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▼標的1・狂愛の母3

 それから俺は頭を切り替えようと、戸棚から酒瓶を引っ掴んで露台へ出た。酒精度の低い葡萄酒じゃろくに酔えないが、血の巡りぐらいは良くしてくれるだろ。


 石造りの手すりに座って上着の襟元を緩めていると、だだっ広い庭の真ん中でぽつんと立っていたリダーが俺を見つけて走ってきた。庭には銅像がいくつかあるだけで、草木の類は一本もない。俺から奴を見つけるのも、奴から俺を見つけるのも簡単だった。


「先輩! ちょうど良かった」軽く息を切らせてリダーが下から俺を見上げた。

「一人でどうしたんだ。かくれんぼでもしてるのか?」

「鬼ごっこなら散々しましたよ。体がもたないから早々に切り上げてもらったんですけど、どこに行けばいいのか分からなくて困ってたんです」


 ひょいと飛び上がって、リダーが露台の端にぶら下がった。どんくさいかんじでよじ登ってくる。ひとっ飛びは無理でも、もうちょっと勢いを殺さずに上がれんのかね。


「俺の場所がわかんないってさ、お前、耳も悪かったっけ?」

「嫌味はちゃんと聞いてみてから言ってください。谷の風がうるさくって、人の足音なんてわからないですよ。住人の方には悪いですが、薄気味悪い所です」

「確かにちょっとうるさいよなぁ。――ああ、俺もご婦人らの居場所、わかんねぇや」


 耳を澄ませると、近くの谷風がわんわん唸ってて頭がおかしくなりそうだった。こりゃ、無意識にかなり抑えてるな。鼻もダメ、耳もダメとなると、だいぶ勝手が変わりそうだ。

 リダー君は登り切ったところで力尽きて、手すりにもたれかかっていた。


 俺は瓶を片手に懐をまさぐる。「子守りお疲れ。ご褒美に飴ちゃんをあげよう」

「結構です。子供じゃないんですから、ピルラちゃんにでもあげてください」


 へたれのくせに口だけは強気だ。こういうとこ、誰かを思い出すんだよなー。


「安モンだから、ご令嬢のお口に合うとは思えんがなぁ。この酒もスゲー美味いぞ。テア産の白葡萄酒は最高級品だからな。人間用なんでまったく酔えないけどさ」

「ヴァルツのお酒ってほとんど燃料ですもんね」奴はさも不味い物のような言い方した。

「おんやぁ? お前、まさか酒も呑めないとか?」意地悪く笑ってみる。

「そっ、そんなことあるわけないじゃないですか! ただちょっと眠くなるだけで……」


 慌てて否定する顔が真っ赤で、俺のニヤニヤ度が更に上がった。

 俺たちは酒精の分解が速いから、酒は栄養のある水って意味合いが強い。たとえ酔っ払っても、ちょっといい気分になるだけだ。人間だとラリって凄いことするらしいけどな。


「弱い奴は気をつけろよぉ。泥酔したときって、血に餓えたときと似たことになるらしいから。手当たり次第噛みついたりしたら、次の日から社会的に抹殺されっぞ」

「こ、恐いことを言わないでくださいよっ。僕はそんな風にはなりません!」

「そう言う奴が一番ヤバいんだって。俺のツレのルジェなんか面白いぞ~。もう、気持ち悪くて気持ち悪くて、最っ強に面白いから」


「全然想像がつかないんですけど」

「あの気持ち悪さは知らない奴にゃ説明し辛いんだよなぁ……あとそうだ」指をパチンと鳴らす。「賭け札でボロ勝ちもできるぞ。次の日には忘れてるから友情に皹も入らない」

「詐欺じゃないですか! あーもう、僕、絶対に先輩と一緒には呑みませんっ」


 イイ笑顔を向ける俺を睨みつけて、リダーが距離をとった。ちぇっ。つまんねぇの。

 酒を呷ってふて腐れていると、ふいにリダーが城壁の向こうを見やった。隠れ始めた陽射しを受けて、青い眼が瞳孔をキリキリと縦に細める。


「……でも、そういう友達っていいですよね。僕、中央に来てから付き合いが減りましたもん。七一ってだけで避けられますから……あ、僕の場合は他の事情もあるんですけど」


 リダーは決まり悪げにはにかむ。こいつはウチに来る前は地方の金融課にいたんだが、たまたま同じ部署で起った横領事件の巻き添えを食らって、こっちに飛ばされたんだっけ。リダーにはなんの罪もないんだけど、あの後犯人が爆殺されたりしてキナ臭いことになってるから、どうにも距離を置かれてるんだろう。しかも配属先がよりによってウチだし。


「俺もウチに来た当初はツレが激減したよ。変わらずに付き合ってくれる奴は宝だな」肩をすくめて、呟く。「……特にあいつは七一に複雑な思いがあるだろうに」

「あいつって、さっきのルジェ氏ですか?」

「ああ。あいつは……」迂闊に言いかけて留まる。同僚とはいえ、教えていいのか?


