真紀さん現る
「え、えーっと、本当に真紀、だよね?」
「ん?どうしたの?そうだけど……。大丈夫聡?」
何故か心配されてしまった。うん、わかるけど。わかるけど!
ということはヒカリは元の世界へ? えー。置いていかれた。ヒカリめ、あいつ許すまじ。激おこだ。
「ねー、聡?本当に大丈夫?」
真紀が心配そうに顔を覗き込んできた。一歩二歩と後ずさりしてから答える。
「大丈夫だよ。心配しないで」
「ならいいけど……」
彼女は納得できないというようにじっとこちらを見つめてくる。女子怖い。無言の圧力まじ怖い。ヒカリの暴力なんてかわいいものだと僕は知った。
「ってか……私、なんでここにいるの?」
「え」
あーそれは、と続けるが訝しげな視線が向けられた。怖い、怖いから。
「変態」
「いや、ちが」
僕の否定は彼女の耳には届かない。ほんとだよ! さっきまでいたのは変態……じゃなく、物好きなヒカリっていう女子だよ! お前に似てるやつ!
「死ね」
みぞおちに入れられた。やっぱ、ヒカリの暴力なんてかわいいものだ。なにこのひとー。なんか意識が朦朧としてきた中、懐かしい顔ぶれを思い出した。
目が覚めると、何故か妙に暑かった。たしかにここは暑いけれど、ここまでではなかったはずだ。どうなっているのだろう。
と思ったらそういうわけではなく布団を首までかぶっていた。しかも冬物。暑いわ!誰が出したんだこれ。誰がかけたんだこれ。
思い出した。ここには鬼軍曹真紀がいたのだ。うーん、高岡、僕はどうやら彼女を見くびっていたらしい。彼の恋は応援したいが、こんな相手で大丈夫なのだろうか。みぞおちパンチ野郎だぞ。危険人物なので要注意だ。下手なことしたら殺される。鬼軍曹には素直に従っておくべきだと思う。ごめん、高岡。
「あ、起きた」
突然顔を覗き込まれて驚いた僕は、ぎょっとした。
「真紀、さん」
「やだちょっとそういうのやめてよ。私苦手」
けらけらと楽しげに笑いながら僕が被っていた分厚い布団を除けてくれた。あ、親切。
「おなか、大丈夫? ごめん、私ちょっと調子乗ってたよね。動揺しちゃって……。ほんとごめん」
頭を下げられ必死に謝られるので、こっちが恐縮してしまう。なんですか、これ。反省モードですか。鬼軍曹どこ行った。いや、こっちの方が僕からしたら好都合だけど。
「だ、大丈夫大丈夫。気にしないで」
そうは言ったものの、彼女は納得できなさそうにしていた。少し不満そうだ。そんな顔するんだったら最初からやるな。
我慢できなかったとかそんなの知らない。そこは我慢するのが高校生だろう。まあ謝ってくれているからこれはプラマイゼロということにしてやろう。……ってなんか、上からだな。
「……うん。ごめん」
相変わらず申し訳なさそうにする真紀に、僕は焦る。
「いいよ、気にしないでって」
「……いいの? 本当に?」
なかなか納得してくれない真紀に、僕は内心困っていた。ああ、また殴られませんように。まあでも彼女の言葉を信じることにしよう。謝ってるし。
いやー、それにしても倒れるとは僕自身も想像していなかったな。いや、むしろ想像できていた人って未来予知の能力があるんじゃ……。怖い怖い。
いや待て、本当に怖いのは予知能力ある人じゃなくみぞおちパンチで人を倒す真紀じゃないか? いやいや、もしかしたら倒れた僕がおかしいのかもしれない。どっちだ、どっちが異常なんだ。
「聡?」
「えっあっ、ご、ごめん。聞いてなかった」
むすっ。そんな効果音が聞こえてきそうだ。真紀とヒカリはやっぱり似ている。外見もそこまで変わらないし、本当に怖い。うーん、なんでここまで似ているんだろう。不思議。
「だぁかぁらぁ! そろそろ私、帰るねって」
「う、うん」
そうか。ここは僕の部屋だから帰ってもらわないと。ということは、僕が気を失っていた間ずっといてくれてたってこと……。真紀もそこそこ変態じゃないかな。帰ってくれてよかったのに。
あと、やっぱり彼女は全体的にヒカリに似ている。ちょっとわがままなところと、話を聞いていないとキレるところがそっくりだ。あ、これは一応僕が悪いのか。人の話はちゃんと聞きましょうって言うもんなー。
「それじゃあ」
