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不服な任務4

 領土を差し出してでも欲しがった娘だ。殺されれば自ずから火は点くだろう。

 実戦は魔物の討伐しか知らないルジェでも、戦禍は容易に想像できた。軍人が死に、民衆は疲弊し、上層部は勝利という名の妄執に固執していく。今のヴァルツと同じ――いいや、おそらくもっと酷いことになるだろう。『理ある者』同士が争うのだから。


「君には彼女の死後に、テアへの陳情役をしてもらう。『総統閣下は彼女の死を甚く嘆いている。貴国へ如何なる協力も惜しまない所存だ』ってね」


 人間同士で潰し合わせてエンを叩き、テアへ恩を売る。そんなところへ自分が一枚噛まねばならないと思うと、ルジェは眉間に皺がよるのを止められなかった。


「事情はわかった。それで、なぜ俺なんだ」


 代わりは幾らでもいるだろうと続ける間もなく、言葉を被せられた。


「『ラトゥール大公家』の名前は、今でも人間によく効くからねぇ」


 『大公家』。半ば忘れていた響きに、ルジェは不覚にも納得してしまった。


 大昔の契約で同族の三つの長には大公の地位が与えられている。かつての宗主国が改宗の対価に与えたとされているが、詳細は不明だ。貴族制があった頃はラトゥール、モエ、ルモルトンの三大公家のうち、最も資質に優れた者がヴァルツを統治していたという。


 けれどヴァルツは革命で大きく変化した。貴族制は廃止され、ラトゥール以外の二家は没落して久しい。昨今の若者はラトゥールと聞いて総統閣下と続けこそすれ、大公閣下とは思いもつかないだろう。大公も貴族も、今ではただの一領民だ。


 しかしラトゥールを見ればわかるように、軍の上位を占める甲種はほとんどが旧貴族に連なっている。実力主義の軍では資質が全てゆえ、必然的に旧社会の並び順に戻ってしまったのだ。五十年で元の鞘に戻るなど、一体何のための革命だったのか。おかげで旧体制を維持する人間たちと難なく渡り合えるとは、うまい皮肉だ。


「俺は態のいい伝書鳩か。人間には公子扱いさせておいて、同族にはただの尉官を遣わしたと言える。双方の顔が立てられるってわけだ」

「人間ごときに高官は送れないからね。今まで外交は支部に任せてきた手前もあるし」

「中尉程度なら、いざという時に切り捨てるのも楽だからな」

「おや、よくわかってるじゃないか」肩をすくめる仕草が嘘臭いったらなかった。「それじゃあ、早速よろしく。君ならわかってると思うけど、人間を中心に動いてあげなよ? 体力も桁違いに少ないし、魔物にも狙われやすいんだから。――あとそう、第一隧道が閉鎖中だから、第一山脈は旧道をちまちま登って行くしかないね」


 さらりと、とんでもないことを言われた。


「人間連れで山越えしろと? 無謀だろう。鉄道の復旧はいつだ?」

「君ね、新聞ぐらい読みなよ。この間の爆破事件の処理がそんなに早いわけないでしょ」

「軍の自作自演だと思ってたんだ、配給削減を目当てにしょっちゅうやってるだろうが。……大体、肝心なことが載らない新聞なんて、斜め読みで十分だろう」

「うわ、ほんと可愛くないよね、君って」ぼやきと一緒に今日の夕刊が投げつけられた。


 鉄道の爆破事件があったのは一ヶ月前だ。汚職で捕まった地方官吏を送致する途中、もろともに爆殺された。共犯者集団による口封じと思われる。この件で物資の輸送が滞り、配給の節減や大規模な節水が行われている。復旧は未定。


 一ヶ月も前の事件をまだ騒いでいるということは、事実なんだろう。いつもの偽装威示行為(デモンストレーション)なら、報道機関の連中はとっくに忘れたふりをしているはずだ。


「随分と長引いているんだな」

今回は(・・・)捜査があるからね。落盤も酷いし、当分通れないよ。第二山脈からは運行してるから、第一波山だけ回り込めばすむでしょう。波状山脈の中じゃ一番標高も低いしね」


 低いと言っても峠で標高四千(メートル)を超える。定期的に高地訓練をさせられる軍人はともかく、民間人なら同族でも高山病を起こすはずだ。人間なら、標高三千米以降は確実に。


