表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/38

不服な任務2

 ヴァルツにおける階段は、文字通り各階にある『段』を意味する。最上階から地下まですっぽりとくり貫かれた円筒に、小部屋ほどの足場が螺旋状に並んで飛び出しているのだ。彼らの脚力でひらひらと飛び移れば、昇降機を使うよりもずっと速い。


 滞空中に追越しをかけてきた相手とぶつかりそうになり、ルジェは身を翻した。足場に片手でぶら下がって見上げれば、将校。危なかった。目上と何かあったら事だ。


 階段で接触事故を起こしそうになった場合には、階級の低いほうが中央の穴へ回避する。というより、落ちる。総統府だと最高で地上四八階から地下八二階まで、計一三〇階分の高さを一気だ。この穴は甲種という特に資質に恵まれた者が緊急時に使用するためのもので、一般に甲種の道と呼ばれている。一応、中央に鉄の棒が一本通っているので、反射神経さえ良ければ生き残れる計算だが、接触時に相手に蹴られ……という話もよく聞く。


 ルジェは指先で縁に引っかかったまま、下を見て溜息をついた。間接照明が輪になって連なる中央に、遠くぽつりと暗闇がある。あそこへ落ちていたらどうなっていただろう。


 たぶん、死ぬな。


 魔法が使える同族は身体的に貧弱なことが多い。ルジェもそうで、査定ではなんとか乙種で通っているものの、武官学校の身体検査では下から数えた方が早いくらいだった。


 そんな資質で魔法などを専攻してきたものだから、当然前線では使い物にならず、後方部隊をたらい回しにされたあげくに二年で中央へ差し戻された。半端な技能を揶揄して『五割の男』と呼ばれたくらいだから、相当ひどかったらしい。


 いっそ丙種に認定されていれば武官にならずとも済んだのにと、いい加減な査定をした医者を恨みつつ、彼はひらりと足場へ舞い戻った。


 ここは総統府の最上階。ヴァルツで一番高い所だ。地上は敵襲を受けやすい代わりに遠くまで見渡すことができる。そこに最強の守護者を配置するのが、この地の慣例だった。


 総統執務室。その最奥に座するだろう男の顔を思い浮かべ、ルジェは気鬱になった。


 角を曲がるたびに身分証を見せて、厳つい扉の前まで辿り着く。最後の衛官たちへ身分証を示そうとしたとき、出し抜けに相手のほうから呼びかけられた。


「おいお前、なんでこんな所にいるんだ。今日は東側の当番だったろう?」

「は?」

「ったく、何やってんだ。急がないと交代の時間に遅れるぞ。とっとと行け!」


 知り合い顔で追い払おうとされるが、ルジェには相手に見覚えがない。


 ……またか……。内心、うんざりと呟いた。


 ルジェは同族として極めて平均的な容姿をしている。黒髪や薄紫の瞳から始まり、身長、体重、体型とどれをとっても十人並みだ。すっきりと整った顔立ちも、美形揃いの同族に混じると埋もれてしまう。唯一の特徴は子供のように小さい喰歯だが、滅多に笑わないので気づかれにくかった。


 そんな特徴のない顔をひょいと見ると、同族は一瞬、自分の知り合いと混同してしまうらしい。親しげに他人の名前を呼ばれたことが何回もある。それも、それぞれ違う名前で。


「失礼ですが、貴官は人違いをしておられます。自分は――」

「んなわけあるか。同期を見間違えるバカがどこにいる!」


 ここにいる。とは言わず、ルジェは手の中の軍隊手帳を差しだした。

 衛官がそれを受け取る寸前、いきなり目の前の扉が開いて赤毛の男が大声で怒鳴った。


「何事だ。恐れ多くも総統閣下の咫尺で、騒がしいぞ!」

「ロイ執行大佐殿!」さっと、衛官たちが足をそろえて右手を軍帽の鍔元へ添えた。「申し訳ありません。私の同期が配置を間違えておりましたので、注意しておりました」


「はあ? お前の同期? こいつが?」急に声色を変えて、ロイがルジェを見下ろした。測れば十(センチメートル)ばかりの身長差が軍服を着ているといやに開いて見えた。


 彼はロベルト・ロイ。光に透かした紅茶のような、くどい赤毛が目をひく男だ。今年で三十になるというのに、青い眼がいつまでも悪戯じみているせいで、三つは若く見える。いや、実際に肉体が若いのだろう。同族の年齢は外見に比例しない。

