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第三章:亡村の影1

第三章:亡村の影


『あなたのお父さんはね、とても優しい人だったの』


『優しくて優しくて、そのせいでたくさん傷ついたけど、それでも優しくあり続けた人。それはね、本当に心が強くないとできないことなのよ』


『あなたにも、そんな人になって欲しいの。忘れないで、私のルイ』



     ◆



「――じゃあ、病気の親御さんのために、泣く泣く身を売ったのかい?」


 御者の男が振り返り、金髪の少女――ラトゥールを見た。


「ええ。私にできることなら、なんでもしようと……」切に言葉を詰まらせて、ラトゥールはありもしない涙を拭った。……嘘くさいったらない。


 ヴァルツを出てから一週間。ルジェとラトゥール、そして精神体のフェルネットは、人間の繰る幌馬車に乗っていた。馬車といっても騾馬にひかせるのがエンでは主流だ。歩みは遅いが燃費が良いらしい。それに馬よりも鈍感なので、吸血鬼を乗せても暴れないのがルジェには助かった。


 御者はラトゥールの話を頭から信じ込み、きっと良い買い手が見つかると慰めていた。


「いっそ都会に出れて良かったかもしれんよ。この辺は吸血鬼がよく出るから、若い子は気をつけないと喰われちまう。まあ、奴らは揃って黒尽くめに黒眼鏡だから、一発でわか……」そこでちらりと最後尾のルジェを見る。軍服でこそないものの、黒の上下に黒眼鏡だ。丁度良くルジェが会釈を返したので、御者は慌てて引きつった笑顔を作った。「……るような気もするんだが、皆が皆そうとは限らないからな! 人を疑うのは良くないな!」


 御者は努めてルジェを見ないようにして、話の矛先を変えた。さすがに西部の人間は共存の仕方を心得ているようだ。疑わず、暴かなければ無事済むこともある。


 ラトゥールの作り話では、ルジェは身売りの仲買人ということになっている。こういった後ろ暗いことをする人間は吸血鬼を真似て黒尽くめを好むので、偽装するには丁度良いらしい。とはいえ、普通はこんな風に商品を放し飼いにはしないはずだが。


 ルジェは黒眼鏡を押さえながら、やはり自分は乗らないほうが良かったと思った。当初はラトゥールだけを乗せ、自分は隠れてついていこうと考えていたのだ。しかし少女は一度エンに攫われた身。結局、目を放せずに同乗した。せめて次からは眼球鏡(コンタクトレンズ)だけでも使おう。最近開発された擬装用の眼球鏡は割れやすく、同族が扱うには危険なので、まったく気が進まないが。目に硝子を入れるなんて思いついたヤツは天才で変態だ。


 そんな彼の内心など気にせず、嬉々としてお涙頂戴話を続けているラトゥールに、ルジェは大きくため息をついた。半分は呆れから、もう半分は安堵から。


 第一波山で魔物に襲われてから最初の支部に着くまでは一日とかからなかった。魔物は出なかったし、鉄道も安全だった。ただ一つ問題だったのは、護衛が容赦なくフェルネットの体、即ちラトゥールを荷物扱いしたことだ。空気抵抗を受けないよう密閉できる容れ物に拘束し、窒息する前に下山するという、人間保護法ギリギリの扱いだった。


 幸い命に別状はなかったものの、彼女の体にはいくつもの痣ができていた。支部の医者に監督不行届を詰られるまでもなく、その痛ましい姿にルジェは胸が詰まった。護衛に同意した段階で覚悟はしていたはずなのに、予想以上の痛手だったのだ。それ以来、少女の扱いには慎重になりすぎている節がある。あまり良い傾向ではないと思ってはいるのだが。


 ルジェは真鍮の筒形瓶(フラスク)を取り出すと魔法で中身を解凍し、一口煽った。無論中身は酒ではない。甘い酩酊感をそよ風に流して、低い茂みが続く路傍を眺める。


 ……今頃は、何人のルジェ‐ラトゥールがこうして各地を回っているのだろう。


 支部で初めて知ったのだが、攪乱のためにルジェの偽物が大発生しているらしい。外見年齢や背格好のよく似た男が金髪の娘を連れて支部を回っているのだとか。詳しい数はわからないが、先の支部で一日三人は訪れていたと言うから、全体で三桁はいくだろう。


 同族の生命線である血液は保存が利かないので、移動中は最低でも三日に一度は支部で補給するのが普通だ。そうやって軍に所在を把握されるのだが、ルジェは必須血量が少ないのと、魔法で凍らせた血液を持ち運べるため、無駄な寄り道が要らない。必然的に偽物ばかりが支部を訪れ、ルジェの消息は軍でもわからなくなるというわけだ。ラトゥールの口ぶりでは適当な人選のようだったが、なかなかうまくはできている。なにしろルジェは同族の記憶に残らない顔という点において、右に出る者がいないのだから。


