ハイテンション
「……はあ?」
付き合う? 突然何を言い出すんだこの子は。ということは、朝靴箱に入っていた手紙も、この人がやったってことになるんじゃ……。
「そろそろ返事くれたってよくない? ほんっと、呆れるよ。私が何年言い続けてると思ってるの?」
「年……!?」
僕は驚いてそうつぶやいた。何年も〝聡〟にこのアプローチをしてたってこと、だよなあ……。大変すぎるな。これだったら、聡はこの世界から離れても良さそうな気がする。これを毎日されていたら、こっちがやめてくれと頼みたくなるくらいだ。
これからずっとこんな調子だったら、僕はどうしたらいいんだろう。勝手に返事も出来ないし、変に追い払ったりしてもきっと聡に迷惑だろうし。
「分からない? 私が何年あなたのことを見続けてきたか」
「み、見続けて……!?」
好きとか通り越してストーカーじゃないかな、この人。恋とか愛とかそういうのを言ってられそうにないんだけど。しかも単位が年だから、聡は相当な苦労をしていたはずだ。彼の苦労が何となくわかった気がした僕は、同情するほかなかった。
「正解は、10年よ」
唐突にその少女は言った。10年……聡、大変だったな。1年くらいここにいてあげようかな……。聡きっと、逃げたかったんじゃないかなあ。というか、僕はいつまで押し倒されていたらいいんだろう。そんなことを考えていると彼女は立ちあがって僕を見下ろした。うわあ~……。睨んでる睨んでる。これだから女子は怖い。ヒカリと大して変わらないんじゃないかと思う。
「分からなかったの? これだから聡は……」
彼女は小さな声で言い続け、立ち上がった僕のネクタイを彼女の手前側に思いっきり引っ張った。顔めっさ近い、首めっさ痛い。こ、殺す気かなあ、この人! ヤンデレ!? もしかして、ヤンデレってやつですか!!
必死にバタバタする僕を冷たい視線で睨みつけ、彼女はつぶやいた。
「これだから男は。調子乗ってんじゃねーよブス…………消えて」
「え?」
ん? 今の変わりようはなに? なんか、消えてって言われたような気がするんだけど。怖いなあ。しかも、これだから男はっていうかなり最低な台詞を吐かれたんだけど、人種差別とかはよくないと思う。
それにしても、結局あの人はなにがしたかったんだろう。ネクタイ引っ張られて、首痛かったんだけどなあ。せめてそれくらいは謝ってほしい。最近の人って、他人をいたわる気持ちとかないのかな。あ、僕も一応最近の人か。
「消えてって言ってるでしょうが! 聞こえないの? このグズ!」
えええええ。消えてって言われても、瞬間移動とかできないし。というか、ここは僕のクラスだから、出て行くのはそっちの方じゃないかと。でもなんかあんまり日本語通じなさそうだなあ。グズとか言ってるし、ヒカリはまだまだ可愛い方かもしれない。僕にとってはどっちも同じようなものだけど。
「おい、原野」
肩をつんつんとつつかれた。振り返ると、眞鍋が怖い顔をして立っていた。な、泣いてる子が見たらさらに大泣きしてギャン泣きだな。
「あいつ、厄介だから放っておいた方がいいぞ。それに、今日お前変だし」
「変?」
怖いなあ。もしや、僕と聡が入れ替わっていることを知ってるとか? あ、でも聡が必ずしも僕の世界に行っているとは限らないし……。まあ、そのことはまた今度考えればいいとして。
「とりあえず、相手にするなって」
「う、うん、分かった。ありがとう」
眞鍋って結構いいやつなんだなー。なんか不良だとかいう噂も聞いたけど、全然そんなことはなさそうだ。とりあえず、あの女子は相手にしなければいいらしい。……でも、なんで僕にくっついてくるのか誰か説明してほしい。
「痛いから、離してくれないかな。消えろってさっき、言ってたよな……?」
「私は気が変わりやすいの。覚えといてね」
何故僕がこんな得体の知れない人物の特徴を覚えておかなければいけないのだ。
「それ、テストに出る?」
「出たらいいわね」
全く冗談が通じないようなので、やっぱりこの人は頭がおかしいのかもしれない。先ほどの眞鍋の助言を素直に聞いておいた方がいいようだ。仕方がないから僕は曖昧に頷いて質問することにした。