 ロイはルジェの不機嫌な顔を見て、ぷっと噴きだした。


「お前、また間違えられてんのか。難儀な奴だなぁー」


 言うなり、ルジェの軍帽を上からわしゃわしゃと捏ね回し始めた。この男はいつでも満遍なく馴れ馴れしい。この前も酒場の女主人に『そうすると年の離れた兄弟みたいね』とからかわれたばかりだというのに。


「やめろ。鬱陶しい」


 ルジェがぞんざいに手を払うのと、衛官が目の色を変えたのは同時だった。


「貴様! 上官に向かってなんという口の利き方を。そこへ直れ! 根性を叩き直してくれる!」


 久々に聞く武官らしい物言いに、ルジェは一種感心した。衛官はヴァルツ近辺の守備を担う中央守備隊に属する。ほとんどが文官のような武官が集う中央で、数少ない脳筋族だ。

 殺気立つ衛官へひらひらと手を振り、ロイがへらりと笑った。


「いいのいいの。こいつ、これでも俺の同期だから」


 ロイの言葉に衛官たちが止まった。まじまじとルジェの顔を見る。

 ルジェの外見は人間を基準にして二十歳ほどだった。


 同族の肉体は経験の蓄積、すなわち精神の成長に比例している。ルジェの体は十代の後半から伸び悩み、二十歳で成長が止まった。つまり三十路にして精神が二十歳の頃のまま。恥である。特に若いうちに成長が滞ると学習能力のないバカと思われがちなので厄介だ。


 こういった同族の性質から、軍では主に階級から年齢を推測するのだが……。

 衛官の視線が素早くルジェの肩章を走った。

 彼の肩には赤紫の六芒星が二つ。間違いなく中尉だ。前線でさっさと二階級特進する奴らのおかげで昇進速度の速い今の軍では、三十歳で少佐が平均にもかかわらず、中尉。兵士を士官に切り上げた現行の徴官制での、ほぼ末端である。彼の低階位は同期の中でも特出していて、現にロイは大佐相当だ。こいつは少々特殊だが。


 これ以上なめられる前に通りすぎようと、ルジェは身分証を見せようとし、そこに記された自分の名に気づいた。胃がキリリと痛む。これから下される、更なる比較を予見して。


「はっ、ルジェ‐ラトゥール殿ですね。ご訪問は伺っております。総統閣下の」さあっと、相手が血の気を失った。「ごしそ……いやご養子、で、あらせられる?」


 相手の語尾と口元が引きつっていた。それを見てロイがもう一度噴き出す。

 内心溜息をついて、ルジェはいつもの言い訳をした。


「養子など名目です。扱いは階位を見ればわかるでしょう」

「は、はぁ……」


 ヴァルツには孤児が多い。婚姻制がないため、たった一人の親に先立たれるだけで路頭に迷ってしまうのだ。年々増えゆく孤児を少しでも減らそうと、軍立孤児院では一部を高官の養子に斡旋している。内実はほとんど食客扱いだが、彼らはみな出世が早く、二十代を終える頃にはさっさと将官になっている。前線で命を落としさえしなければの話だが。


 親が親なだけに、ルジェの昇進の遅さは目立つ。名乗るだけで無能の証明になるので、ここ何年かは氏名を口にしない方針で生きてきた。


 憐れみか蔑みかわからない衛官の視線に耐えていると、ロイが扉の向こうから手招いた。「さっさと入れよ。今なら口煩い――もとい、我らが饒舌なる総統つき秘書長閣下もご不在だ。好き勝手できるぜ」と爽やかに歯を見せて笑っている。


