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亡村の影5

〔じゃあ、ルジェにはラトゥールさんが英雄なんだ〕


 言われた途端、ルジェの眉根が素早く寄った。


〔に、睨まないでくださいよう〕


「……否定はしない」不本意にもほどがあるが、とルジェは必要な書類を読み上げるときの口調で告げた。フェルネットが緊張を解かないので、目元は険しいままなんだろう。


「一応、言っておくが、あいつは自分のしたいようにしただけで俺のことなんかこれっぽっちも考えてないからな。あいつの目的はあくまで復讐だ。それも、絶対的に完璧な」


〔完璧な復讐?〕想像がつかなかったらしく、フェルネットが目を瞬かせた。


 ルジェは頷く。「あいつはルイ‐レミィを殺させたもの――自分の自尊心を叩き折ったもの、全てに復讐するまで終わらない」


 彼の脳裏にラトゥールの薄ら笑いが浮かんだ。薄紅色の瞳には、復讐鬼らしい憎しみの熱はない。あるのはただ『やると決めたからやる』、それだけの意思だ。


「あいつはただ、自分の手掛けた行為が許せないだけなんだ。だから相手が改心しようが、とうに死んでいようが、気が済むということがない。究極ルイ‐レミィが生き返っても復讐し続けるだろう。それ以外に何もないんだ。俺を飼ってるのも、手駒として使うつもりがあるからだからな。……その辺は大体わかってる」

〔ルジェが何かするんですか?〕

「まだ当の下手人が生きてるからな……」


ゆるゆると溜息をついて呟く。

「あいつは、ラトゥールは、俺に殺されたいんだ」


 ラトゥールは最後の総仕上げに、実行犯である自分を殺そうと思っている。ルイ‐レミィの実子であるルジェに殺されれば、それはそれは美しく完璧な復讐が完成するだろう。


〔ルジェは、その……〕

「絶対にやらない」


 ルジェは素早く断言した。正確には『出来ない』のだが、それはこの際どうでもいい。心理的にも物理的にも人生的にも、彼には害にしかならない話なのだから。


 何しろラトゥールは総統だ。総統を殺せば半ば強制的に次の総統に祭り上げられる。そしてあっさり暗殺されるのだ。ヴァルツではそうやって革命から五十年の間に三十人もの総統が移り変わってきた。後半は前総統が十三年とラトゥールが二十年治めているので、ほとんどが始めの二十年足らずで死んだ計算だ。中には就任三秒という例もある。決して資質に秀でているとは言えないルジェがそんなことをしようものなら、即座に他の甲種に首を掻っ切られるだろう。


 無論、それだけが理由ではないが。


 ルジェは生まれる前に死んだ実父の仇を討とうと思うほど、義憤に滾る男ではない。遭ったこともない英雄より、性格は最悪とはいえ養父のほうがまだ愛着がある。だからこそ武術ではなく魔法を選んだのだ。使えない男だと、早く見切ってもらえるように。入軍しても目立たないよう、慎重に慎重を重ねて生きてきた。『五割の男』と呼ばれるほどに。


 そのとき寝台から、ふふっと女の笑い声がした。


「八割がた正解ってところかな。それだけの材料でよく推測したねぇ」

 フェルネットが体の元へ飛んでいった。〔黒ちゃん、いつから聞いてたの?〕

「大分前から。人間の寝息も聞き分けられないなんて、吸血鬼のくせにとろいよね」


 少女の肉声をさもラトゥールのように響かせているのは、フェルネットの肉体を間借りしている黒精霊だ。寝台の上に身を起こし、欠伸をしながら伸びを一つ。


「『絶対にやらない』……か。ほんと保守的だよね、君って」

「ラトゥール」

「でもまだわかってないみたいだね。なんのために彼が自分の模倣物を後生大事に抱えてたと思うんだい?」少女の顔に挑発的な笑みが浮かぶ。「自分がもたなかったときの保険だよ。へたれ息子が腹を括るまでに崩我してしまったら、元も子もないからね」

「ありえない」ルジェは反射的に言い切った。「俺には無理だ。だって、俺は――」


 混血児(ルイ-レミィ)の息子なのだ。甲種とは根本的に素質が違う。


「そんなのは彼とて重々承知さ。ま、今となってはその計画もどうなったことやらだけど」


 ね、フェルネ。とラトゥールは傍らのフェルネットへ向けて片目を閉じた。ルジェの位置からだと光の塊に話しかけているように見える。

 ルジェは怯む自分を自覚しながら、その横顔へ囁くように問いかけた。


「……ラトゥールは、ルイ‐レミィが混血だと知っていたのか?」

「当たり前でしょう。彼はルイ‐レミィの監視役だったんだから」さらりと答え、ラトゥールがルジェを一瞥した。小馬鹿にした視線の中に、少しだけ真面目な色がある。

「俺のことも……」


 ずっと庇護してくれていたのか? とは聞けなかった。


 ヴァルツでは混血児は存在しないことになっている。実際は零ではないのだが、そういうことになっているのだ。ルイ‐レミィが育った頃は、五十年周期で起こる魔物の襲撃とその後の革命で人員が激減し、軍が徴兵制から徴官制になった混乱期だった。士官学校生が一気に増え、その混乱に乗じることもできたのだろう。だが今は違う。安定した時期にこそ、異物は敏感に察知されるはずだ。なのに誰もルジェへ疑惑を抱かなかったのは、いや口にできなかったのは、彼の後ろにラトゥールの権威があったからだろう。


