姉
9/9
三年から二年に変更
数字を漢数字に変更
目覚めると、カーテンの隙間から朝日の光が差し込んでいた。その日差しが当たっている腕が妙に熱い。いつもなら僕のすぐ右には壁があるはずなのだが、そこにあったのは本棚だった。まだ、帰れていないらしい。ここはどこなのか見当もつかないまま昨日は疲れて寝てしまい、気づけば朝だったという最悪の状況に陥った僕はため息をついた。
「おはよー!」
ノリノリで僕の部屋にノックもせず入ってきたのは、ヒカリ……かと思ったら制服姿の姉だった。昨日はそこまで似ているようには思わなかったが、このテンションを見ると、もうヒカリの姉でいいのではないかと思うほどだ。
同じくうっとうしいはずなのだが、ここは黙っておく。女子はいちいちこういうことを言われるのは嫌だろう、と学習したのだ。
「おはよう。ノックしてくれないかな」
さりげなくそう言うと、彼女は「ごめんごめん。許して~」とか言って笑った。てへぺろ、と聞こえてきそうな表情に一瞬噴き出しそうになったが堪える。「次からはして」という僕に向かって「わかったから」と言って僕の肩を叩いてくる。姉ってこんな感じなんだ。
「朝ごはんできたからさっさとおいで。冷めるよ」
手招きしながらドアの外に出て行く。僕もそれについていこうとしたが、部屋着のままなのを思い出し、先に行ってもらうことにした。
クローゼットの中から制服を探し出して着替えていると、カーテンを閉めたままだったのを見つけた。この部屋には小さい窓と大きい窓があって、小さい窓は僕がベッドに寝ているとき向かいにあるため、まぶしい。もうひとつの大きい窓は昨日ヒカリが侵入してきたところなので、隣の家に光を遮られてカーテンを閉める必要はあまりない。そんなふたつの窓のカーテンをしっかり開けて着替えを終えると部屋を出てドアを閉めた。
一階に降りると姉は既に席について朝ごはんである食パンを食いちぎっていた。むしゃむしゃ、という装飾音をつけたくなるような食べっぷりを眺めつつ、自分の席に座る。そこには分厚い食パン二枚(バターつき)と目玉焼き三つ、魚肉ソーセージが並べられていて、飲み物は牛乳。相変わらず量が多い。ゆっくりそれを食べていると、姉が急に立ち上がってスクールバックを手にして玄関のほうへ駆けていった。時計を見たところ、七時半過ぎ。いつもなら八時前に家を出ていれば余裕で着くのだが、ここからどこの高校に行けばいいのかも分からないのでとりあえず食べ終わればすぐに家を出ようと決めた。
「いってきまーっす!」
ミディアムボブの茶色がかった髪を揺らしながら靴を履いた姉は、ばたんばたんと二回続けてドアの開閉音を鳴らしていった。騒がしいのはヒカリと変わらない。いつもヒカリは集合時間に遅れてくるのでこういう風にばたばた出てくる。そしていつもいつも遅刻ギリギリに学校に着いてしまうのだ。今日の姉もそんな風にならなければいいのだが。
「聡も遅刻するんじゃないの? 早く食べた方が良いんじゃない」
母さんのその言葉に、僕はとっさに口を開いた。
「ヒカリと約束してるから?」
正確には〝真紀〟だが、まあそこは僕にも前の世界への未練とかそういうのがあるのだ。
「ヒカリ? ああ、真紀ちゃんのことでしょ? そうそう、真紀ちゃんもあんたみたいに意味分かんないこと言ってるんだってよ。あたしはヒカリ――――ってね」
親にもやっぱり言ってるのか。僕は昨日のことを思い出した。部屋で一人で泣いていたヒカリの姿を。なんで泣いていたのかは分からないけど、まあ、この世界に来てしまったからだとは思う。僕だって帰りたいけど、泣きたいと思ったことはない。でもそんなにもヒカリにとっては悲しいものだったのだろうか。それは、僕には分からなかった。
「そうなんだ」
簡単な返事をして皿をまな板の上に置く。上に置いてあった斜め掛けのバックを首から通し、玄関に走った。時間割も適当に合わせて、何曜日か分からなかったから夜中にヒカリの家の窓を叩いて聞いたら、すぐに「明日は火曜日だよ」と教えてくれた。
右も左も分からない状態だから、ここの世界をよく知っているヒカリがいれば安心だ。頼ることができるから。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