 この部屋は総統執務室へ続く待合室にあたる。入り口から左は一面硝子張りで、ヴァルツの南が一望できた。残りの三方には絵画や陶器、武具を始めとした所有者自慢の品々が並んでいる。嵌木細工の施された床には上質な平机と革張りの長椅子が置かれており、机の上にはロイの軍帽が無造作に乗っていた。


 入り口の右手には秘書机があるものの、今は誰もいない。その少し奥、右側の壁には生花をふんだんに活けた大壷を左右に配して、総統執務室の扉があった。中には二つの気配がある。来客中のようだ。

 隣室に気をとられていると、ロイがルジェの軍帽をひょいと取り上げた。


「相変わらず冴えない顔してんなぁ。ちゃんと喰ってんのか?」

「ほどほどにはな。正直、これ以上胃に負担をかけたくない」

「お前、昔っから『喰』が細いもんなー。あ、飴ちゃんあるぞ。食うか?」

「いらん」素気無く言って、帽子を奪い返す。


 同族として恥ずかしい話だが、ルジェは血液を大量に摂取すると胃痛に見舞われる。少量で長持ちする体質なのもあり、配給量は成人男性の五分の一、十歳の少女よりも少ない計算だ。本人はそれで幸せなのだが、大の男が小さな血液(パック)を啜る様は隣で見ている者をえらく切なくさせるらしく、しょっちゅうロイのようなお節介な輩に「運動しろ、外に出ろ、肉を食え、酒を飲め」と根拠のない滋養のつけ方をさせられている。


 ルジェは執務室の反対にある硝子張りの一面へ背中を預けて、腕を組んだ。


「で。なぜお前がここにいる。執行大佐とは総統室へ遊びに来れるほど偉いものなのか?」


 隣で暢気に広場を見下ろす男の腕章を引っ張った。葡萄酒色に黒の憲官紋が入った腕章には、同族なら誰もが畏怖を覚えるはずだ。秘書長が逃げたのもこれのせいに違いない。

 ロイは嫌そうに身を引いて、腕章を正した。


「単刀直入だねぇ。もちろん任務でだよ。けど『俺の』ってわけじゃない」顎で背後の扉を示すと、肩をすくめてみせる。「新人研修の付き添いってヤツだ。うちの部隊じゃ、新入りは根性づけにまずココへ送られるんだよ。お前の親父さんほど見極めが難しいのはないからな。ま、大抵はあっさり黒判定出して、隊長に拳骨食らうんだけど」

「あれが黒じゃないと?」

「冗談。あれでいて、あのおっさんはまったく耄碌しちゃいないんだ。よく狂人の振りするやつぁもうアレだとか言うが、見抜いてこその本職(プロ)だからな」


 ロイの所属する七一憲官隊は憲官の中でも一種独特な分野を担っている。同族の中から常に一定数現れる狂人を見つけ出し、独断で屠る権限があるのだ。


 強靭な肉体を持つ同族が理性の統率を失えば、小振りな魔物が一体増えるも同じ。その被害が出る前に迅速な対処を、というのが七一の名目だった。容赦のない同族(吸血鬼)殺しを揶揄して、しばしば混血児(ダンピール)とも呼ばれる。