「僕の、どこが好きになったの?」
「何回も言ったわ。あなたは信じようとしなかったけれど」
突き放すような口調に苦笑いしながら、咳払いをした。
「も、もう一回だけ、教えてくれないかな……?」
こんなシチュエーションで懇願したくはなかったのだが、今回ばかりは仕方ないんだろう。聡のためにも僕が頑張らなくては。
「嫌よ」
その目は、明らかに好意を抱いてはいなかった。どう考えても、自分を、聡を好きだという気持ちが伝わってこない。本当に彼女は聡のことを好いているのだろうか。
「嫌、じゃなくてさ」
「嫌なの。何回も言ったけど、あなたは信じようとしなかった。そんな人に私はもうなにも言いたくない。あなたが存在しているのがこの地球の唯一の欠点なのよ」
ならなんでこの教室に来て僕に話しかけたんだ。そんな疑問が頭をよぎった。そもそも、この少女が僕を訪ねてこなければこんなことにはならなかったのだ。それを僕の存在のせいにするとはかなり頭がイカれている。地球の欠点が僕の存在って、それはない。聡がかわいそうだ。
やっぱりこの人は僕……ではなく、聡を好きではなさそうだ。なにか考えがあるんじゃないかと考える。相変わらず彼女は僕を睨んでいたが、もう気にしないことにした。これ以上相手にしていても、僕に利点はない。
「じゃあ、もういいよ」
諦めてそう言うと、一瞬彼女は気味が悪いほどににんまりと笑った。鳥肌が立つ。関わってられない。僕はそう思った。
「そう。なら、さよなら」
少女は長い髪を揺らして踵を返し、おそらく自分の教室に帰っていった。
その瞬間、クラスメイト達がやっと解放された、というように息を吐いた。
「ほんとあいつ、暑苦しいよなぁ」
「やめてほしいよねー、きもすぎ」
そんな会話が行き交う中、僕は一人呆然としていた。みんながなんのことを言っているのか、正直よくわからない。
「ま、眞鍋、どういうこと?」
「あいつは嫌われ者なんだ。だから、大人しそうな奴にくっついて仲間をつくろうとしてる……失敗ばかりだけどな」
その言葉を聞いて、僕は安心した。やっぱり、好かれていたわけではなかったのだ。ということは、10年見ていたというのも嘘なのだろう。しかし、僕だから良かったがこれが本物の聡ならば、「嘘を吐け」とすぐに嘘がバレるに違いない。ならなんであの少女は嘘を吐いたのだろう。
もしかしたら、僕と聡が入れ替わっていたことに気づいていたのかもしれない。もしくは、それに関わっているのかもしれない。そうなのであれば話は早い。放課後、すべてを暴いてやろうと決めた。
放課後、僕は手紙に書かれている指示の通りに動いた。中庭の場所を聡と仲がいい高岡に聞いたところ、どうやらそれは一年生の教室の前の窓から見え、小さくて人気の少ない場所らしい。呼び出しにはうってつけのスポットだと言うから、僕は今朝の手紙を高岡に見せることにした。
「この筆跡、どこかで見たような気がするんだよなぁ……」
彼の何気ない言葉は、僕の瞳を輝かせた。もしもこの手紙を書いた主を特定することができるのなら、それを知ったうえで心構えができる。僕の予想ではさっきの二重人格かと疑うようなあの少女だが、実際はそうとは限らない。聡に特別好意を抱いているわけではないことが分かったし、はっきりとした理由はないのだ。
しかし、僕は彼女に聞きたいことがたくさんある。何故わざわざ10年も見ていたのだと言う嘘を吐いたのか。僕と聡が入れ替わっていることを知っているのか。……これを言ったら、墓穴を掘ったようなものだからやめておこう。そうじゃなく――――何故、バレるような嘘を吐いたのか、と訊けばいい。そもそも、10年というキリが良さすぎる数をもっと疑うべきだった。
「聡、聞いてる?」
突然顔を覗きこまれて、僕は仰け反った。声をかけてきたのは、紛れもなく色々僕に教えてくれている高岡だ。
「うん、ごめん聞いてなかった。なにって?」
「だからさ、その手紙、多分男子からだって」
「……男子?」
