▼標的2・美喰の贄2
そこにあったのは何年にも渡る残酷な実験の結果だった。
生命の限界まで血を抜き、回復までの時間を計測する。腕の血管がつぶれれば手の甲や足首、最終的には頸動脈からも採血したという。端々で強調される『採血体制の改善』『効率化』『生産性の向上』という欺瞞の言葉が、研究者たちの本心を語っていた。
そうして多くの犠牲を出し、味や品質、そして大量の失血に耐えうる個体として彼らが行き着いた答えに、俺は吐き気を覚えた。
この被害者は全員、人間との混血児だ。
同族の体力と人間の性質が掛け合わされた、人為的な生産物。
リダーが俺の手元を覗き込んで、ひっと乾いた悲鳴を上げた。「この人たちが……人間との……?」震える声で呟き、真っ青な顔で被害者を見つめた。
俺は眉間に皺を寄せながら、苦い声で資料を読み上げた。
「『第一世代:喰歯と瞳の明順応に不備あり。筋力などは同族に劣るものの、乾きへの耐性は高く、日常的な血液摂取を必要としない。二立までの失血に耐えうる。第二世代:喰歯小型化の他、多少の能力劣化あり。乾きへの耐性は第一世代より劣るものの、失血には強く、最大で三立の出血に耐えた個体あり。第三世代……』」
「やめてください! 気分が悪い!」リダーは叫び、机を両手で勢いよく叩いた。紙が一遍に舞い上がる。「こんなの、まるで家畜です! 人をなんだと思ってるんですか!」
「ヒトだと思ってたらできんわな」俺は渋い顔のまま呟いた。
「でも彼らの半分は!」奴は自分の黒髪をかきむしる。「半分は同族なのに……っ」
「だからこそ、ここまでの暴挙がまかり通ったんだ。人間ならとっくに保護されてただろう。混血児は――ヴァルツ大憲法の保護下にないからな」
「……!」
ヴァルツでは混血児の存在を認めてない。無いものを守ることはできないから、人間と違って保護を定めた法もないし、あらゆる義務や規則、罰則の対象外だ。逆を言うと、彼らは一切の保護を受けられない。だから警邏も事を公にできなかったんだろう。
リダーは黙り込んだ後、ぎゅっと口を引き結んで身を翻した。柵の中へ入り込み、暴れる被害者を押さえる。奴は腕に噛みつかれてもなお、拘束を解こうと奮闘していた。
「何やってるんだ、リダー」
腕の痛みに耐えながら、奴はキッと俺を見返した。
「保護するに決まってるでしょう。こんな不当なことが許されるわけがありません!」
そんなことはわかってて訊いたんだ。そう思いながら、俺は静かに溜息をついた。
「……お前、自分が何のためにここに来たのか、わかってないのな」
「わかってますよ! 赤目録が犯した事件の確認に――」
「違う。今回の標的は、その被害者だ」
リダーが青い目を瞠る。
俺はできるだけ感情を抑えて新人を諭した。
「よく見ろリダー。そいつらはお前の目にはどう映ってる? 言葉は通じそうか? 凶暴性は? まともな理性を残しているように見えるか?」
そして被害者の一人一人をゆっくりと指さしていく。
枷を外そうと手足が千切れるほどに暴れる奴。牙を剥き出しにして吼える奴。そしてリダーに噛みついたままの、血の吸い方も忘れた奴。見知らぬ相手に怯えるような理性を残した奴は一人もいない。ぎらぎらとした目には抑えきれない闘争本能だけがある。この前までリダーと回ってた、ちょっと歪んだ赤目録なんてメじゃなかった。
リダーは何も答えなかった。ただ強く唇を噛んでいる。
その若さを眩しく思いながら、俺は淡々と諭し続けた。
「お前も知ってる通り、俺たち同族は一度こうなったら二度と元には戻らないぞ。せいぜいが現状維持だ。それをお前は保護観察できるのか? 四六時中見張って? それともそうやって檻に入れて? そんな枷、今は良くても体力が戻ったらすぐに壊しちまうぞ。そうなったとき、お前は責任を持てるのか?」
柵を越え、俺はリダーに近づいた。
「俺の答えは『不可』だ」
すらりと剣を抜く。
「お前は?」
リダーは俺から目をそらして、きつく目を閉じた。俺の言葉に傷ついたようにも、痛みに耐えているようにも見える。秀でた額にはじっとりと汗が浮かんでいた。
奴は声を絞り出した。「僕は……僕にはっ、この人たちを死なせるなんて、できません」
