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残酷な裏切り4

「ロイ……」


 扉の外にはへっぴり腰になったロイと、その後ろに隠れるようにして縮こまっている小柄な文官の青年がいた。二人の葡萄酒色の腕章にルジェの血の気が引く。


 結界で封じていたはずだった。誰にも扉は空けられないし、音も聞こえないはずだった。フェルネットとのやり取りに気をとられているうちに、精霊が結界を破っていたらしい。

 ルジェが何も言えないでいると、ロイはわたわたと手を動かしながらにじり下がった。


「ちょい待て、これは誤解だ。俺たちは決して盗み聞きしてたわけじゃなくてだな――」

「そうです、任務で来たら偶然『あいつを罵倒するのはやめろ』って聞こえてきただけで」

「ちょ、おま、ばっか黙ってろ!」

「うひゃう、じぬ……」ロイに首を絞められて、新人の顔が青くなった。

「――ロイ」ルジェは気の抜けた声で同期の名を呼んだ。「……軽蔑してもいいか?」

「すみませんでした聞いてました本当にごめんなさ」

「盗み聞きしたあげく誤魔化すような男を友に持った覚えはない。今すぐ帰れ!」


 問答無用で扉を閉じようとすると、隙間に素早く足を挟まれた。


「なんだよ、今日はえらくつれないなぁ」ロイはとぼけて足を更に捻りこんだ。「そう怒るなって。お前と俺とは共に臭い飯を食い、同じ寝床で夕べを迎えた仲じゃないか」

「確かに武官校の学食は不味かったし、寮の寝台は二段組だった」ルジェはロイの足どころか蝶番に皹が入るのも構わず、扉を押す。「が、それとこれとは関係ない!」

「はいはいそーですねっ、と!」閉じる寸前で、かっとロイの手が扉に挟まれた。そのまま鮮やかに押し返される。「――で。今、誰と話してたんだ? 一人だったよな?」

「独り言だ」

「そのほうがよっぽど心配だっつーのっ」扉を叩き開けてロイが部屋へ押し入ってきた。軍帽の庇をひょいと上げてルジェを見る。「えらくやつれたな。死にそうな顔してるぞ」

「胃の痛みで死ねるなら、とっくに死んでる」

「はは、内臓はなかなか鍛えられないもんなー」ロイは止める間もなく机に近付いた。

〔うわあ、真っ赤な髪。食べたらピリピリしそ――きゃっ〕


 机に腰掛け、ロイはフェルネットの真横を軽く叩いた。「確かこの辺だったんだけど、なんもないな」首をひねって何度も叩く。

 その手からフェルネットが逃げ惑う。〔た、助けてルジェー〕さっきのやりとりも忘れて叫んでいる。当っても通り抜けるだけなのだが、気分的に怖いらしい。


「で、ルジェ。問題はお前だ」ロイは急に手を止めて、ルジェを振り返った。「俺の目を見ろ。お前、何が見えてるんだ?」


「何も」ルジェは慌てて目を逸らした。突然の強襲から解放されたフェルネットが、ロイの近くをくるくると飛び回り始めたからだ。奴は半分結界に踏み込んでいるので、フェルネットはやりたい放題だった。それが嫌でも目を追わせる。


 ロイは諭す声で言った。「あのな。お前の声は誰かに聞かせるモンだったし、眼も一点を見てた。この辺な」丁度フェルネットの前で人差し指を回す。つられて彼女の小さな頭が回った。「酒臭くもないし、薬物ってわけでもないだろう。……何があったんだ?」


 真摯に声を落とされて、ルジェは黙り込んだ。

 やはり、誰かに密告されたのだろうか。支部ではできるだけフェルネットを無視してきたが、不自然だったのだろう。同族は本気で耳を澄ませば微妙な心音の変化も聞き取れる。常時気にする者はいないが、一度疑われたら心の中など筒抜けも同じだ。


 ロイはさりげない仕草で剣の柄をいじっていた。背後の出口には新人が張っている。

 駄目だ。どう考えても新人を突き飛ばして扉を開けるまでに剣が飛んでくる。


 ルジェは腹をくくった。「……精霊の、ようなものが見えるようになった」

 苦渋の滲んだ声へ、ロイはぽかんと呟いた。「せいれい、って、何だっけ?」

「先輩、アレですよ。ほら魔法とかのアレ!」

「ああ! アレかぁ!」意を得たりと手を打つロイ。同族にはこの程度の知識だ。「なるほどー。お前、昔っから重度の魔法オタクだったもんなぁ」ロイは遠い目になった。「そうかあ、そんなに見たかったのかあ……アレが」