「領民の平和を守るのがお前らの仕事なら、今すぐあの男を糾弾すべきだと思うが」

「それは警邏のお仕事だ。俺たちの任務は主に対象の保護観察だからな。どうしようもなく身の危険が迫ったときにだけ、自分の命を優先できるって権限があるだけで――」

「つまり飼育員かつ屠殺士、と」

「人間の保父さんしてる奴に言われたかぁないねぇー」


 にやりと笑いかけられたのを無視した。

 しかし相手もこちらのあしらい方を心得ている。なんでもない顔で話を振ってきた。


「新人君も可哀想だよな。あいつ、どことなくお前と似たトコがあるから、今頃あのオッサンに嬉々として遊ばれてると思うぞ」

「あの男に会っていびられない奴がいたら、俺は頼み込んででも弟子入りするね」

「そりゃあ違いない」カカと笑って、ロイが窓から離れた。ひと飛びで秘書机を越えると、奥から酒瓶を見つけ出す。悪戯じみた笑みで机越しに軽く掲げてきた。

「お前、任務中じゃないのか」

「いつも秘書が出してくれるぞ。まだまだ当分かかるし、構わんだろ。お前も要るか?」


 ルジェは首を横に振った。これからあの男に会わねばならないのに、酔ってなどいられない。たとえ瓶の中身が酒ではなかったとしても。


「当分かかるって……どのくらいだ?」


 長椅子へ戻ったロイはさっそく酒杯を舐めていた。


「さあ、なんとも――あ、まさかお前、俺たちが帰るの待ってる?」

「できれば」あの男にいびられるのを見られたくない。

「諦めるんだな。終わるのを待ってたら日が登ってまた沈むぞ。寝床から便所まで、対象日常を細やかに観察し尽くしてこそ、正確な審判(ジャッジ)ができるんだ。誰と何を話してるのかも重要な判断材料だからな。俺らのことはまあ、空気だとでも思って頑張れ」

「うざい空気だな……」

「いま俺見て舌打ちしただろ。絶対しただろ」


 聞こえない振りで扉へ向かおうとしたとき、ルジェの背後から日の出の鐘が響いてきた。

 何気なく振り向いて外へ目を向けると、赤煉瓦を敷き詰めた広場の向こうで時計塔の鐘が揺れていた。同じく煉瓦作りの古い塔は、その下に広がる広場と一体化して、荒野の赤が立ち上ったようだ。


 広場には帰路につく同僚がまばらに歩いていた。何人かは広場を一周するように配置された英霊たちの墓へ一礼し、去っていく。その中に一際多くが足を止めるものがあった。


 同族の英雄ルイ‐レミィの墓だ。周りには幾つもの花や酒瓶、剣が捧げられている。現総統が就任してから二十年間、彼の墓だけは花が絶えたことがないという。

 また一人また一人と墓へ敬礼する様を眺めながら、ルジェはロイへぽつりと問いかけた。


「まだ、続けるつもりなのか」


 硝子に映ったロイが酒杯に口をつけたまま、器用に片眉を上げた。「なんのことだ?」


「この仕事だ。もう人事に掛け合ってもいい頃だろう」


 一拍の後、ロイは静かに杯を置いた。組んだ膝の上に両手を重ねる。


「……まあ、な。だが七年目にもなると、内部の事情にも詳しくなってくる。簡単には抜けられんよ。いっそ魔物の大群でも攻めてくるか、戦争でも起こってくれれば、大手を振って前線に帰れるんだけどさ」


 不穏な内容に反して苦笑は穏やかだった。自分の定めを受け入れているのだろう。

 だがこの男の本性は戦士だ。ルジェはそれをよく知っている。


「それに、この仕事も嫌なことばっかりじゃないんだ。たまには誇りに思うときだってある」薄く微笑んでロイが窓の向こうへ視線を投げた。彼の位置からは見えない遥か下へ。「なにしろ英雄ルイ‐レミィの遺志を継ぐ、たった一つの部隊だからな」

「あれはただの大量殺人犯だ」言い切る声は重く、冷たい。


 二人の間に流れていた空気が止まった。


「ルジェ。それは昔の話だ。今では英雄なんだよ、お前の――」

「知っている。軍のために殺し、軍に裏切られて死んだ愚か者だ。お前が望んで同じ轍を踏もうというのなら、止めはしないが……」

「ルジェ!」かっとなってロイが立ち上がり、扉へ向かうルジェの襟首を掴もうとした。


 その手が届く前に、払い落とす。


「――俺なら、とうに見切りをつけている」


 ルジェの薄い背中が扉の隙間に滑り込む。同時に、背後から悪態が届いた。


「……くそっ。お前、今度呑むとき覚えとけよ。べろっべろに潰してやるからな!」


 的を外した捨て台詞に苦笑して、ルジェは思う。お前に酒で勝てたことなんかねぇよ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