亡村の影2
馬車は行ってしまったし、どうせ今日は野宿だろうと、ルジェはラトゥールを追いかけながら石で適当な鳥を捕った。生き物を捌いたことはないが、フェルネットに聞けばなんとかなるだろう。森で一人暮らしをしていた彼女は山羊ぐらいなら一人で捌けるそうだ。食べられる草や茸も見分けられるので、荒野育ちのルジェには心強い味方だった。
先刻降り出した雨はあがる様子を見せない。珍しい慈雨の感触を楽しみながら茂みを抜けたルジェは、遠くに淡く輝く光を見つけてそちらへ向かった。
うずくまるラトゥールの姿を見つけ、絶句する。
ラトゥールはどこかで拾った木の板を手に、黙々と地面を掘り返していた。房飾りの付いた白い服は雨と泥にまみれ、豊かな金髪にまで赤茶色の泥がこびりついている。手は爪の間から肘までべったりと汚れていた。同じくスカートの下半分も茶色い。
何よりルジェを驚かせたのは、ラトゥールの背後にある廃村だった。数十件はある家屋は半分が根こそぎ倒れ、半分は傾ぎ、幾つかは焼け焦げて、すべてが雑草に埋もれていた。ただ人が去っただけならこうはならない。災害のような何かがこの村にあったのだ。
〔黒ちゃん、もうやめよ……?〕
呼びかけにもラトゥールは応えない。蒼白な顔で足元を見つめ、うわ言のように呟く。
「確かに彼はここに埋めた……でも、これでは……」
「ラ――」掠れ声で呼びかけようとしたとき、少女の向こうに人影を見つけた。
傾いだ廃屋の間を壮年の男がこちらへ歩いてきていた。年は五十ほどだろうか。朴訥とした寡黙そうな男だ。彼はルジェたちに近寄ると、低いがよく響く声で告げた。
「旅の方かね」印象通りの静かな話し方だった。「そう警戒されるな。わたしはこの村で刀剣工をしている者だ。名はマルタンという」
見れば、男の手には至るところに火傷の痕があった。
ルジェは男とラトゥールの間に立つ。「あんた、あの村に住んでるのか?」
「いや、隣町から通っている。仕事場が変えられなくてな」
マルタンが言い終えるか否か、ラトゥールがルジェを押しのけて男へ歩み寄った。
「無いんだけど」
〔ないって?〕「何がだ?」
突発的な台詞に、マルタンも訝しげに眉をひそめていた。
その様子に苛立ってラトゥールが片足を踏み鳴らす。「骨だよ。ルイ‐レミィの骨!」
男が息を飲むのが聞こえた。
ルジェがラトゥールの腕を引く。「何を言ってる。それならヴァル……の、広場に」
「はっ、あんなもの。死後十年も経ってから作られた扇動用品に本物を入れてるとでも?」
緑の瞳に挑発的に睨みあげられて、ルジェは自分の血が下がっていくのを感じた。
「……なら、本当のルイ‐レミィの遺体は」
「処分された、はずだった。討伐担当官が秘密裏にこの村へ埋葬したんだ」
〔とうばつたんとうかん……?〕
「ラトゥールが?」
「そう。それが彼とあの勇士との、最後の約束だった」
ルジェは目を見開いて足元の穴を見下ろした。そこには何の目印もない。石一つ、花一つない更地がルイ‐レミィの墓だというのか。
なぜ、こんな人間の村に。
ルジェが問いかけるより早く、ラトゥールが泥だらけの手でマルタンの胸倉を掴んだ。フェルネットの顔とは思えぬ形相でそのまま下へ掴み引く。
「知ってるでしょう、ここにあった墓のこと!」
「……あれは、やはり……」マルタンの瞳は細かく揺らいでいる。明らかに動揺していた。
「話が早そうだね。その様子じゃ野犬が漁ったってわけでもなさそうだ」見下す目つきでラトゥールが攻撃的に笑った。「暴いたね。遺骨は谷に捨てたのかい? それとも家畜の餌かな? ハハハ、傑作だ、吸血鬼の英雄がちっぽけな人間に捨てられたなんて――最高の冒涜だ! アハハハハハハハ――んぐっ」
高笑いする少女の口をルジェの手が塞いだ。暴れる体を素早く押さえ込む。
「……すまない。連れは少々性格に問題があるんだ」
「いや、構わない」マルタンが呼吸を整えてルジェへ向き直った。「そのお嬢さんの言う通りだ。あの墓は村人たちによって暴かれ、骨は燃やされて捨てられた」
知らなかったんだ……そう呟くマルタンは一瞬でひどく憔悴して見えた。
ラトゥールが口を押さえる手を噛んで、叫んだ。「なんてことを。あの勇士が君たちに何をしたっていうんだ……!」全身でばたばたと暴れながら怒りの矛先をルジェへ向ける。「放せ! ああくそっ、本当なら君が怒るべきなのに!」
「俺には関係ない」硬く言い切った言葉が八つ当たりを増長させた。
「そうやっていつも逃げて。弱虫! 根性なし! 根暗の魔法オタク!」
「うっせえよ」思わず手が出た。手刀が細い首筋を打ち、ラトゥールが黙る。
というより、気絶した。
〔きゃー! 黒ちゃん!〕この世の終わりのようなフェルネットの悲鳴が響く。
しまった。力は抜いたのだが、訓練通り正確な位置に入ってしまったらしい。
「だ、大丈夫か? 娘さんに手荒な……」
「問題ない、すぐに気づく。それよりも気になるんだが――」内心の動揺を隠そうと焦って言葉を重ねかけ、ルジェは慌てて口をつぐんだ。何を訊こうというのだ。このまま何も見なかったことにして、立ち去ったほうが良いに決まっている。
『そうやっていつも逃げて』
先程の叱責とは違う、甘ったるい少年の声が頭の中で囁いた。本当のラトゥールならばこう続けるだろう。『そんなに怖いのかい?』と。そうして嫌らしく忍び笑いをするのだ。
ルジェはしばし押し黙ってから、強いて問いかけることを選んだ。「なぜルイ‐レミィの墓がここにある? それにこの村の惨状は……一体、なにがあったんだ?」
ルジェにはこれが人為的な破壊だとわかっていた。被害は村の中央に集中している。魔物の襲撃ではこうはなりえない。考えられるのは人間同士の争いか、同族の関与だ。
「……長い話になる」マルタンは静かに答え、一軒の家を指さした。「来るといい。たいしたもてなしもできないが、この村にはもう、わたしの家にしか火がない……」
そして、男は黒眼鏡越しにルジェの目を見た。「歓迎しよう、客人よ」




