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▼標的1・狂愛の母2

 上着の襟元を留め直しながら、俺は赤岩を組んで作られた城館を見上げて唸った。


 正面から見るとヴァルツの総統府に似てる。左右対称で、中央が山形になってるとこや、両端に塔が張り出てるとこがそっくりだ。総統府の縦横をぎゅっと縮めて、山腹にぽこっとはめ込んだってかんじ。きっと建築様式が同じなんだな。


 大きく違うのは色だ。どっちも荒野の土で作ってあるんで、赤いには赤いんだけど、こっちは岩の隙間を赤黒い漆喰らしき物で固めているから、近くで見ると城全体を黒い紐が這い上がっているように見えて、妙な迫力があった。


 これまたでっかい鉄扉をルモルトン女史が押し開けると、石造りの床でカカンと硬い音が二つ鳴った。一つは女史の杖、もう一つは義足だ。


「さあ、お上がりください」ほの暗い玄関を女史が先導する。


 優雅な内装の玄関には、甘い香りが漂っていた。古惚けた木材みたいな温かさがあって、不思議と胸が騒ぐ匂いだ。香でも焚き染めてるんだろうか。


「もう遅いので、お客様の寝室へお通ししますわね」

「は。お心遣い――有難う『あります』」


 ……ってうえ!? 俺は慌てて口を押さえた。「し、失礼しました。昔の癖が……」


「前線言葉ね。懐かしいですわ」

「お聞き苦しい限りです」


 女史は気にしてないみたいだが、俺はそうはいかなかった。なんで今ごろ前線言葉が出てくるんだよ。中央で散々『耳障りだ』って言われたから、必死になって直したんだぞ。最近じゃ使いたくても忘れてきたってのに、何もこの場で出ることないじゃないか。旧大公家のご主人様の前で、さあ!

 冷や汗タラタラの俺をつれて、女史は館の中を簡単に説明した。


「三階より上と地下は使用しておりませんので、行き届かないところもあると思いますわ。もちろん、入るなとは申しませんけれど……気をつけて下さいね。今はこの館も人がおりませんから、迷われるとすぐには見つけられませんので」

「承知しました」俺は慎重に口を開いた。大丈夫、さっきのはちょっとしたミスだ、ミス。


 総統府もそうだけど、ここも中は複雑みたいだ。旧貴族の敵は魔物だけじゃなかったから、いろんな事態を想定して作られてるんだろう。ヴァルツも地下は非正規の居住や通路が縦横無尽に広がってて、迷宮みたいだもんな。軍の手が届かない裏社会すらあるとか。


 そういやガキの頃に何度か迷子になったっけ、なんて考えながら暗い廊下の壁を見ると、一際大きな絵があった。細窓から昼の光が差しこんで、絵だけを浮かび上がらせている。建物そのものの装飾に比べて調度品が少ないせいか、その絵は不思議と目についた。


「ご家族の肖像画ですか?」俺は足を止めた。


 描かれているのは幼い銀髪の少女と、その母親と思われる人物だった。


「ええ、私が五つの頃のものです。左が私で、右手に座っているのが母のマルムですわ」


 六十間近のルモルトン女史が五つなら、革命寸前かな。大公家の栄光輝やかしき時代ですね。……とか言うとうっかり皮肉にとられそうなんで、俺は黙って絵画鑑賞に努めた。


 日没後の淡い光の残る空を背景に、緑豊かな庭園が描かれている。手前には繊細な透かし彫りの入った白い椅子と丸机が置かれていて、その隣に幼いラルテが立っていた。ひだ飾りと金糸の刺繍がふんだんについたドレスを着て、幼いながら淑女然と微笑んでいる。面影のある幼い顔は目鼻立ちがはっきりとしていて利発そうだ。銀の髪は今よりもくるくると巻いていて、夕暮れの紫とわずかな橙色に染まっていた。


 右の少し奧で椅子に腰掛けている女性は細面の儚げな美人だった。見事な金髪を上品に結い上げて、ラルテ同様きらめかしいドレスを纏っている。華奢な体を椅子に預けて微笑む彼女の視線は、愛娘へと愛しげに注がれていた。