 知らず有名になっていたのは不愉快極まりないが、致し方ないことだろう。同族とて一枚岩ではないのだ。それに、彼も今はできるだけ支部に立ち寄りたくない。


 ルジェは何度目かの溜息と共に手元を見下ろす。甘い香りが立ち上る瓶の口元で、そうっと中を覗き込んでいる小さな半透明のフェルネットが目に入った。


 精霊のようにしか見えない彼女こそ、彼が迂闊に支部へ寄れない最大の原因だった。同族に精霊は見えない。もし見えているなら、それは幻覚――そう思われるのがオチだ。


 フェルネットはすっかり慣れた様子でルジェへ笑いかけた。それからふと思い立ったように小首を傾げて人差し指を顎に当てる。その癖の意味は、思案中。


〔ねえルジェ。黒ちゃんはああ言ってますけど、わたしって売れると思います?〕

「人身売買にも色々あるが……」一瞬続きに迷った。が、この世間知らずが下世話な意味で聞いたはずがないと、無難なものを選ぶ。「おそらく採血機関は買わないだろうな」

〔あはは、美味しくないですもんねー〕楽しげに笑って少女は続ける。〔でも、魔法使いさんなら買いますよね。いくらくらいになるんだろ?〕


 ぎくりとしてルジェが黙った。テアが主力産業の集中する肥沃地帯を割譲するほどなのだから、ざっと計算しても軽く国が傾くほどの価値があるはずだ。


 そんな事情を知らないフェルネットは、〔やっぱり野菜と一緒に並ぶのかなぁ〕などと、一人で突拍子もないことを言っている。そこからだったのか。


〔ルジェだったらいくらで買います?〕


 無邪気な瞳でまっすぐ見つめられて、思わず「どの意味でだ」と言いそうになった。


「……生憎、薄給でな。欲しいとすら思えない」

「はっ、溜め込んでるくせに」前方から鼻で笑われた。

「ラトゥール、お前は黙ってろ」


 黒眼鏡をしているのを忘れて睨みつけると、御者が見ていないのをいいことに、ラトゥールが舌を出してきた。フェルネットと同じ顔でやられると無性に腹が立つ。

 二人のやりとりを見ていたフェルネットが、顎に指を当てながら首を大きく傾げた。


〔前から気になってたんですけど、ルジェはなんで黒ちゃんをお父さんの名前で呼ぶんですか? 黒ちゃんは黒ちゃんで、本物のラトゥールさんとは違うのに〕

「ラトゥールのように振る舞われるのなら、こちらもあらかじめラトゥールのつもりでかかっておいたほうが、足下を掬われにくいからな」


 素早く挟まれた「もう何回も掬われてない?」という問いかけを無視する。


〔せめて『お父さん』って呼んであげればいいのに。名字で呼ぶなんて他人行儀です〕

「初めから他人だ。大体、向こうが先に『ルジェの』って、母の姓で呼んできたんだぞ」

〔お母さんの苗字? 名前じゃなくて?〕

「あいつも俺もルイだから呼びにくかったんだろ。それに」ルイ‐レミィの名を口走りそうになり、口を噤む。「……二人揃って、ルイと呼ばれるのが好きじゃない」


 ルイなど、ヴァルツの大通りで呼べば三十人は振り向くような名前だ。ルイ‐レミィのように複合名まで含めればかなりの数になるだろう。親子で同じ名というのもよくあることなのに、ラトゥールは頑なに彼の名を呼ばなかった。


 初めは意地になって姓で呼び返していたルジェも、ルイ‐レミィの顔を知ってからはその作法に従うようになった。今では親というより同期を呼び捨てにする感覚だ。


〔色々とむずかしいんですねぇ〕しみじみと頷いてから、フェルネットはぼそりと呟く。〔……『ルジェ』って、あだ名じゃなかったんだ……〕

「子供に呼び捨てにされるのも、なかなか新鮮だぞ」

〔ううっ、ルジェってけっこう意地悪ですよねっ〕


 慰めたつもりが皮肉に受けとられ、ルジェは苦く笑う。先に呼び方を指定したのはこちらなのだから、文句をつけるつもりはなかった。むしろ舐められていることへの自虐だったのだが……。独り言に言い返したのも悪かったのかもしれない。


