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▼標的1・狂愛の母1

標的(ターゲット)1・狂愛の母


【証言記録音声〇〇三:ロベルト・ロイ執行大佐】


 えーと、第三乾月六日、時刻は〇一〇〇。東部第八支部にて口頭記録開始。

 武官号(ナンバー)三三一五二八、ロベルト・ロイ。第七一憲官隊所属。


 『これより私はヴァルツ大憲法のもと、事実のみを証言することを誓います』、っと。


 ……で、どこまで話したっけか。飯食ったら全部飛んで――ああ、総統閣下のお試し審判(ジャッジ)までだっけ。あの時は本当に参ったよ。新人君ってば、閣下のおふざけに思いっきり引っ掛かっちゃってさあー。『あれは絶対黒だ!』って大騒ぎすんだから。おかげで上が再調査することになって、俺まで隊長に怒鳴られるわ殴られるわ――あ、これさっきも言ったっけ? まあいいや、とにかくひと悶着あったわけ。


 その影響か、次の任務で飛ばされたのが超絶僻地にあるルモルトン邸でさぁ……ってコレ、言ってもいいの? 一応ウチにも守秘義務ってモンがあるんですけど、大丈夫?


 そ。ならいいけど。



     ◆



 俺たちが訪れたルモルトン邸は、ヴァルツの東南、第二山脈と第三山脈の谷間にある。


 この辺までくると多少は植物があっていいね。背丈の低い木や草が斜面に張りついてて、たまにちっさい花なんか咲かせてる。その代わり谷風がバカみたいに強くて、唸り声みたいな音が四六時中吹いてるから、頭が痛くなるけどな。今となっちゃ人気のない僻地だけど、旧ヴァルツ都墟からも近いし、昔は結構なご領地だったのかもしらんね。


 ご存知の通り、ルモルトンと言えば三大公の名家様だ。現当主――って言い方も古いけど――ラルテ・ルモルトン女史は、軍の将校も勤めた第一級の甲種様様。とはいえ前線で片足を失ってからは予備役に回って、娘のピルラとのほほんと田舎暮らしを楽しんでる。


 今回の任務は彼女の定期検診だった。検診ってのもおかしいけどな、ウチではこう言う。定期ならちょっとした変化しかないから、新人の初陣にはもってこいだ。今回は前任者からの引継ぎ物件でもあったから、ほんと、ただの顔見せのつもりだった。


 俺たちの突然の訪問を、ルモルトン女史は温かく迎え入れてくれた。……いや訂正。正確には結構な間、気づいてくれなかった。到着したのが真昼で寝てたらしくてさー。


 俺たちは任務上、事前に訪問予告ができない。到着前に証拠を消されたり、替え玉と入れ替わられたり、仮病で寝込まれると困るんだ。突然行っても堂々と『死にました』とか言われたこともあるしな、本人に。


 だから今回みたく訪問を気づかれないと、ひたすら放置の憂き目に遭います。俺はこのぐらい慣れっこだけど、新人君はそうじゃなかったらしく、門の前で、


「冗談じゃないですよ! こんなきつい陽射しの中で放置されたら僕、すぐに干乾びます。すぐですよ、すぐ! ど田舎で男に看取られて死ぬなんて、絶対に嫌ですからね!」


 即行で駄々をこねやがった。うぜぇ。

 新人君ことウィリアム・リダーは虚弱体質で、どんくさいわ、ちょっと走ればぶっ倒れるわ、煙草の煙で呼吸困難になるわと、ヘタしたら人間より弱い……かも。うん。


 そのせいか、とにかく死ぬ死ぬ発言が多い。暑いと死ぬ、寒いと死ぬ、荷物が重くて、くい過ぎで、俺の運転が荒くて死ぬ。本人に悪気はないんだけど、前線も知らないガキにあんまり刺激的なことを連呼されたくないんだよなぁ。ま、死ね死ね発言よりマシだけど。