〔……ようなものとか、アレとか、ひどいです……〕結界の中でフェルネットが項垂れた。

「勘違いするなよ。俺が今関わっている件ぐらい知ってるだろう? 精霊の娘の血を飲むと、精霊が見えるようになるという――」

「おま、ヤっちまったのか!」

「ちげぇよ。無理矢理飲まされたんだ。傷なんか一つもつけてない」

 〔気絶はさせましたよね〕というフェルネットの声は無視した。

「今日引き渡した娘は本当のフェルネット・ブランカじゃないんだ。体は本物だが、中に黒精霊が入っていて、本人の精神はそこの結界に隔離してある」

「まじ?」ロイは机に座ったまま身を引いた。「それってお化けじゃん!」

〔生きてますよー!〕フェルネットが小さな拳をぶんぶんと振り回した。


 ルジェはロイにこれまでの話を簡潔に語った。


 一通り聞き終えると、ロイは「一応、筋は通ってるんだよなぁ」と呟いて、じーっと彼の顔を見た。「でも証拠がなぁ、俺たちには精霊が見えないからさ。その辺の精導士をつかまえれば手っ取り早いけど……軍にゃ、ヴァルツにしかいないんだっけ?」

「ああ。テアになら沢山いるだろうが、ほとんどが城の中だ」

「そっかー」そのまましばらく考え込んだ後、ロイはあっさりと話を切り上げた。「まあいいや、お前は保留だ。先にこっちの用事を済ませよう」

「用事? この件で来たんじゃないのか?」

「いや、……あー……非常に言いにくいんだけど……」


 ロイは急に言葉を濁して赤毛を掻いた。丁度フェルネットがいる辺りで、彼女は慌てて肩へと逃げた。そこへ今度は肩を揉む。頭へ逃げれば首を振る。奴は体をほぐしているだけなのだが、ルジェにはふざけているようにしか見えなかった。根が敏感なんだろうか。


 言いにくいと言ったわりに、ロイはあっさりと告げた。「総統閣下に黒判定が出たんだ」


「はっ?」意味がわからなかった。

「まだ確定したわけじゃないんだけどな。お前が謁見した日。あれを最後に一切表に出てこなくなったらしい。ちょうど上が再審判をしてたところだったから、発見が速かったんだけど」そこでロイはちらりと扉の前の新人を見た。「調べによると、お前に会う前に執務室の調度品を一回り大きい物に買い換えてるそうだ。それで聞きたいんだが……、あの時、何か気づいたことはなかったか?」


「いや、特に何も……」言いながら、ルジェはあの時の状況を思い出した。「部屋が暗かったし……ラトゥールはいつも通りだった。いつも通り椅子に座って人形を――」


 ひょいと放り投げられた人形を思い出す。いつもはあんなことはせず、そのまま大事そうに抱えていたはずだ。なぜあんなマネをした? 転がってきた人形の首と、欠片が散乱した床。あのとき自分はそれに踏み止まって――ルジェはろくに養父へ近寄らなかった。


 一瞬、偽者という言葉が浮かぶ。だがあれは確かにラトゥールだった。長く会っていなかったが、それだけは間違えないだろう。何も違和感はなかった(・・・・・・・・)

 ルジェは『それ』に気づき、慌ててロイへ訊き返した。


「調度品を変えたということは、机や椅子も大きくなっていたのか?」

「だろうな。ご丁寧にまったく同じ素材や飾り付けだったらしい」

「俺はそれに気づかなかった。いつも通りあいつは椅子に納まっていて、なんの違和感もなかった。それは、あいつの体が――」すっと胃の辺りが冷えた。「崩我か」


 同族の精神が崩壊したとき、肉体は大きく形を変える。四十年以上姿の変わらなかったらトゥールが今更まともな成長をしたとは考えにくい。

 ロイは気遣わしげに首を振った。


「わからない。お前の他に会った奴がいないんだ。総統は雲隠れしちまったし、隠蔽工作をした秘書長は捕まらない。必要な指示は所在不明の電話でかかってくるから、まだ大丈夫だと思うが……。ただ、一つ不可解な目撃証言が見つかった」ロイの目が鋭く光った。「総統は一度、意識不明のフェルネット・ブランカを見舞いに病院へ行ってる。その時、少女の体から飛び出した黒い粘着物……おそらく黒精霊が、総統の手に貼りついたそうだ」


