▼標的2・美喰の贄1
▼標的2・美喰の贄
【証言記録音声〇〇八:ロベルト・ロイ執行大佐】
次に俺たちが回されたのは、中部第四支部の付属採血機関だった。エンの王都から南にずーっと下ってったところにある、ど田舎中のど田舎だ。平坦な土地には牧草が生えてて、羊や山羊がちょろちょろしてる。牧歌的かつ平和そのものな場所だった。
第四支部へは森の中にある洞窟から入る。地方じゃどこもそんな感じだな。序盤は人間を攪乱するための迷路だけど、途中から広い空間になって、一つの街みたいになってる。ほとんどが貯蔵庫だけど軍関係の施設が併設されてることもあって、第四支部には立派な採血機関の建物があった。
俺は警備の警邏に片手をあげて挨拶すると、黄色と黒の縞模様の帯をくぐって建物の中へ入った。相方の気配がついてこないんで振り返ってみれば、リダーは帯の前でおろおろしてる真っ最中だった。
「い、いいんですか、これ。立ち入り禁止って書いてありますけど」
「アホかお前。俺らは一応憲官隊なんだぞ。所属は違えど警邏みたいなもんなんだから、そんなにびびるなっつ―の」
「そうなんですけど……。お巡りさんってなんか苦手で」リダーは警邏のほうへ愛想笑いを浮かべて帯をくぐった。途中で服に張り付いてわたわたしている。
「お前なぁ」帯を外してやりながら、俺は溜息をついた。「頼むから警邏の前でアホなことだけはすんなよ。あいつら、ウチのことを目の敵にしてるから。今回の件も自分らの不届きを棚に上げて、ウチの管理がなってないからだとかぬかしやがったし」俺はここに来る前に挨拶してきた警邏のお偉いさんのしかめ面を思い出してイラッとなった。「そのくせウチが黒判定出すと『犯罪を犯したわけでもないのに死刑にするなんて人道に反する』とかイチャモンつけてくるんだよな。なんなのあいつら、マジでなんなの」
地団駄を踏む俺の隣で、リダーはあちこちに張られた縞模様の帯を眺めて眉を寄せた。
支部の建物は全てこの付近の土を使った混凝土でできている。その茶色の壁に黄色の縞々がよく目立っていた。
「赤目録の犯行に気づけなかったのは事実ですけど……。でも、今回の事件の犯人はとっくに捕まってるんでしょう? 今更僕たちを呼んでどうするつもりなんでしょうか」
「さあなぁ」と、俺は空とぼけてみせる。
ここは既に検挙された殺傷事件の犯行現場だ。犯人は採血機関の上級幹部。赤目録ではあったけど、黒判定は出されていなかった。俺たちはその事件の後始末に呼ばれたんだけど、そいつを含めて関係者はとっくに豚箱の中だから、することなんかなんもない。
「事前に資料も貰えてないし、なんか紙面に残せないことでもあったんじゃね?」
「なんかってなんですか」とたんに情けない顔をするリダー。
「見れば分かるってことだろ」
俺は一段と厳重に帯が張られた一角を指さした。開け放された扉の向こうには、またもや人間式の階段が続いている。この前と違うのは、全部が混凝土でできてることと、階段の横幅が広いこと、きちんと照明があることだ。
嫌な記憶がよみがえったらしく、リダーが顔をしかめた。
「ああ嫌だな……。またこの前みたいなことになったらどうしよう」
「あんなことはそうそうないって。実際、次からはどこも平和だったろ?」
「自称神のお告げを延々聞かされたり、見えない虫を退治させられたり、家族ごっこの娘役をやらされたり、どれだけ罵倒されても『愛してる』って答えなきゃいけなかったりするのが、平和って言うんですか?」
「楽しかったろ?」
「楽しいとも言うんですか……?」リダーの目は虚ろだった。
「まあ、割かし楽なほうだよ。最後のは俺も変な趣味に目覚めそうになったけど」俺は剣で帯を斬ると、人間式階段を下りながらニヤリと笑いかけた。「今のうちにケツまくって金融課に帰るか? かよわい坊々にゃ、金勘定のほうが似合ってるもんなぁ」
その言い方が勘に障ったらしく、リダーはむっとした。
「そうやって武官の方はすぐバカにしますけど、金融課だって結構な肉体労働だったんですからねっ。朝から晩まで人間の村をかけずり回って、借金の取り立てですよ。ぶくぶく太った地主のおっさんから巻き上げるならともかく、年老いた小作人や、病気の親を抱えた子供からでも容赦なく毟り取るんですから!」そこでリダーは急にがっくりと肩を落として、階段の壁に手をついた。「……僕、ああいうの向いていないんです」
「そりゃあ向いてないわ」俺はあっさり頷いた。この生真面目にそんなやくざな商売ができるはずがない。「お前、すぐ親身になっちゃうもんなー」
「金融課の先輩にも散々割切れって言われてたんですけど……なかなかできなくて」
「一度人間に思い入れると厄介らしいからなぁ」
俺たちは基本的に人間が好きだ。多分、本能的に喰糧として大事にしたいって気持ちがあるからだろう。だからこそ上手く距離をとらないと、変に情が絡んで崩我率が加速するんだとか。ヴァルツがだんだん西に移っていったのも、人間に数で押し負けたというより、同族自身の保身作用が大きいらしい。
「どうせやたらめったら人間に肩入れしたんだろ? お前も難儀だよなぁ」