 俺は軍用車の前部の上に座ったまま、あきれ半分でリダー君に声をかけた。


「お前なぁ、昔話の吸血鬼じゃあるまいし、日光で死ぬとかありえないから」

「ありえるのが僕なんです! 先輩は僕の虚弱体質をなめてます!」


 黒髪の奥の青い目に涙をにじませて、リダーがにらみつけてきた。その子供っぽさの残る平凡な顔は、「これだから武官は脳筋で困るんだ!」とでも言いたそうだ。


 リダーは首の編み上げリボンが目印の文官クンだ。開襟の上着の下に、いつも真っ白な詰め襟の胴着を着て、首の一番上まで部隊色の細紐できっちりと締め上げている。几帳面な結び方がいかにも優等生! ってかんじだ。


 このリボン、武官の俺には窮屈にしか見えないんだけど、薄布一枚で首を隠しただけじゃエロいっつーか、だらしないっつーか、軍人として締まらないからこうなったんだってね。俺に言わせると逆にエロエロしいんだけどさあー。前に若い子にそう言ったらオッサン呼ばわりされたんで、黙ってるけど。


 リダーは門へ近づくと上を向き、黒い手袋をした両手を口元へあてて叫んだ。


「すみませーん! 誰かいませんかぁー!」


 俺たちの前には絶壁みたいな大門が立ちふさがっていた。表から見るに、山の斜面を丁寧に削ったあと、半円の城壁で囲って、正面に門を置いたんだろう。山側にはひたすら高い壁が続いていて、壁の上にも門の上にも、ちょっと引っかけたらスパッといきそうな槍が並んでる。空気の巡りが悪そうな作りだけど、魔物の脅威を思えば仕方ないのかね。


 で、この門がさっきから全然開かない。呼べど叫べど応答なし。こじ開けようにも、扉は重いし頑丈だし、漆喰を塗り込められた壁の表面はつるっつる。さすがは長年魔物の侵入を防いできただけはあるよ。