 でもすぐに思い直した。特に秘密でもなんでもないんだよね、あれ。


「ルジェはさ、英雄ルイ‐レミィの実子なんだよ」

「え、ルイ‐レミィって……ええ!?」


 慌てて振り向こうとして、足を滑らせるリダー君。ははは、愉快な驚き方をするなぁ。

 ルジェの素性は、五十歳以上の軍人なら大抵知ってるみたいだ。でもその辺は魔物の襲撃や政権交代のあれこれでざっくり減ってる層なんで、絶対数が少ない。んで、その下となると、ルイ‐レミィの知名度のわりにまったく知られてないんだな、これが。


 だって俺たちって婚姻制がないから、片親は不明なのが普通だし。自分の親も知らないのに、いわんや他人をや。俺もおかんの歴代の恋人のうち、どいつの種か知らんしな。

 リダーは目を丸くしてしばらく止まったあと、掴みかからん勢いで寄って来た。


「それは確かな情報ですか!? なんで知ってるんです? 本人が言ってたんですか!?」


 えらい熱心だ。そういえば前に『尊敬する人物はルイ‐レミィ』って言ってたっけ。


「いや、あれは偶然っ知ったつーか、居合せたっつーか……」どうしても歯切れが悪くなった。「初等士官学校の頃に、二人で校長室に忍び込んだんだよ。そのとき知った」


「……嘘でしょう」さあーっとリダー君の顔色が青くなった。だよねぇ、引くよねぇ。俺も入学したばっかで右も左もわかんなかったからできたけど、今思うとぞっとするわ。


 武官校の規律は厳しくて有名だ。廊下を走ったら校庭八百周。髪が長いと千三百周。立ち入り禁止区域に入ったら……教官の気がすむまで鞭打ちされて、監禁一週間だっけ? 実質入院期間だよな。使いモンになる範囲で収まってた前線の部隊内規則方がまだマシだ――いや、理不尽さではあっちがダントツだったけど。


「たまたまコソコソしてるあいつを見つけてさ。面白そうだから話かけたら、昔の卒業写真を探してるって。で、見てびっくり。あいつ、ルイ‐レミィと瓜二つでやんの」


 白黒写真だったけど、ルジェの顔に泣き黒子つけただけに見えたもんなぁ。あれには俺もビビったわ。隣に写ってた総統閣下が今とまったく変わってなかったのも驚いたけど。


「……それからかな、あいつが魔法に入れ込み始めたのは」

「なぜです? ルイ‐レミィ氏は剣の達人だったと聞いていますが。魔法なんて……」

「違う分野なら目立たないからな。お前、ルイ‐レミィの忌み名、知ってるか?」


「え?」きょとんと目を瞬かせる仕草で、こいつが英雄の一面しか知らないのがわかった。


「『荒野の雨』。ドロッドロの赤土に汚れた真っ赤な水が、足下いっぱいに流れる様に喩えたそうだ。殺害直後の現場は、そりゃあ酷いありさまだったらしいぜ」


 ルイ‐レミィは名立たる甲種でも確実に一撃で仕留めた。ある時は刃物で首を飛ばして、またある時は素手で頭部を引き千切って。いつも必ず、盛大な血しぶきをあげたとか。

 今の評価がどうであれ、そんな親を誇りに思うには、ルジェは若干、我が強すぎた。


「魔法はただの興味かもしれんが、あいつが目立ちたがらないのは本当だよ。実父だけじゃなく養父の名前もでかいからな。一歩間違えばわんさか敵を作って消されててもおかしくない。そうならなかったのは、あいつの立ち回りが巧いというか……」空気というか。

「へぇー、ご養父も高名な方なんですかぁ」


 いまいちピンとこない様子で頷くリダーに、俺は今さらぽかんとなった。


「おま、ルジェがどこのどいつかわかってなかったのか! この前見たろ、総統執務室で」

「え、ああ!」奴は手袋をした手をぽんと打つ。「あの、事務的で印象が薄いかんじの!」

「……さすがのあいつもお前にだけは言われたくないだろうなー……」


 俺はまじまじとリダーの顔を見た。普段は気にならないが、いやむしろまったく気にならないくらい、こいつも顔が薄い。真っ直ぐな黒髪といい、子供っぽさが残る丸っこい輪郭や大きな目といい、若い奴にはゴロゴロいるツラをしている。逆にもうちょっと崩れた配置になってれば見分けもつくのにってぐらいの、中途半端な整い具合も惜しい。


 俺の視線の意味を察知して、リダーがむっと口を噤んだ。「どうせ僕は地味顔ですよ」


 あ、自覚あったんだ。


「お前はまだ目がキラキラしてるだけマシだよ。ルジェの奴なんて今の配属先になってからどんどん目が死んでって、最近じゃあ俺でもパッと見誰かわからんくらいだから」

「慰めは結構です。顔なんて、一定の水準を超えたら後は個性と個性のぶつかり合いなんですから」結局は強い者が勝つんですよ……とリダーは遠い目をした。


 こいつも苦労してんのなと思いながら、俺は酒瓶に口をつける。と、いつの間にか空になっていた。名残惜しげに振っていると、緑の硝子の向こうに小さな影が透けて見えた。


「――あれは?」


 艶やかな金髪に、真っ白なネグリジェ。見紛う事なきピルラ・ルモルトン嬢だ。

 少女はスキップしながら壁伝いに進み、屋敷の裏手へ回りこんだ。

 この城館は山の斜面にぴったりとくっつけて立てられている。裏に回っても何もないはずなんだが……あの足取りは、ただぶらぶらと遊びに行くときのものじゃなかった。


「おい、ついて来い」


 俺は左手を肩の位置でパタンと前へ倒した。武官の手信号を知らないリダーがぽかんとしているのに構わず、腰の剣を押さえてバルコニーから飛び降りる。


「先輩、僕、疲れたんですけど……」

「もう夕方だろ? ヴァルツじゃとっくに日付も変わってる。行くぞ」

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