「二人とも、幸せそうなお顔をしていますね」

「――そうですか?」


 どこか無防備に訊き返されて、俺は返事に困った。絵のことなんぞこれっぽっちもわからないから、適当な感想を述べてみただけなんだけど。「え、いや、そう見えませんか?」


「……私には、母が幸せだった記憶があまりありませんので」俺の視線から逃げるように、ラルテは淡い睫毛を伏せた。この絵を見てもよくわからないと彼女は言う。「母は、大公家の娘としてしか生きられない人でした。一人では何もできなくて……不幸な生き方をした人でした。特に、弟が生まれてからは」

「弟さんがいらっしゃるんですか?」

「ええ。幼い頃に別れましたが……。あの子もかわいそうでしたわ」

「かわいそう、ですか」

「俗に言う世の流れというものに、我が家は抗いきれなかったので」


 俺は一瞬ピンと来なかった。「――ああ、革命ですか。激動の時代だったそうですね」


 当時、貴族は権威を剥奪されるだけじゃなく、領土や財産のすべてを没収され、人間と関わる商売は即刻停止された。散り散りになった家族も多いと聞く。

 このへんの話は旧貴族にゃ地雷なことが多いから、俺はつるっと話題を切り替えた。


「ところで、お母上はどことなくピルラちゃんと似ていますね。近い血縁なんですか?」


 マルム女史は細面の美人だ。艶やかな金色の髪や、小作りな口元がピルラちゃんによく似ている。体つきも豊満なラルテ女史より繊細で、風が吹けば飛んでいきそうだった。


 女史は静かに頷いた。「ルモルトンの血筋でなければ、意味がありませんので」

「それもそうですね」

「では、そろそろ参りましょう」俺の興味が絵から離れたのを察して、女史は歩みを進めた。「お連れ様は隣の部屋でよろしいですね。何かお召し上がりになるのでしたら、軽いものをご用意しますが」

「食事は済ませましたので、結構です。あ、できれば体が温まりそうな物を少し……」

「葡萄酒でよろしければ客室の戸棚にご用意してございますわ。ご自由にお嗜みを」

「さすがは中将『殿』。心中掌握巧みの事、まことに恐れ入り――あっ」


 またか!


 俺はとっさに自分の頬を引っ叩いた。「申し訳ありません。今までこんなことは……」

「いいえ」ラルテ女史はなだめるように首を振った。「もしかすると貴方はとても鼻が良いのかもしれません」彼女は爪の綺麗な手を壁へ伸ばし、指の腹でゆっくりと黒い漆喰を撫でた。「この館は漆喰に魔物の臭いを含ませてあるのです。古い魔物避けの方法で、縄張り意識を逆手に取ったものなのですけれど……」

「なるほど。それでこの館の中はこんなにも――胸が騒ぐんですね」

「前線を思い出されるのでしょう。貴方は魔物に敏感なのね」


 臭覚を研ぎ澄ませると、甘いようなすえたような、不思議な匂いがする気がした。

 けれどラルテ女史の香水がそれを打ち消してしまう。淫らな花を思わせる、甘く、僅かに苦みのある香りが絡み付いてくるようだった。


「よくわからないな。正直、貴方の香水に惹かれてしまって」

「お褒めに預かり光栄ですわ。これにも同じ香料が使われていますの」女史は穏やかに微笑んだ。「我が家は古くは香料商を営んでいました。魔物の香嚢を麝香の一種として人間に卸していたのです。魔物の臭いはとても嫌なものですけれど、希釈すると甘く官能的な香りになります。今は軍の専売ですが、金や香辛料よりも高値で取引されているのですよ」


「ああ、香料の輸出産業があるとは存じておりました。てっきり合成香料だと思っていたのですが、魔物とはね。魔物避けの被服香料もこれですか?」

「ご明察です。貴族制がなくなり、家財が根こそぎ軍に奪われた後も、この香りが私たちを守ってくれていたのです。我が家の宝ですわ」

「素晴らしいお話で『あります』なぁ……」……もういいや、気にすんのやめよう。


 まさか匂いで訛りが戻るとはなぁ。ここにリダー君がいなくて良かった、あいつは文官のへなちょこ教育しか受けてないから、突然『貴様』呼ばわりされたらびびっちゃうよ。


 二階の角部屋まで案内を済ませると、女史は優雅にネグリジェの裾を持って一礼した。


「それでは、こちらの部屋へどうぞ。私はこれで失礼しますわ。また、夕刻に」

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