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残酷な裏切り9

 テアの王城は混迷していた。ありとあらゆる人間が切迫した顔で駆け回り、騎士や兵士とおぼしき男たちがあちこちで怒鳴り声を上げている。給仕の女たちは哀れにもすくみ上がり、そんな男たちの邪魔をしないよう壁へばりついていた。


 その様子を横目で見ながら、ルジェは混乱を利用して城へ侵入した。面会の申し込みが多忙の一言で断られたのだから仕方ない。あいにくとアテはあるのだ。


 少尉に渡された城の内部図を思い出しながら、ルジェは国王の代わりに総指揮を務める王太子の執務室を目指した。しかし出入りの者が多い割に、本人はいない。


 どうしたものかと物陰に潜みながら考えているうちに、王太子が戻ってきた。何やら若い女連れで、人払いまでしてくれている。これは好機だ。


 王太子と若い娘は揉めているようだった。一方的に娘が太子へ食って掛かっている。


「なぜですか殿下! 私だって精導士です、戦へ参加させてください!」

「女性を戦地へ赴かせるわけにはいきません。貴女はまだ若い……それに、精霊も地属性しか扱うことができないでしょう?」

「自分の未熟さは承知しています。でも! 私だってこの国を守りたいのです!」

「――なにも戦うだけが魔法ではないだろう」


 思わず物陰から歩み出て話へ割り込むと、二人はぎょっとしてルジェを見た。


「! 貴方は……!」太子が即座に顔色を変えた。


 ルジェは二人へ歩み寄った。今回は黒眼鏡をしているので過呼吸の心配はない。


「娘、地精霊が扱えるなら兵士に変わって塹壕掘りでもしてやれ。あれは意外と戦力を削ぐからな」前線で回された後方部隊を思い出す。あの頃は円匙(シャベル)で魔物と渡り合えるぐらいだったが、今は難しいだろう。「もし地形を変えるほどの力があるのなら、戦略単位の作戦になるだろうから、現場の指令官にも当たっておいたほうがいい。それと……」


 いきなり現れて輸送路の整備だの、効果的な落とし穴の配置だのをつらつらと講釈するルジェを、娘はぽーっと見つめていた。が、突然我に返って頭を下げた。


「あっ、ああありがとうございます参考にします!」言うなり、逃げるように走り出した。

「待ちなさい!」太子の制止と同時に、扉が勢いよく閉まった。


 太子は深呼吸のような溜息をついてから、きっとルジェを見返した。「公子殿、勝手なことを仰らないでいただきたい。我が国では精導士は私の直轄となっているのです!」


 侵入したことではなくそこを指摘するのか……。人間の価値観に一種感心しながら、ルジェはしれっと答えた。「それは失礼した。日頃の癖が出てしまったようで」

「貴方も精導士の指揮を?」太子は毒気を抜かれたようだった。

「そんなところです。それよりも、本日は貴方に提案したいことがあって参りました」


 慣れない笑みを作る。危うく引きつりそうになった。


「我々を使うおつもりはないですか? 無論、いくつかの条件がありますが……」

「今さら多少の戦力を提示されても困る、と言うのが正直なところです」


 太子の声は警戒に満ちていた。琥珀色の瞳は昨日よりも数段険しい色をしている。おそらくフェルネットの件で同族を疑っているのだろう。あの支部総司令が証拠を残すような真似はしていないと思うが、ここでぼろは出せない。言い訳して妙な勘ぐりを受けるのも面倒で、ルジェは相手の態度に気づかなかった振りをした。


「我々はまだ、テアに勝機はあると考えていますが」

「何を言って……あなた方は魔法を、いや精導士というものをご存じないのでは?」

「それはこちらの台詞です。貴殿ら精導士は、魔術師を根本的に理解していない」


 ルジェの声には若干の恨みが籠もっていた。


「我々は精霊の助力無しで魔法を使う。つまり、大気に満ちる自然魔力ではなく、自らの体内にある人造魔力を使うのです。フェルネットの力で自然魔力が使えるようになろうとも、これまで研鑽してきた魔力回路をまったく切り替えるのは難しく――無意識に自分の魔力を大魔法へ回してしまう。一撃でぶっ倒れ、人間なら回復に丸一日かかるでしょう」


 ルジェは大魔法を使った直後の自分を思い出した。骨の髄まで魔力が空になって、しばらくは使い物にならなかった。あれは普段の鍛錬が徒になったからだ。剣術でもそうだが、使い慣れた形式を変えるのは難しい。これは人間の魔術師だって同じだろう。


 精導士は自分の魔力を使う習慣がないから、精霊が言うことを聞くようになるだけで簡単に大魔法が使いこなせるようになるなどと思えるのだ。そんな奴らが国の上層部を占めていれば、色々と間違うこともある。そこがルジェの狙いだ。