「すみませえー――むげっ!?」


 いきなりリダーが素っ頓狂な声を出してぶっ倒れた。

 すわ敵襲か! と俺が喜び勇ん――とと、慌てて立ち上がったところへ、大きめの球がぽーんと跳ねてきた。危なげなくつかまえてみれば、綺麗な刺繍がされた鞠で。


 俺は魔物の気配がないのを確認してから、顔面を押さえて悶絶する後輩と、女の子向けの鞠を見比べた。えーと、門が開いた形跡がないってことは。


「む、向こうから、何かが飛びこえてきて……っ」

「避けろよ……」


 これだけ高い門をこえてきたんなら、落下までにかなりの時間があっただろ。それをよりによって顔面に食らうとか、どんだけどんくさいんだ、こいつ……。


 俺がリダーを助け起こした、ちょうどその時、でっかい門がゆっくりと開いた。

 隙間から寝間着姿の貴婦人が顔を覗かせる。癖のある長い銀髪が印象的な美女だ。肉付きのいい体をゆったりとした服が隠している。その腰には幼い女の子がくっついていた。


「あらまぁ大変、人がいらしたなんて。坊やたち、お怪我はなくて?」


 おっとりと驚きながら、婦人は優雅に小首を傾げた。その首元からコクのある甘やかな香りが漂ってくる。鉄の杖をついてるから、彼女が館の主ラルテ・ルモルトン女史かな。

 婦人の淡い緋色の目が俺達の腕章を捉えて、一瞬、細い瞳孔を開いた。


「七一の方ね……。もうそんな時期でしたか。いつもの方とは違われるようですが?」


 俺が答えるより速く、リダーが慌てて背筋を伸ばした。堅苦しい動きで敬礼する。


「はっ、前任者の都合で、此度より我々が担当させていただくことになりました!」


 で、そのまんま硬直。緊張で頭から手順が吹っ飛んだらしい。あーあ。道中必死に確認してたのになぁ。


 よし、お前、ちょっと引っ込んでろ。


 俺は片手で軽く後輩を制して、彼女の前に進み出た。笑顔で軍帽を取る。


「お初にお目にかかります、ルモルトン女史。私はロイ。執行大佐を勤めております。こちらは書記見習いのリダー。いつも通り、数日間の滞在をお許しくださいますね?」


 初見は礼を失さない程度に、強引に行くのがコツだ。ここで断られると後が面倒だからな。元貴族は弁が立つから、こっちも気を引き締めてかからにゃならん。


「もちろんです。お断りする理由などございませんわ」たおやかに、毅然と女史は答えた。

「ご協力、感謝いたします」


「あっ、ありがとうございました!」上擦った声でリダーは敬礼。お前は敬礼しかすることがないんかい、とか言いたくなるが、新人なら誰でも焦って当然か。相手はラトゥールに並ぶ上一級の甲種サマだ。気の小さい奴は目を見ただけでタマがすくみ上がるだろう。


 女史の腰にくっついてた金髪の女の子が、母親の服をぎゅっと握りしめて後ろへ回った。


「お母さまぁ……。ピルラ、黒い服の兵隊さん、恐いですわ」

「失礼なことを言ってはなりません、ピルラ。彼らは軍人です」

 それを聞いたリダーがまたびしっと敬礼して、「お嬢様、我々は総統領第七一け――」

「娘さんですか? 可愛いですねぇ」


 野暮な自己紹介を、俺はあえてぶった切った。子供だってバカじゃないんだ、俺たちが何かぐらい知ってるだろう。それをわざわざ名乗って怯えさせるなんて、鬼畜の所業だ。


 俺の間をもたせるだけの質問に、ルモルトン女史は首を横へ振った。


「この子は親戚の子です。(わたくし)には子供がおりませんので……」

「養子ですか。由緒ある家柄ではよく見かけますね」


 そういえば、彼女は四十そこそこの見た目に反して、六十の大台に差し掛かっていらっしゃるのでした。せいぜい七、八歳のこの子なんて、娘ってより孫だよな。


 俺は軍服の上着を脱いで小脇に抱えると、その場にしゃがみ込んだ。腰に下げた剣を上着でうまく隠して、笑顔で毬を差し出す。「はいどうぞ。この鞠、お嬢ちゃんのだろ?」


 ピルラちゃんは女史の後ろからこわごわとちっちゃな顔を覗かせた。細面の顔の中で、大きな薄紅色の目が瞬く。さっすが甲種、めちゃくちゃ可愛い。真っ白な肌とネグリジェに金髪が映えて、天使みたいだ。将来はさぞや美人になるんだろうなぁー。


「お兄様たちは恐いこと、なさいません? ピルラと遊んでくださいますの?」


 うあ、お兄様だって、お兄様! つたない敬語に脳味噌が溶けそうです、俺。


「もちろん。こっちのお兄ちゃんが馬でも犬でも、何にでもなってくれるから、好きなだけ遊んでいいよ」と隣で石化中の後輩を指さすと、奴は魔法が解けたみたいに動き出した。

「ちょっ、先輩、勝手に何言ってるんですか! 任務中ですよ!?」

「堅苦しいこと言うなって。今日は顔見せだし、仕事は明日からにしよう、そうしよう!」

「自分がサボりたいだけでしょう。真面目にしてください!」目をつり上げて怒られる。


 今日は遅いしと俺が口を尖らせると、奴はもっとギャンギャンになった。子犬かお前は。

 しっかし文官って自由だよな。武官は躾が厳しいから、上官に意見なんてしようもんなら即行でビンタとられっぞ。あ、俺はやらないけどね、こいつ弱いもん。


 言い合いをしているうちに、脅威はないと判断されたらしい。ピルラちゃんがてててっと寄って来て、俺から毬を取り上げた。そのまま大きな目を輝かせてリダーを見上げる。


「本当にピルラと遊んでくださいますの? ちい兄様?」

「うっ」美少女のおねだり攻撃に、さすがのリダー君もたじたじだ。


 だがそのやりとりを鋭い声で制したのは、ルモルトン女史だった。


「ピルラ、お客様に無理を言ってはなりません。もう遅いのですから、休まないと」そして俺たちへ小さく頭を下げる。「すみません。この子は夜寝の癖が抜けなくて、昼が遅いのです。今も一人で遊んでいて、鞠が飛んでいったと起こしに来て……」