リダーは大げさに顔をしかめた。思いっきり首を振る。
「とんでもない。僕は人間が嫌いなんです。なのに性格的に無視できなくて、辛くて。中央に回されたときは『もう人間なんか見なくていい』って清々したくらいなのに……」そこまで言って、リダーはそっと俺から目をそらした。「……今度はだんだん同族が嫌になってきてるっていう……」
「わがままな奴だなー」最近の若い子ってこうなんかしらん。
リダーはガキみたいにふてくされた。「先輩はどうしてこんな仕事が耐えられるんですか。同族殺しじゃないですか」新人が一度は口にする台詞だ。
「耐えるっつーかなぁ」俺は耳の後ろを掻いた。「俺も最初は人事に殴り込んださ。もっと前線にいたかったし……。でもなぁ、見ちゃったんだよなぁ……」
「何をですか?」
「女の人。総統府前のルイ‐レミィの墓に『殺してあげてくれて、ありがとう』って、キスしてた。その笑顔がなぁ、なんとも言いにくいんだけど、多分幸せそうだったんだ」
「崩我者による凶行の被害者だったんでしょうか」
「そんな風でもなかったけどなぁ。俺たちは体が老いないから、色々あるんだよ。お前もそのうちわかるさ」肩をすくめて足元を見る。階段はまだ続いてた。「その時さ、『誰かがそう思うんならいいか』って思ったんだ。俺は前線でも同族殺しみたいなモンだったし」
「前線の死神、ですか」妙に納得した声が返ってきた。「でも、ロイ先輩がいるだけで全滅するなんておかしいですよね。無事に済んだときもあったんじゃないんですか?」
「一度だけ半分が生還したときがあったっけなぁ」暗い階段を下りながら淡々と言う。「あとはだいたい二割ってとこか」
リダーが小さく「壊滅基準が三割負傷でしたっけ……」と呟いた。
「そうそう、その時に言われたっけ。『死神も五割の男には負けた』って」
「『五割の男』?」リダーの声が上がった。さすがにそっちは知らないらしい。
まあ、言ってたのは一部の奴だけだし、当然か。
俺はつらつらと説明を加えた。「気力体力攻撃力に存在感、全部中途半端だから『五割の男』。だけどどんなに絶望的な状況下でも、奴の参加した作戦は必ず半数が生き残る」
「何者ですか、その人」
「お前も知ってるルジェ氏だよ。普通の坊々なんだけどな、ただ、いつでも絶対上から目線っていう――あ?」
唐突に階段が終わった。
地下室は思ったより広かった。左右の壁にはずらりと書類棚が並び、ぎっしりと紙が詰まっている。どれも一目で顔と名前……正確には番号が分かるように整理されていた。
だが俺たちを黙らせたのは、そんな紙じゃない。
部屋の奥の壁一面に、手足を拘束された若者たちがいた。ガリガリにやせ細って、病人みたいな服を着せられている。全員がうなだれ、ぐったりと動かない。
俺は即座にここで起こった事件のあらましを思い出していた。長年に渡る血液不足に悩んだ機関の職員が独断で違法な採血を行っていたのだ。規定量を遥かに超えた量の血を抜き、失血死した者もいるという。
「どうして被害者が放置されて……警邏は何をしてるんですか!?」リダーは声を荒げて哀れな犠牲者たちに駆け寄った。柵になっている鉄の棒を何とかこじ開けようとしていたが、奴の力では難しいようだ。「早く保護しないと!」
「おい、待てリダー」反射的に諫めようとして、俺は自分を不思議に思った。なんで止めようとする? 大体、彼らはどうして警邏に保護されてないんだ?
それに人間がいるにしては、この部屋……何か違和感があるような。
俺の静止も聞かず、リダーはギリギリ一人分の隙間を作って柵をすり抜けた。身近な一人駆け寄って、頑丈な手枷へ取りすがる。
その瞬間、被害者がリダーに噛みつこうとした。
「うわっ」間髪、身をよじって避けるリダー。今度は隣の被害者が獣のように牙を剥き、その髪に噛みついた。「痛っ!」ブチブチと黒髪が千切れる。
俺は柵の外からリダーの上着をひっ掴んで、奴らから引きはがした。
そのとき一人の被害者と目が合った。薄暗い室内で、その瞳孔は人間にはあり得ないほど大きく縦長に広がっている。「あああ」と言葉にならない咆哮を繰り返す口には、ささやかながらはっきりと分かる喰歯があった。
俺はやっと気づいた。この部屋は人間特有の甘い香りがしない。
「同族!?」リダーが荒い息を飲んだ。「まさかこの人達、全員発狂して……!?」
「長い間、極度の貧血にさらされてきたんだろうな。……かわいそうに」
「あー……」と呻きとも赤ん坊の声ともつかない音をあげ続ける被害者たち。そこには欠片の理性も残っていなかった。いや、理性を持つことすら許されていなかったのか。彼らの腕には自分で噛みついたと思われる無数の歯形と、採血痕があった。足下に散らばる細い管や機材から見て、採血されていたのは間違いない。怪我で失血しても一時的に自我を失う俺たちから血を採集しようだなんて、機関の奴らは何を考えてたんだ。
呆然とその場にへたり込むリダーとは対称的に、俺は冷静に状況確認をはじめた。机の上に乱雑に置かれた資料へ目を通し、思わず顔をしかめる。「おいおい、これは……」




