているのです。
宗教団体をはじめ、非営利団体の税率は民間企業と同じにすべきだと私は思います。
また、宗教団体は政界を支配できるほど大きくなりすぎないよう、行政が監視することも大事です。
宗教団体の仕事は冠婚葬祭サービスの提供するのみ。
これを大きく超える資金力を彼らに持たせたら危険であることを、私たちは自覚すべきでしょう。