驚いたせいか、僕は彼の言葉を繰り返した。頭の中でもう一度呟いてみるが、あまり信じられない。男子がわざわざ僕に中庭にまで呼んで放課後に話をしようとなんて考えるのだろうか。確かに、女子が使うようなきゃるんきゃるんした飾りのついた便箋ではなく、ノートの切れ端のような罫線が引かれたものだった。字も普通に綺麗だったし、丸っこい字ではなかった……。まあ、それでも女子という可能性だってないわけではないのだが、高岡が言うのであればそうなのだろう。ここに来てまだ数時間の僕よりもはるかにこの学校の知識はあるはずだ。もちろん、生徒の情報も。
「そっか、男子か……」
無意識に呟く僕の横顔を映す彼の瞳は、濁りのない黒だった。
「多分だから。そんなにあてにすんなよ」
そう吐き捨てる彼を見て「いや、でも僕はあんまりわからないからさ」とつぶやく。
「え?」
不思議そうにする高岡に、僕は自分の言った事を思い出してやってしまった、と思った。聡はこういうの、敏感だったのかもしれない。僕もそうだし、ヒカリが似てるっていうくらいだからきっとこういう性格も一緒なんだろう。なのに、わからないとか言ったら、頭がどうかしたのかと疑われてもおかしくない。
「あ、いや、別になんでもない……」
「っていうかさ、聡って自分のこと僕って言ってたっけ? 俺じゃなかった?」
高岡の指摘に僕は体を震わせた。そうだ、僕と聡には決定的に違うところが一つだけあった。一人称が僕と俺なんだ。
「えっ。あ、あー、か、変えた、かな」
我ながら苦しい言い訳をすると、彼は納得いかなさそうに「ふーん」とつぶやいた。怖いから、やめてくれ。ばれてるようにしか思えなくなってきた。怖い。やめろそんな顔で見るんじゃない。
「それじゃあ、そろそろ行ってくる」
ここは切り抜けるべし。どこから入手してきたんだというような格言を心の中でつぶやく。ごめんなさい分かってるんです。僕はイタイやつなんだって薄々気づいてたよ! 恥ずかしいだろ!
逆ギレやめよう。逆ギレやめよう。逆ギレはやめよう。
今日の格言、大事なことは三回言うべし。……なんなんだろうこれ。
「おー、いってら」
高岡に見送られて、僕は中庭に向かった。そこに着いて僕が目にしたのは、薄暗く草もたくさん生えているような物騒な場所だった。
こんなところに人を呼び出すなんて殺人予告にしか思えない。聡、なんかやらかしたのか。なにをしたんだ。少なくとも、僕は今日呼び出しされるようなことをした覚えはないぞ。聡、恨むからな。
「待ってたんだ」
突如背後から声がした。僕が振り向いたと同時に腕を掴まれる。怖い怖い怖い怖い。本当になんで。叫ぶぞ、助けを呼ぶぞ。
やっと犯人の顔を見たと思ったら、僕は驚いて目を丸くした。そこにいたのは、ヒカリから聡の友達だと聞いていたはずの山崎だった。
「え、どうしたんだよ。呼び出すなんて」
僕が問いかけると、彼は空を見上げながら小さくつぶやく。
「今日、大変だったな」
最初、その意味がわからなかった。だけど、すぐにあのハイテンションな女の子のことだと気づく。ああ、と相づちを打つと、山崎は笑った。
「片間裕実。あいつ、狙った獲物は逃さないって感じだから、気をつけろよ。逃げるの、大変だからな」
その言い方に、僕はなにか違和感を感じた。それが何かはわからなかったのだが、すぐにその答えは彼が教えてくれた。
「俺もさ、あいつに追われてたんだよ。ほら、俺も一応おとなしい方だしさ」
なるほど、だからあんなに知ってる素ぶりを見せていたのか。なるほどなるほど。よーく分かったぞ。
「そうなんだ。じゃあ、やっぱりその片間ってやつはおとなしいのを狙ってるんだ」
僕の結論を言うと、山崎は頷いた。
「まあ、そうなるかな」
彼の黒目はとても大きい。だからイケメンだとも昔は騒がれていたらしい。今は別にそうでもないらしいけど、確かにイケメンだとは思う。うん、いい方だと思う。
同性だからそう思うだけで、女子から見たらそうでもないのかもしれないのだけれど、少なくとも僕から見た彼のルックスとかは結構いいと思う。多分。……あんまり説得力ないな。