「悪いな、子供の扱いには慣れてないんだ」

〔また子供って言った! ルジェだってわたしと五歳ぐらいしか違わないのにー〕


 突っ掛かるところはそこなのか。半ば感心しつつ、ルジェは平淡に答えた。


「五つどころか、十五近く違うわけだが」

〔十五ってさんじゅ……えっ〕フェルネットが目を丸めてぶわっと飛び退き、大きな声で叫んだ。〔ルジェ――そんなオジサンだったんですか!?〕


 堂々たる宣告である。

 ルジェの心へ冷たい風が吹く。と同時に、最前席のラトゥールがぷっと吹き出した。てめえ、笑える立場じゃねぇだろ。

 フェルネットは両手で頬を挟んでルジェの周りをくるくると飛び回る。


〔やっぱり吸血鬼さんは老けないんだ。てっきりコハクと同じぐらいだと思ってたのに〕

「コハク?」耳慣れない人名が気になった。「誰だ、人間か?」


 フェルネットは回るのを止めてこくんと頷いた。


〔ときどき村に来てたお兄さんです。外の人って滅多に来ないんですけど、コハクだけは毎年来てくれてて。いつもすごーく美味しいお菓子を持ってきてくれるんですよ〕彼女はえへへと笑う。〔コハクっていうあだ名はわたしがつけたんです。目の色が琥珀みたいな深い黄色だから。本名は……あれ? そういえば聞いたことないかもです〕


 貴族だな、とルジェは即座に当りをつける。魔法大国のテアには昔、呪い避けに名前を隠す風習があった。今でもそんなことをするのは貴族だけだ。


 フェルネットは懐かしげに目を細めて微笑んだ。〔コハクは気が優しくて、いつも村の子たちにおやつーってたかられてました。精霊の皆もコハクが大好きです〕

「精導士か」意図したよりそっけない声になった。

〔はい。わたしが知ってる精霊の皆と話せる人は、お母さんとコハクだけです〕フェルネットはにっこりと笑いかけてきた。〔それに、ルジェも〕


 初めは怯えていた彼女も、黒眼鏡が間にあるときは自然な笑みを浮かべるようになった。

警戒心のない笑顔を見ているとルジェはいつも戸惑う。上手く騙せているという安堵と、裏切り続けている罪悪感。どちらの自分で応えるべきかわからない。


 ふとフェルネットが空を見て〔あ〕と呟いた。〔雨になります。風の子が隠れてって〕


 驚いてルジェが空を見上げると、ぽつりと雫が頬に落ちた。彼には何も見えないが、フェルネットは精霊からである程度の情報が引き出せるようだ。ならば、精霊を経由して軍の企みを知られはしないだろうか。そう思うとぞっとした。


「お前は……俺やラトゥールが話せないときは、精霊と話しているのか?」


 フェルネットは残念そうに首を振る。〔いえ、白い子たちは一日がすぎると変わっちゃうから、あんまり話せなくて……〕二人と話す方が好きです、と言う。


「浮遊精霊の寿命は一日だったか」

〔本当は死ぬんじゃないんですけどね。夜、風の子たちは空気に溶けて、細かくなって、混じって、くっついて。そうやってまた朝霧から生まれてくるんです。だからみんな前の日のことはあんまり覚えてなくて。たまに前の子の部分が多めに集まった子がいると、昨日の話もできるんですけど……〕悲しげな瞳でぽつりと続けた。〔ちょっと寂しいです〕


 精霊の記憶が一日しかもたないなら、フェルネットが仕入れられる情報は限られる。精霊が一日に移動できる距離は未知数だが、軍の機密情報を漏れ聞いた精霊がいたとして、その日の内にフェルネットとさえ出会わなければ良いわけだ。


 ……もしかしたら。淡い光を発する少女を見てルジェは思った。

だからフェルネットは眠らないのかもしれない。精霊と同じく夜の闇に消えてしまわないように。


 前から鞭を振るう音がした。雨を気にして歩みを早めているようだ。


「急げよ~」御者が大きな声で騾馬へ話しかけた。「この辺は雨宿りできるような場所もないからな。今日中に次の町に着かんと、弱るのはお前らだぞ!」


 ラトゥールが御者台へ身を乗り出し、周りを窺った。


「たしか近くに村があったはずだけど……そこには寄れないの?」

「カシュ村か……。よく知ってたな、お嬢ちゃん」御者は雨に濡れた顔をラトゥールへ向け、声を落とした。「あすこはずっと昔に廃れちまって、今じゃ野犬も寄りつかねえよ」

「うそ」

「嘘なんか吐くかい。おかげでここらを通るときはギリギリまで水と食料を積まねぇと安心できなくなっちまっ」

「――止めて」言うなり、ラトゥールが御者の手綱を掴んで引いた。

「うわあ! なにやってんだ!!」


 騾馬が足並みを乱して、馬車の歩みが緩んだ。その隙にラトゥールが飛び降りる。茂みを掻き分け、まっすぐに駆けていった。その後を淡い光が追いかけていく。


「お嬢ちゃん!」


 慌てる御者を片手で制して、ルジェは馬車を降りた。二人分の後金を支払い、先へ行くよう指示する。固く口止めするのを忘れずに。


 焦らずとも人間の足でルジェを撒くのは無理だ。ラトゥールもそれはわかっているはず。

 彼は目を閉じて耳を澄ませた。草木を掻き分ける騒がしい音はこの辺りには一つだけだ。他に危険な気配もない。フェルネットもいるし、そう心配はいらないだろう。

 音のする方角へ続く細い獣道を見つけ、ルジェは歩き出した。

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