笑顔で手を振る母さんを見て、やっぱりほくろに違和感を感じた。前の方が良かった、なんて母親が聞いたらきっと激怒するようなことを考えてしまう。今日は国語・音楽・数学・歴史……みたいな感じらしい。これも、夜中にヒカリから仕入れた情報だ。ヒカリとは同じクラスらしく、昨日の間にいろいろと調べたらしい。僕と仲の良い友達の名前も教えてくれて〝真紀〟の机の引き出しにしまってあったクラス写真を見せてくれた。
眞鍋と山崎と高岡と僕の四人が仲がいいらしい。眞鍋は気が強くて山崎は眞鍋を慕っていて、高岡はマイペースな性格らしい。〝聡〟の性格は大人しくて人のことを考えられる優しい人、とのことだから、聡にも迷惑をかけないように気を付けて行動しなければならない。学校へ向かう途中、そんなことを考えて必死に予行練習を繰り返す。
ところで、〝聡〟は〝真紀〟と一緒に学校に行ったりはしないのだろうか。普通に家を出てヒカリをおいてきてしまったのだが、果たしてヒカリは僕を待っていたりしていたらどうしよう。もしかしたら、遅刻ギリギリで学校に到着し、僕に文句を言い暴力で謝罪させようとしながら暴言を吐いてくるのかもしれない。そもそも僕がなんでこんなことを考えていなければならないんだ。うん、忘れよう。
ちなみに外は僕が住んでいた世界と全く変わらず、ヒカリの家も僕の家も外観は全く変わっていなかった。おかげで学校に行く際迷うこともなく、なんと学校にすんなり到着することが出来たのだ。良かった。
学校に着くと、いつもと変わらない光景がそこにあった。一日二日しか離れていなかったというのに、何故か感動的なドラマでも見ているかのような気持ちになる。本当に、僕が通っていた世界なんだ。と思ったのも一瞬、目の前にいる生徒たちは誰も見かけたことのない者ばかりだった。彼らは立ち尽くしている僕を見て怪訝な顔をしたりひそひそ耳打ちしたりなど、随分バカにしているようだ。ここにずっと立っていてもますます腹が立ってくるので、ヒカリに指示された通り二年G組出席番号二十七番の靴箱を覘く。上靴は少し汚くて、内側に〈原野聡〉とマジックペンで書かれていた。聡の名字は原野だったのか。僕の名字は淺木だから、二十七番とかいう二けた、それも真ん中以降の出席番号は初めてだ。
なんとなく初体験に浮かれていると、靴箱の中に何やら几帳面に折りたたまれた紙が入っていることに気が付いた。よくあるラブレターってやつか。いや、それにしても古くないか。ラブレターって、ひと昔前だと思うんだけど。勘違いか。
何気なくその紙を開くと、そこには、
【原野聡さん
お話があるので、放課後中庭に来てください】
と書かれていた。放課後? 中庭? めんどくさい。告白なのかと普通の男子なら勘違いして舞い上がってしまうだろう。しかし僕はそんなバカなことを考えたりはしない。まあ、もし告白だったら逆に困るし。聡として答えることは、自分にはできない。だから、こういう系は出来れば無視したかった。でも、無視したらしたで、聡に迷惑がかかるかもしれない。まあ、いつ聡が戻ってきて、僕らが帰れるのかは分からないけれど。
仕方がないから、行くことにした。が、その前に教室に入ってきちんと人間関係をつかまなければならない。そして、やっと慣れたところでこの手紙の指示通り放課後に中庭へ行かなければならないのだ。ああもう、なんて面倒なんだろう。やだなあ。
「あ、おはよう原野」
心臓が一瞬だけ止まった気がした。クラスメートだ。廊下で会うなんて、僕はなんてついてないんだろう。突然声をかけられてビビっている僕を、彼は不思議そうに見ている。
「あー……えーっと、や、山崎。おはよう」
昨日写真を見たおかげか、名前は意外とすんなり口から出た。ここで間違えるとおいおいということになるから、気を付けないといけない。
「あれ、髪型変えた?」
突然山崎がそんなことを言い出した。変えてない変えてない。そう言おうとしたが、聡と僕の髪型が違うのは当たり前なわけなので「えーっと、うん。変えた」と適当な返事をする。
「そっか、じゃ、行こうぜ」
そう急かされたので、僕はうなずいて彼の右隣を歩くことにした。それにしても、さっきの受け答えは不自然だと思われたりしていないかな。聡の性格は相変わらずわからないままなので、真似しようにもできない、実物を見たことがないからだ。でも、ヒカリが言うには一部僕に似ているらしいから、自然にしておけばいいだろう。それに、変にびくびくしている方が怪しまれそうだ。