「ピルラ、全然眠たくありませんの。もっと遊びたいですわ!」


 ピルラちゃんの目はランランしてた。これは夜寝云々じゃなく、小さい子特有の、三日ぐらいぶっ続けで遊びまくるときの顔だ。限界まで遊んでパタッと倒れるっていうアレ。


「ピルラ、わがままはいいかげんに――」

「まあまあ。いいじゃないですか、女主人(マダム)」俺は二人の間に割って入って、女史の端正な横顔に耳打ちした。「実は新人教育も兼ねておりまして。少し解してやりたいのです」と、そつのない事を言ってみる。本音は堅苦しい時間をなるべく減らしたいだけだけど。


 そんな俺の思惑を知ってか知らずか、女史は薄緋の目を細めて、からかう様に微笑んだ。


「……面白い方。それで貴方が怒られないのなら、喜んで」

「耳が痛いな。確かうちの連隊長と同期なんですよね、ルモルトン中将。貴女の武勇伝は前線でもよく耳にしましたよ」


 ラルテ・ルモルトンといえば軍の成立期を代表する武官だ。平常の穏やかな姿と裏腹に、こと戦闘となると鬼のような強さだったらしい。出自が旧大公家というのもあって、革命で一時は日陰に追いやられてた貴族たちを甲種という使える駒だと証明した一人でもある。


「すべては昔の事です。今となってはこの足ですもの」


 彼女はネグリジェの長い裾を払って、右脚を見せた。

 そこに足はなかった。足の代わりに一本の鉄の棒が地を穿っている。


 無骨な鉄棒は上品な彼女にひどく似合わなかった。ヴァルツの技術ならもっと良い物が作れただろうに、甲種ゆえ、見た目よりも強度を優先したんだろう。


 とりあえず、男としては目を伏せておいた。

 女史は裾を戻すと長い銀髪を後ろへ払った。肉感的な唇がきゅっと口角を上げる。


「今では私などより貴方のほうが有名ではないかしら。ねぇ、『前線の死神』さん?」


 げっ、知られてた!


 俺が止める間もなく、ピルラちゃんの相手をしていたリダーが素っ頓狂な声をあげた。


「え? 先輩があの有名な? 『師団潰し』とか『死線の誘い師』とか『死の嚮導軍曹』とか、さんざん酷い名前で呼ばれてる、あの!?」

「またなんか増えてるし」俺は思わずこめかみを押さえた。


 ええと、前線にいた頃なんだけど、俺がいた部隊はなぜが壊滅した。どれだけ危険度の低い任務でも、たった一度の例外を除いて、確実に、だ。おかげで前線を離れて七年も経った今でも、あだ名が一人で遠征中っていう……あー、頭痛いわー。


 リダーが慌ててピルラちゃんを引き寄せて、俺から距離をとった。「真っ赤な髪の悪魔みたいな男だとは聞いてたんですけど、先輩だったなんて! 僕、生きて帰れますよね?」

「悪魔て。安心しろ、中央では一度もないから。……魔物が出たらわからんけどな」

「遭遇しないことを死ぬ気で祈ります!」


 ちょっとふざけただけなのに、神妙な顔で頷かれた。い、いたたまれない……。

 急におとなしくなったリダーを好機とみて、ピルラちゃんが奴の腕をつかまえた。


「さあさ、ちい兄様、ピルラと遊んでくださいましな!」

「じゃあリダー君、後は任せたから。おやすみ~」

「え、先輩それズル――ってうわ! ピルラちゃん、引っ張らないでー!」


 ピルラちゃんに足から摩り下ろしそうな勢いで引っ張っられながら、「やっぱり悪魔だー!」と叫ぶリダーへ、俺は満面の笑顔で上着を振ってみせた。

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