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残酷な裏切り6

 ルジェたちが城へ忍び込むのは思ったよりも簡単だった。軍の派遣した暗殺者が既に進入していて、警備は崩されたうえ、結界も偽装されていたからだ。侵入者に殺されたとおぼしき守衛の様子や、それがまだテアに気づかれていないことなどから、相手が進入して間もないこともわかり、ルジェは不謹慎ながら少しだけ胸をなで下ろした。


「殺す必要があったんでしょうか……」結局ついてきたリダーが守衛の死体を見て呟いた。

「さあな。それより急ぐぞ、リダー」

〔こっちです。三人とも早く〕


 フェルネットの案内で東棟の尖塔へ向かう。蔦の巻いた石壁をよじ登り、最上階の露台へたどり着いたとき、むっと甘い血臭が漂ってきた。少女ひとりの血量を遥かに超えた匂いに、ルジェは鳥肌が立った。


 床には無数の死体が転がっていた。だがそれよりも彼の目を釘付けにしたのは、部屋の中央で喉を掴まれているフェルネットの体だった。宙づりにされ、苦しげに呻いている。


〔黒ちゃん!!〕


 少女を片手で持ち上げている者は、頭から被った長い外套と覆面で、顔はおろか姿もよくわからなかった。さらに指先まで幾重にも巻かれた包帯が神経質なほどに露出を断っている。それらは全て血に汚れ、濡れ光っていた。


 ルジェは即座に剣を抜き、ラトゥールの首を掴む手へ斬りかかった。手首ごと落とす、そのつもりが華麗に足を捌かれて、見事に避けられた。体勢を立て直す間もなく蹴りが飛んできて、彼は間一髪飛び退いた。速い。


「同族か……」ルジェは苦々しく呟く。暗殺者には人間を使うと思っていた。テアに疑われるようなことがあったら厄介だろうに、あそこの支部は何を考えているのか。

「いいじゃないか、やることは変わらんだろ」ロイがすらりと剣を抜く。その目は鋭く光っていた。「あの子を回収して速やかに撤収、だ」

「先輩、待ってください!」焦った声がした。リダーは露台で足が竦んでいるらしい。


 新人の制止も聞かず、ロイは長外套へ駆けた。懐へ潜り込んで横へ一閃。更に追撃する。

 しかし敵は素早く、外套の端も斬らせない。ラトゥールを抱えたままひらひらと後退し、ロイを翻弄する。それでも連撃するロイに業を煮やし、長外套は少女を放り投げた。合わせて懐から小刀を取り出し、ロイの剣戟を受ける。