んん? 僕は彼女が向かった先をまじまじと見つめた。なぜ、なぜ僕の部屋から出て廊下に行こうとする。窓をまたぐんじゃないのか。
「ちょ、ちょっとどこ行くつもり?」
「え? どこって、玄関から帰るの。普通でしょ?」
僕の普通はそんなんじゃない。僕の普通っていうのは窓をまたいで行き来することだ。
玄関から入ってきたんじゃないのに出て行くだけ出て行ったらあとで困るのは僕だ。少なくとも元の世界の母はそういうことを聞きたがる性格だったからすごくうんざりしていた。人の幸せは黙って祝福するもんだぞ。ちなみに僕にはそんな幸せが訪れたことはないが。
「……仕方ない」
諦めてさっさと出て行ってもらうことにした。よし、頑張ろう。
「走れ!」
「え?!」
どたどたと足音が鳴り、床がぎしぎしいっているが気にしない。さあさっさとこの問題児を家に帰すのだ。
「あたっ、ちょっと、痛いって!」
「あとちょっとだから」
母はお風呂に入っているらしく、鼻歌が聞こえてきたが気づいていなさそうだ。姉はいない。父は寝ている。今がチャンスだ。
なんとか外に出た僕らはぜえぜえと息を切らしていた。体力ないな……。
「じゃ、おやすみ」
「うん、おやすみ。また明日ね」
明日? ああ、学校で、か。
「うん、また明日」
手を振って別れ、僕は部屋に戻った。ふう、疲れた。何故僕がこんなにも頑張らなくてはならないんだ。別に僕は頑張り必要もないのに。……明日からどうしよう。僕、一人でやっていける自信がないです。ヒカリ、帰って来ないかなあ。
他人の幸せを祝福するどころか、再びこの地獄へと呼び戻そうとしている僕だった。
次の日、僕の寝癖は激しかった。あちらこちらへと短い髪がはねていて元気そうで何よりだ。……僕はヒカリがいなくなって頼れる人がいなくなったため、思い詰めてほとんど寝れなかったのだが。
さて、今日からどうするか。うーむ、と考え込んでいると、僕の部屋のドアが勢いよく開いた。うっ、このパターンは昨日もあったんだけど。
「おっはよー聡! ってなんだ、起きてんの。せっかく寝起きドッキリやろうと思ったのに」
最後の方が聞き捨てならない。寝起きドッキリなんてされたら本気でキレるぞ。今僕は人生で一番イライラしているからな。コラ、がっかりするな、姉よ。
「……おはよう」
テンションの低い僕を見て、姉はいつもと違うということを認識したようだった。よしよし、分かったんだったら出て行ってくれないかな。僕はこの元気な寝癖を直したいのだけど。
「聡、元気ないね。なら、今日は学校休めば?」
「は?」
軽い。軽すぎる。え、え、なにこれ。なにこの展開。ちょっと元気ないだけで学校休める系? これって姉がただ単に聡に甘いだけ? それとも、ここの学校ってそんな感じ?
そういえば、玄関のカギはオートロックだったっけ。もしかして、うちって見かけによらず金持ちだったんじゃ……。それで、権力者だからそうやって休んでもオッケーとか? うわあ……すごい。ここまでとは。
しかし、僕はそんな誘惑には惑わされない。
「大丈夫。行くよ」
「そう?」
姉は心配そうだったけど、体調も絶好調ではないけど悪くはないし、学校に行くには十分の体力がある。うんうん、学校をさぼるのはよくない。日進月歩っていうし、こつこつ頑張ろう。毎日の進歩を怠らずに……あれ? なんか意味違うような。
さっそく僕は学校に行く用意をし始めた。あっづい。
制服に着替えながらふと窓の外を見る。もちろん、ヒカリが跨ってくるとか向こうの窓から叫んできたりとかそんなことはない。
ちょっと残念だったりもするけど、そんなにさみしいわけでもない。むしろさみしがってたらヒカリがにやにやしそうだから、絶対にしたくない。ほんとに。
「聡っ、まだ!?」
なんでキレているんだ。姉、美智佳は何故か僕の部屋のドアの前にいるらしく、僕の登場(?)を待っている。怖い怖い。
突然できた姉という立場にただでさえ混乱しているというのに、さらになんだこの攻めは。攻めは! ……うん、攻めじゃない、よな。多分。うん、う、ん。
「聡ぃ! まだ!?」
外野がうるさい。ちょっと黙ろうか。彼女がなぜ僕を待っているのかがわからない。だから急ぐこともない。うーむ。