 旧道は三合目までなら軍用車で行けたはずだが、あとは徒歩。標高の低いうちは運んでやれるとして、人間連れでどれだけの時間がかかるのか、綿密に計算しなければならない。


「護衛は丁度山向こうの支部が増員したがってるから、途中までつけてあげるよ。エン国に入ったら原則一人だけど――まあ、君の部署ならこの辺は何度か経験してるでしょう」


 言いざま、ラトゥールが蜜蝋で封じた封筒をさっと投げつけてきた。指先で捉える。


「はい、誓約書。大事にしてね。それから任務後の休暇は好きなだけ取ってくれていいよ。いっそそのまま帰って来なくてもいいくらい。僕が君の顔を見なくてすむからね」


 無邪気を装って言いたいことを言ってくる。殴ってやりたいぐらい良い笑顔だ。


「わかったら、お返事は?」

「……御意」渋々言葉を搾り出した。本当なら『総統閣下万歳』と続けなくてはならないのだが、そんな気分には毛頭なれない。


「ふふ、嫌そうな顔。仮にも総統の勅命なんだから、少しは光栄そうにしたら? 魔術師の護送なんて君の部署の本分でしょ」ついでに交渉するだけだよ、と事もなげに言う。


「ウチの管轄には違いないが……殺しの手引きだろう」

「うまくいけば英雄になれるかもよ。ルイ‐レミィの血を引く君に相応しい仕事だと思うけど?」


 その名を出された瞬間、ルジェの目元が鋭く細まった。


「汚い仕事を押しつけられるのが血筋なら、いずれは俺もお前に殺されると?」


 同族の英雄ルイ‐レミィは、前総統の密命をうけた暗殺者だった。標的は主に軍の高官、その中でも極一部の、狂気に駆られた甲種だ。


 甲種は優れた身体能力を持つ反面、殺戮欲求が強く、一般の同族よりも情緒が不安だ。若くして狂気にかられる者も多く、今では七一がきつく取り締まっている。


 けれどルイ‐レミィが現れる以前は『我々理ある者が魔物と同等になど成り得ぬ』という、一種強迫観念じみた常識がまかり通っていた。乙種でも狂えば手がつけられないのに、みすみす甲種を放置してきたのだ。特に旧貴族の閉じられた社会では顕著で、そのために数々の悲劇があったことは多くの歴史家が認めている。


 狂った同族の対処法は、殺してしまう他ない。


 当時の『常識』を維持して穏便に事を済ますには、強力な暗殺者を使う他なかった。そうして前総統によって選ばれたのが、名もなき男ルイ‐レミィ――ルジェの実父だった。


 ルイ‐レミィの名は初め、姿の見えぬ連続殺人犯として轟いた。甲種すら簡単にくびる、凶悪な殺人鬼。その汚名が濯がれたのは、彼の死後十年もあと、前政権が滅んだときだ。


 日増しに大きくなるルイ‐レミィの名が邪魔になった前総統は、当時側近だったラトゥールに始末を命じた。くしくも彼の学生時代からの親友だった、ラトゥールに。


 ラトゥールが手を下したとき、ルイ‐レミィはほとんど狂っていたという。


 それから十年後、ラトゥールは前総統を殺し、そのオマケとして現在の地位を得た。更に多くの高官を投獄、あるいは僻地へ追いやり、ほとんど完璧な復讐を遂げたのだ。彼に逆らう者はいなかった。歴代の総統の全員がそうやって入れ替わってきたのだから。


 そうして、それまで誰もが知りつつ口にできなかった、同族がいずれ必ず狂気に落ちるという事実が公にされ、狂人による犯罪の阻止を目指して第七一憲官隊が結成された。


 現政権下では、ルイ‐レミィは人々の平和のために殺した英雄だとされている。前総統にとって邪魔な有力者を排除するという側面もあっただろう。けれど彼の功罪のどちらが大きいかは、今も彼の墓を彩る花々が証明し続けている。

 加えて、その政治的宣伝力の大きさも。


 ルジェは静かに微笑み続ける養父へ向けて、冷たく言い切った。


「命令には従う。だが、それとあの男とは関係ない。混同するな」


 ルジェにとってルイ‐レミィは顔も知らない他人だった。それでも、彼と同じように利用されるのだけは気に入らない。英雄(プロパガンダ)など死んでも御免だ。


 睨みつけるルジェを正面から捉えたまま、ラトゥールが更に口の端を上げた。子供らしい薄い唇から、不釣り合いなほど太く強靱な牙がのぞく。


「……まったく。君は本当に可愛くないね」

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