 ルジェはラトゥールが壁に叩き付けられる前に受け止めた。


 ついてきたフェルネットが自分の顔を覗き込む。〔大丈夫、黒ちゃん? 痛くない?〕

「な……んで、君らが」ラトゥールの声は掠れていた。「逃げるんだ、早く!」


 しかしルジェは動けなかった。傍らにあったそれに気づいてしまったからだ。

 暗い部屋の一角には、死体の生首が山のように積まれていた。その首のいくつかは不自然に髪がずれている。いや違う、かつらを被っていたのだ。


 月光を返す彼らの地毛を見て、ルジェは呆然と呟いた。「まさか、あれも同族……?」


 部屋中に転がる死体は、どれも巧妙に人間に偽装した同族だった。ずれた鬘の下から覗く地毛はどれも銀髪だ。黒髪が圧倒的に多い同族の中で、特権的な意味を持つ色。


「この死体は全員……甲種か」

「なにィッ」敵と切り結んでいたロイが生首の山を一瞥する。


 その隙を突いて、長外套がロイへ凄まじい蹴りを放った。


「ぐ――」真正面から胸を蹴飛ばされ、ロイの体が勢いよく宙を飛ぶ。


 そのまま背で窓を突き破って、塔の外へと落ちていった。


「先輩!」


 次の瞬間には、長外套はルジェの目の前にいた。月光に小刀が艶めいた。

 とっさにラトゥールを投げ飛ばしたのが隙となり、ルジェは胸を斜めに切り裂かれた。焼け付くような痛みが襲い、短く呻く。フェルネットの悲鳴が耳を突いた。


 翻る切っ先が自分の首を狙った。〔だめ――!〕痛みに抗いながら、ルジェは呻きに混ぜて短い呪文を放った。


 鋭い風が巻き起こり、長外套を切り裂く。顔を覆った外套が落ちたが、それでも覆面とその下に巻かれた包帯で顔はわからない。ただ赤い目だけが見えた。

 だが相手はそれでルジェの顔がよく見えるようになったらしい。


 剣先が鈍り、くぐもった声がした。「ルイ‐レミィ……?」


 同時に淡い金髪がルジェの視界を埋めた。

 止める間もなく長外套の手が伸びて、ルジェの前に分け入ったラトゥールの、いやフェルネットの顔を正面から掴んだ。そのまま黒い何かをべろりと剥がし、床へ叩き付ける。


 フェルネットの体から力が抜け、その場に倒れた。


 長い金髪を掴まれて彼女の体が連れ去られるのを、ルジェは力を振り絞って止めた。少女を掴んで必死に抱き込む。痛みで力加減が上手くできない。


 彼女の身が裂ける前に長外套が手を離した。部屋の出口を見て、途端に身を翻す。素早い動きで露台を駆け抜け、ひらりと塔の下へと降りていった。


 不思議に思う間もなく、ルジェは気づいた。塔の中を無数の人間の足音が駆け上がってくる。テアが異変に気づいたのだ。

 逃げなければと思った瞬間、腕の中で少女が身じろいだ。


「ん……」真珠色の睫毛が揺れ、鮮やかな緑色の瞳が顕わになる。無防備にルジェを見上げ、彼女は澄んだ声で呟いた。「ルジェ……?」


 こんな時にもかかわらず、ルジェは彼女の瞳が新緑の色だったことに気づいた。ラトゥールのときは油断のない目つきが影を落として、もっと暗い緑に見えていたのだ。精神体のほうは透けていたために甘藍石のようだと思っていた。


 フェルネットは惚けたようにルジェの顔を見ていたが、はっと我に返って床で血に浸っている黒精霊へと駆け寄った。漆黒の粘着物のような物が血の中でどろりと凝っている。


「どうしよう、このままじゃ黒ちゃんが……」触るに触れず、フェルネットは手をこまねく。それから頼るようにルジェを振り返り、目を見開いて叫んだ。


「ルジェ、血が!」


 彼の胸からはとめどなく血が溢れていた。左肩から反対のわき腹まで斬り付けられた傷は骨まで達し、押さえた手の間をぬって熱く甘い液体が流れていく。その度に体が冷えていき、足が力を失った。頭に霧がかかり始めているのがわかる。

 その場へ膝をついた彼へフェルネットが駆け寄った。


「――ルジェ!」悲痛な、澄んだ綺麗な声だった。


 いいや、今まで散々聞いてきた声だ。頭の中でそう思い直す。


「来るな」急に粘つき始めた口を無理矢理動かして、ルジェは少女へ警告した。


 しかし彼女は構わず傍らに膝を突いた。その一挙手一投足がルジェの目を引く。白い首元が輝いて見えた。よくない兆候だ。そうやって惹かれること自体がまずい。


「大丈夫ですか……?」心配そうに覗き込んだ小さな顔は、今にも泣きそうだった。


 甘い花のような香りが鼻腔をくすぐる。これまで気にならなかったその香りが、辺りに充満する血の香よりも濃厚に、蠱惑的に感じる。喰歯がうずいた。だめだ、それだけはだめだ。必死に彼女の酷い血の味を思い出そうとするも、記憶が霞んで出てこなかった。


「寄るんじゃ、ない」


 押し返そうと二の腕に触れた、その感触に手が止まる。

 柔らかい。少し力を入れただけで壊れてしまいそうな……脆くも愛しい人間の身体。


 今まではどうやってこの身に触れていたのだったか――

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