「それじゃあ答えになってないぞ。お前だってわかってるんだろ、いっそここで殺してやったほうがいいって。ヴァルツの民とも認められず、一生拘束されたまま泣き喚いて生きていくのが幸せだと思うのか?」
リダーはすがるように俺を見上げた。「でも! こんなのは人道的に間違っています!」
「俺は慈悲だと思うね」
言いざま、俺はリダーに噛みついている被害者の額へ剣を振り下ろした。
鋭い制止の声がして、リダーが間に割って入ってきた。
「う、わっぶね!」ギリギリで軌道を変える。だがその代わりに切っ先がリダーの服を引っかけて、奴の上着と白い胴着が斜めに浅く裂けた。そこから覗く引きつれた薄い肌に、彼の剣がつけた一筋の赤い傷がある。「お前――」
「やっぱり駄目です! こんなのは許されません。何のために生まれてきたのかもわからないまま、他人の都合で死んでいくなんて、僕には許せない!」
「けどな、リダー。そいつらを生かしてどうするつもりだ? もうそいつらは理なき者だ。魔物と同じなんだよ。ここまでになったら同族は絶対に治らない。人間とは違うんだぞ!」
俺が叱り飛ばしている間、リダーはぎゅっと目を閉じて身構えていた。その顔がはっと何かに気づいたようにほどける。
「……治る、かもしれない」
「お前な」
まだ言うかと呆れそうになった俺へ、リダーは強く光る青い目を向けた。
「彼らの半分は人間なんです! 同族では無理かもしれないけど、人間ならッ……!」
「あのな。人間だって誰も彼もが治るわけじゃないんだぞ」
「可能性はあります。彼らは……同族じゃない。人間でもないけど……。だからこそ、僕はそれに賭ける。――僕の審判は、白です!」
若く張りのある声でリダーは宣言した。
しばらく沈黙してから、俺はゆっくりと息を吐き出した。
こいつ……一応、筋は通ってる、んだよなぁー。
「二人あせて灰色か。チッ、面倒だな……」俺は自分の赤毛をガシガシと掻く。それからいつまでもぼけっと噛みつかれている相方を引っぺがしてやった。胸ぐらを掴んで。「おい新人。審判が割れた場合の措置はちゃんと覚えてんだろうな」
睨みつけられて、リダーはカツアゲされたガキみたいにうわずった声を出した。
「う、上が再審判する――ですよね? 各自が所見をまとめて、資料を出して……」
「そうだ。そそっかしいお前が総統閣下にやらかしたのとまったく同じことになるわけだ」カッと、俺の眉間に皺が寄った。「うーわーちょーめんどくせぇ~」
「め、面倒って……」
生真面目に抗議しようとする新人を、俺はぽいっと放り投げた。
「めんどすぎてなんもしたくねぇ、っつーか俺なんもしねぇから。お前が全部やれ」
「は……?」リダーがぽかんと口を開く。「先輩、それって」
「職務怠慢とか言うなよ。お前のわがままで余計な手続き踏むんだからな。ま、九割がた無駄だと思うけど。せいぜいここの資料をかき集めて、自説を補強しとくんだな、新人」
と、にやっと笑ってウインクしてみせる。
「自説を補強……」と呟いて、リダーはやっと俺の意図を察知したらしい。ぱあっとその顔が明るく輝いた。
ったく。なんのために二人もいるとおもってんだ、公平を期すためだろうが。なら、その一人が機能しなきゃ、上に行く資料はもう一人の独壇場になる。
「じゃ、俺は食って遊んで寝てるから。後はヨロシク」
ぷらぷらと出口へ歩き出した俺へ、リダーは満面の笑顔で元気よく答えた。
「――はいっ、先輩!」
それから数日かけてリダーが資料をまとめ終えた頃、中央から俺たち宛の電報が来た。
どうせまた次の巡回先だと思ってたんだが、受け取りに行ったリダーが青い顔で戻ってきた段階で、嫌な予感がし始めた。
奴は一枚の紙を差し出した。
そこに書かれた短い文面を見て、俺は思わず目を疑った。
それは上司からの、いや、七一の上方部隊からの緊急指令だった。
◆
――ってわけで、俺はわざわざこんな東の果てまで来て取り調べなんざ受けてるわけだ。
わかったかな、警邏諸君?
……はいはい。指令の内容だろ? ちゃーんと覚えてますよっと。
『 総統閣下、崩御ノ兆シアリ。
貴殿等、速ヤカニ彼ノ最終謁見者〈ルイ・ルジェ‐ラトゥール〉ヲ尋問セヨ 』