 総統の養子でも、特別扱いなど一つも受けていなかったと思っていたのに。


「……それは、彼が答えるべきことだね」


 沈鬱に黙り込んだルジェから顔をそむけるようにして、ラトゥールは毛布に包まった。



     ◆



 翌朝、短い眠りから目覚めたルジェは室内で軽い運動をして身体を慣らした後、念入りに指先の感覚をほぐした。もう昨日のようなことがあってはならない。鍵盤を弾くような動きを何度も繰り返し、拳をぐっと握りこむ。いつもなら最後の仕上げに飼い猫の背を撫でているのだが、旅先ではそうもいかないので、いまいちしっくりこなかった。


 仕方なく自分の髪を弄っていると、窓からラトゥール、いや正しくはフェルネットの姿が見えた。近くの井戸で身を清めてきたのか、彼女の淡い金髪は艶やかに濡れていた。フェルネットの毛質は柔らかく、ふんわりとしていて嵩があり、毛足の長い獣に似ている。


 あの繊維のような毛束を撫でたら少しは代わりになるだろうかと思っていると、少女の周りをくるくると飛んでいた真珠色の光がこちらへやってきた。どうせまたラトゥールが恥じらいもなく水浴びをしていたなどと報告に来るのかと思ったら、本当にその通りのことを言ったので閉口する。そろそろラトゥールには文句が通じないとわかってきたらしい彼女は、その鬱憤を全てルジェにぶちまけてきた。


 〔聞いてくださいよ、ルジェ!〕と、お決まりの文句を連呼するフェルネットを適当にあしらって旅支度を調える。ラトゥールはきっとあのままふらふらと出ていくつもりだ。また見失ってはたまらないと、ルジェはフェルネットを先に追わせて、急いで部屋を出た。

 作業場のような土間にはマルタンがいた。


「おはよう。早いな、もう出るのか」


 挨拶もそこそこにルジェは頭を下げた。「昨日は言い過ぎた。どうか忘れてくれ」

「いや、貴重な意見だったよ。恨まれていればとっくに殺されていると言われて、目が覚める気がした。やはりお前さんがたのことはお前さんがたが一番わかっているな」


 しみじみと頷かれたが、よく考えるとあまり褒められていない気がした。


「一晩考えてみたんだが、やはりわたしはここにいようと思う」マルタンは呟き、ルジェのために玄関の戸を開けた。「お前さんは『誰を待っているのか』と言ったが……わたしはきっと、誰か一人を待っているわけではないんだ」


 ルジェはその時、初めてマルタンの顔を正面から見た気がした。


「ここは私たち皆の故郷だ。あの一件以来、皆ここを恐れて散り散りになってしまったが、彼らの多くがこの村に家族の墓と記憶を持っている。いつか彼らとも共に酒を酌み交わしたいと、私は願っているんだ。そしてできるならば、あの子とも」


 穏やかな顔には年相応の老いがあった。その眼にある悲しみも憎しみも、共に老いて風化し、余分なものは綺麗に洗われて、静かな記憶となっている。

 彼の目尻に浮かんだ笑い皺を見て、ルジェは改めて人間なんだなと思った。

 マルタンは背後を振り返り、朝日に照らされた廃村を眺めた。


「それに、兄の墓も守っていきたい」

「……それもいいかもしれないな」


 ルジェは静かに答えて戸をくぐった。黒眼鏡をしていても朝日が眩しかった。

 餞別だと言って、マルタンは紙に包まれた食糧らしいものを渡した。その匂いから麺麭に昨日の鳥を挟んだものだと分かる。


「最後にひとつ、頼んでもいいか?」

「なんだ?」


 マルタンは少しためらってから、ルジェの顔をまっすぐに見つめた。


「その眼鏡をとってくれ」

「……構わないが、いいのか?」


 マルタンは静かに頷いた。幼い頃から兄の目を見ていたからと、少しだけ緊張した面持ちで告げる。


 ルジェは下を向いて黒眼鏡を外した。視界がぱっと明るくなる。すぐに瞳孔が細く窄まり、ほどよい光量に調節した。人間には恐ろしい猫の瞳に見えるはずだ。

 そっと顔を上げると、マルタンは目を細めてルジェの薄紫の瞳を見た。


「やはり、別人だな。兄の目は青かったし、右目の下に黒子があった。……お前さんのほうが別嬪だよ」


 ルジェがどう答えるべきか迷っていると、相手は少しだけ寂しげに微笑んだ。


「始めは亡霊になって帰ってきてくれたのかと思ったが……――いや、良い酒が飲めて嬉しかった。機会があれば寄ってくれ、また飲もう」

「ああ、また」


 ルジェはゆっくりと頷いてマルタンを見つめ、それから身を翻した。

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