「さーとーしぃ!!」
しつこい。そろそろなんか言うべきかなぁ。なんて言おうかなぁ。……今、すっごいつまんないオヤジギャグが頭の中をよぎった。黒歴史、黒歴史。
「聡ってばぁ!」
ドアまでぼこぼこ叩いてくるようになった。だからなにをそんなに焦っているんだよー。それがわからないんだよー。教えてくれるんだったらいいけどさー。
「開けろっ、聡!」
あぁ、開けてほしかったのか。それならそうと最初から言ってくれればよかったのになぁ。(のんびり)
「はい、開けたよ」
「あーもうっ! おっそいっつーの! このばかっ」
どうやらお姉様はご立腹のようで。まあまあ落ち着いて。ほのぼのいこうよ、ほのぼのと、さ。
「ああっ、もう! ほんっとあんたってばか! 着替えたんだったらさっさと下行ってよ! あたし怖くて降りられんのだからね!」
なんの話だ。それとお姉様、言葉遣いがおかしくなっております。あとですねお姉様、怖いとはどういうことですか。お姉様の方がよっぽど怖――――いやいや、そんなことないですけどぉー。あ、あとですねお姉様、ばかばか言うのはよしてください。お分かりですかお姉さま。
「とにかくっ、下行ったらわかる!」
はっきり言われた。し、信じるぞ、お姉様。びくびくしながらだけど、すごい今びくびくしてるけど! 何が僕を待ち構えているというんだ。
「わかったよー」
ぶつくさ文句を言いながらも階段を降りていく。なんの変哲もない玄関。姉よ、なにをそんなに怖がっていたんだよ。
「なにもないけどー」
下からそう叫ぶと、彼女は「ちゃんと見なさいよー!」と叫んできた。ちゃんと見るのはお姉様の方だと思いますが。あとりんご食べたい。
「なにもないよー」
また叫ぶ。姉の「嘘だー!」という怒鳴り声に思わず耳を塞いだ。あの人、声、でかいですよ。どうしたんだ。あとりんご食べたい。
「そんなにいうなら降りてきてよー」
「怖くて降りられるかっ!」
言い訳された。もう僕は腹ペコなんで朝ごはん食べるぞ。あとりんごも食べたい。
「母さーん、りんごあるー?」
僕の問いかけに、母さんは「はあ?」と呆れたような声を出した。りんご食べたい。
「ああ、りんごね。冷蔵庫にまるまる一個入ってるけど。食べるの?」
「食べるー」
早く食べたい。りんごー、りんごがほしいー。りんご食べたいー。
なんでりんごが急に食べたくなったのか自分でもわからないけど。食べたい。りんご。青りんごじゃなく、普通の皮が赤いりんご。
ところで、なんでりんごってりんごっていう名前なんだろう。なんか理由とかあるのかな。
「聡ー、皮剥くー?」
「剥いてー」
「はいはい」
普通の会話をしながら、普通のりんごを普通の皿にのせて普通に食べた。普通においしい。ばくばく。……何キャラだよ、これ。
「ぎゃあああああ!」
断末魔の叫び声。なんだなんだ。あ、お姉様。ってかなんでさっきからお姉様なんだっけ。あ、なんか気取ってみただけか。恥ずかし。
「ゴキ! ゴキがいるよー!! 誰か潰してー!」
断末魔美智佳は恐ろしいことを口走りながら助けを求めているようだ。ところでゴキとはなんのことですか?
「ぎゃー! こっちこないでええぇ!」
「ちょっともううるさいわねー。ゴキブリー? そんなんで腰抜けててどうすんのよ、あんたっ」
ああ、ゴキってゴキブリのことか。
「だって、お母さん、これ、黒いしさかさか歩くし、ぎゃああああ!」
「はいはい、叩いてやるよ。ほれ」
「やだあああああっ!」
うるさい。なんだあのやりとりは。ほれってなんだ、ほれって。お、帰ってきた。
姉はげっそり。母はほくほく。なにがあったんだ。そして母の嬉しそうな顔が怖い。ストレス発散できたって感じですか? 怖い。母さんパワフル。姉は正反対の反応だけどな。よし、りんご食べよう。
「りんご食べる?」
断末魔美智佳にそう聞くと、げっそりした顔で「一切れだけ」と言ってちゃっかり三切れ取られた。お前……。彼女はちゃっかり派だ。なんとなーくこっそりとっていくタイプらしい。多分だけど。まあ、ヒカリもそういう部分あるし、やっぱ似てるなあ。何でこう似てるんだろうなあ。不思議、不思議。