 ルジェは目を見開いた。

 黒精霊には一つだけ心当たりがある。だが、あれがフェルネットから飛び出したというのがわからない。あれはどう見てもラトゥールの人格で――


 けれどあいつは一度も自分がラトゥールだとは口にしていない。ルジェが勝手にそう思っただけだ。もしかすると自分は、とんでもない勘違いをしていたのでは。


 あれは、本当はラトゥールなどではなく……。


 ゆっくりと机の上に視線を落とすと、フェルネットはおろおろと口元に手を当てていた。


「本当か、フェルネット」ロイたちの前であることも忘れ、問いかけた。

〔だ、だって黒ちゃんが、ルジェには秘密だって……〕

「フェルネット」鞭打つような声が出た。「答えろ、何があった!」


 フェルネットは身をすくませ、ぎゅっと目を閉じた。


〔わ、わたしを攫った人が、わたしに黒い子を入れたんです。それが病院でいきなりラトゥールさんに飛びついて。入れ違いにラトゥールさんから黒ちゃんが出てきたんです〕

「入れ違いに……」ならあの黒精霊はラトゥールで合っている。もう一体いるのだ。

〔わたしは黒い子が入ってるうちは体に戻れなくて。今も黒ちゃんがいるから――〕

「黒精霊は新たな体を得たとき、一ヶ月かけて宿主の意識を浸食するという。宿主が赤目録なら、おそらくはもっと早く……宿主の精神は崩我する」


 辞書を読み上げるような声しか出なかった。感情を忘れたように心の中が白い。


 ロイが眉をひそめた。「じゃあ総統閣下は今頃、誰かに操られてるのか?」


 ルジェは頷く。それでも信じられなかった。あの男が終わる? ばかな。ありえない。


「参ったな」ロイは赤毛をガシガシと掻いた。「甲種の中でもあの人はめちゃくちゃな強さだ。ヘタしたらうちの部隊が全滅するかもしれん。それだけならまだしも、乗っ取った奴が何を企んでいることやら……」

〔わたしを攫った人は戦争をするつもりでした。きっと、本物のラトゥールさんもそのために動かされてるんです〕

「お前を攫ったのはエンだったな」ルジェは低く呟く。「どいつもこいつも戦争か……」

〔ルジェ!〕フェルネットが突然叫んだ。〔黒ちゃんを助けに行きましょう。黒ちゃんはその為にいたんです。ラトゥールさんが終わってしまったとき、静かに殺されるために〕


 小さな甘藍石のような瞳を、ルジェはじっと見返した。


「俺にお前を……ラトゥールを救えと?」

〔私だって死にたくない。それに私が死んで戦争が起こるなんてもっと嫌。今ならまだ間に合うんです、助けてください、ルジェ!〕

「……!」その言葉を言われたとき、一時おとなしかったルジェの胃が激しく痙攣した。

 背を丸めて胸元を握りしめた彼の肩をロイが掴む。「どういうことだ、ルジェ?」


 ルジェはロイへフェルネットの言葉を伝え、続けて言い足した。


「軍の計画ではもうすぐ彼女の肉体は殺される。宿る体がなくなれば、黒精霊は消える」

「簡単に言おうや。その子の体を救い出して、総統と会わせればいいんだろ?」ロイは気楽に言った。「いいぜ、安全な対処法があるならそっちを選ぶのが俺の主義だ。場合によっちゃ、総統の黒判定も覆せるかもしれん。七一(ウチ)が総統を殺すのは、やっぱまずいしな」


 そこでやっと、それまで黙って話を聞いていた新人が口を挟んだ。


「先輩、本気ですか? ばれたら任務妨害罪に問われますよ!」

「おや? 正義感クンのわりには消極的だな」ロイの声はからかっていた。

「そりゃ、罪もない女の子を犠牲にするなんて許せませんけど……でも、人間だし」


 煮え切らない様子の新人へ、ロイが首をかしげる。


「お前、ほんとに人間嫌いだったんだな。変な奴」

「嫌いというか、関わり合いたくないというか……」

 語尾を濁す新人を置いて、ロイが両手の指を一本ずつ立てた。「一対一、あ、その子も入れたら二対一か。――で、お前はどうするんだ、ルジェ?」彼がいないとフェルネットと話すこともできないと知っていて、こういう言い方をする。本当に嫌な男だ。

「……行く」不機嫌がそのまま声に出た。

「嫌なら来なくていいんだぞ? オヤジさんのこと、そう好きでもないみたいだし?」

「好き嫌いとこれは別だ。行くっつってんだろ」

「イヤイヤ来られてもなあー」とロイはそっぽを向く。わざとらしいったらない。

〔ルジェ……〕フェルネットが透き通る瞳を煌めかせ、変わらない無防備さで見ている。


 ……ああくそっ。


「――俺だってな」口が勝手に動いた。「俺だって本当は助けたいに決まってんだろうが! つべこべ言わずに行くぞ!」

〔ルジェ!〕ぱっとフェルネットの顔がほころんだ。〔ありがとう!〕

「もっとカワイク言えないもんかねぇ。ま、お前が可愛くても気持ち悪いだけだけど」


 歯を見せて笑う友人を睨み付ける。完全な八つ当たりだが、無性に腹が立つのだ。

 あれだけ痛かった胃があっさりと治ったのも、腹立たしさに拍車をかけた。

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