「初撃さえやり過ごせば、後は互角に持ち込めるはず。敵も阿呆ではないでしょうから、二戦目からはそうもいかないでしょうが……――その前に、我々が」


 所詮、魔術師は消耗品でしかない。残りの精導士はテアに任せ、魔力が回復するまでに雑兵を軍の力で叩きつぶせば、エンなど大した敵ではないのだ。……理論上は。

 王太子は琥珀色の目をいっぱいまで開いてルジェを見、喘ぐように呟いた。


「……あなた方の目的は何ですか? また領土を? それとも金子をご所望ですか?」

「それをご自身で決めていただきたくてね」

「え?」


 ルジェは持参した封筒から書類を取り出した。荘重な作りの執務机へ広げて見せる。


「同盟会議の場を用意してあります。ヴァルツとテア、双方のために手を組みませんか?」

「しかし、もはや一刻の猶予も」

「戦場の近くに我々の古い地下施設があります。戦の途中で貴方が抜け出せるよう計らうのも、我々ならばそう難しくもありません。もし乗り気ならば、事前に金一千にて一小隊三十名を貸し出すと、パルフェ・タムール支部総司令も申しております」

「吸血鬼を三十名……」ごくりと太子の白い喉が鳴った。さぞや魅力的な提案だろう。

「その為に一つ、条件があります」ルジェは感情を抑えた声を出した。「フェルネット・ブランカの殺害許可をいただきたい」

「……!」

「勝算がなければ我々としても動けません。彼女が死ねば、その場でエンの敗北が決定する……。やるやらないは貴方次第です」

「しかし、あの子は……」太子は口ごもる。書類から目を逸らすように俯いた。

「悪い話ではないはずです。上手くいけば、即日戦争を終わらせることもできる」


 焦るように言葉を重ねたルジェを、太子は苦しげに見た。その琥珀色の瞳に映った自分もまた同じように眉をひそめていて、ルジェは一瞬、妙な連帯感を覚えた。


 太子は悩ましげに呟く。「……わかってはいるのです。城内にも彼女を処分すべきだという声はありますから。しかし……」骨の細い手が固く握りしめられた。「しかし、フェルネットは私の妹なのです。それを、殺すなど……!」

「フェルネットが、テアの王女?」

「腹違いですが、私にはたった一人の兄妹です。……父は生まれ付き体が弱かったので」


 ルジェは改めて太子を見た。確かに口元や骨の細い骨格の雰囲気が似ていなくもない。髪色はフェルネットの真珠色と比べてはっきりとした黄色だが、どちらも金髪の類だ。


 てっきりこれから王家の血へ取り込むのだと思っていたが、既にその点は抜かりがなかったらしい。おそらく取り込んだはいいが力を制御できずに、大森林へ封じたのだろう。


 太子は目を伏せた。「もう彼女を殺すか、大森林の最奧へ匿う以外、道はないでしょう。……ならば二度と会うことが叶わないとしても、兄としては生きていて欲しいと――」

「一つお尋ねしたいのですが」真剣な相手の言葉をあっさりと遮り、ルジェは懐から黒精霊を封じた球を取りだした。「精導士である貴殿ならば、この玉の封印を解けますか?」


 ふと不安になったのだ。彼女はただ精霊の娘であるだけでなく、王家の精導士としての血まで引いている。並の精導士に彼女が施した封印が解けるのか、と。


「これは……? 精霊が、嘆いている」太子はじっと玉を見つめた。「この精霊はもう夜を超えてしまっています。術式もなしで命令を守り続けるなんて……」琥珀色の瞳がルジェを見上げた。「フェルネですか?」


 頷き返すと、太子は思案げに眉をひそめた。


「ならば私が説得したところで、この精霊は受け入れないでしょう。精霊は一日で組成が変わりますから、普通は術式なしで長時間の使役はできません。しかしフェルネはどんな組成の精霊からも強く愛されます。それは理屈ではありません」

「フェルネットでなければ、この魔法は解けないと?」

「ええ。もしくは彼女以上に精霊に愛される者でなければ」


 ここへ来て、これか。


 ルジェは額に手を当てて深く溜息を吐いた。自分の決断がどれだけ愚かなものだったか、一時間と経たないうちに証明されてしまったのだ。嘆きたくもなる。


 彼は自分に盗聴器が仕掛けられていないのを確認してから、太子へ顔を寄せた。


「貴殿は彼女を殺すのに同意できないと言いましたね」のけぞる相手の肩を掴んで押さえ込む。低い声で囁いた。「これは当方との密約ということで、提案したいのですが……」

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