こんなに学校にいるときに頭を使ったことはない。それも、授業中なんかじゃなく、朝クラスメートに出会っただけで。だいたい、なんで僕がこんなに気を使ってやらないといけないんだ。別に僕にとって困ることなんて何一つないし、まあちょっと偏見の目で見られるかもしれないけど、でもやっぱり僕はそういう人間ではないからそんな風に見る方が逆におかしいんじゃないかと思う。なんでちょっと人が変わったくらいで偏見されないといけないんだ。二重人格者とかっていう可能性もなくはないんだから、そういう視野の広い心を持つべきだと思う。
そもそもなんで僕がここに来たのかも分からないというのに呑気に学校に来たりなんかして本当に大丈夫なのだろうか。帰れるのか、僕は。
「あ、山崎、原野。よっす」
「うわああああ」
あまりに唐突過ぎることに、僕はつい大声を上げてしまった。周りの人たちの視線が突き刺さる。痛い、やめろ見るな。なんで人ってこういうのに興味を持って遠慮もなくじろじろじろじろその人を見るのだろうか。見られている人がかわいそうとか、恥ずかしんじゃないかとか、そういう他人のことを思う気持ちは現代の高校生の心からとっくになくなっていたのか。
「え、なんだよ、なにそんな驚いてんだよこえーな」
「原野大丈夫か?」
二人に心配されて、こちらが恐縮する。いや、別に深い意味はないんだけれども。突然声をかけてこられたから驚いて飛びのきながらさっきのような大声を出してしまっただけなのだけれど。
「だ、大丈夫。おはよう」
「ん? お、おう」
こんな感じの会話を三回ほど繰り返し、やっと山崎とともに教室に入ることができた。聡は意外と人気者なのだろうか。ヒカリにまた事情聴取をしてもらっておかなければ。
そういえば、授業はどこら辺から始まるのだろうか。もしこっちが遅れているのならいいのだが、もしこっちと僕らの世界の季節などが大幅に違ってめちゃくちゃ進んでいたり、もう三月ですだなんて言われたり、そういうようなことがあったらかなり困る。仕方ないから一時間目の現代社会の聡のノートをぱらぱらとめくっていくことにした。やっぱりこっちの方が進んでいる。でもまあ、大事なところを軽く覚えていれば当てられても余裕だろう。いざというときはノートをチラ見すればいい。それに、聡は几帳面だったのか、ところどころにマーカーで印がつけられていて字もとてもきれいだった。これなら、勉強もはかどりそうだ。もしも聡が帰ってきて僕も帰れるとき、彼が困らないようになるべく丁寧な字で書くことを心がけよう。
それにしても、暑いのにカレンダーは十二月だが、これはなんなんだ。遅れすぎだ、これ。十二月とか、有り得ない。どうしてこういうことになっているんだろうか。
「あ、原野。おっす」
そう声をかけてきたのは眞鍋だった。聞いてた通り、ラスボスっぽい。これだったら、尊敬されたりするのも当たり前だなーと思うような威厳っていうやつが備え付けられているように感じた。
「おはよう」
そう言いながら手を軽く振った途端、どこかで悲鳴のような金切声のような、高くてうるさくて、思わず耳を塞いでしまいそうな叫び声が聞こえた。眞鍋は苦い顔をして教室のドアを眺めている。なにが起こるんだよ、なんか怖い。その叫び声はまったく何を言っているのかは聞きとれないのだが、とりあえず女子の声でかなりでかいということは分かった。
「原野、逃げないのか?」
眞鍋がそう言った。逃げる? あの声の主から? しかしそうなのであれば、何故眞鍋は逃げようとしないのだろうか。その疑問は、叫び声にかき消された。
「聡~~~~っ!!」
目の前が真っ白になって、真っ暗になって、そして体が痛い。特に頭が痛い。打ったかなあ。ってか、すごく重い。なにこれ何か乗ってる――――。
「…………ん?」
「おはよっ、聡♪」
そこにいたのは、おそらく同い年で金髪の長い髪をポニーテールにしていて、声がでかい女子だった。この女子の情報はヒカリから全く聞いていない。まあ、きっとヒカリも知らなかったのだろう。しかし、眞鍋も知っているというのに、そのことはヒカリは聞かなかったのか。そんな疑問が浮かぶ中、ハイテンションなその子は言った。
「今日こそ、付き合ってくれるんだよね?」