キレられる
「えっと、なにに怒ってんのかさっぱりなんだけど」
苦笑いでそう尋ねるも、返事はない。話しかけるなのオーラを放っている気がする。うん、これは話しかけない方がいいんだ。絶対そうだ。僕は黙って自分の帰り方を考え始めた。
まず、僕は飛び降りても帰れなかった。つまり、死にかけても帰れないということだ。もうこうなったら帰るとか考えずにほのぼの過ごしていればいいのかもしれないけど、まあでもできれば早く帰りたい。猛ダッシュで。
次に、何があって来たのかを考えてみる。僕は夢の中で学校に行って……あ、あれは夢じゃなかったのか。あれの途中でこっちに来させられたからな。迷惑な話だ。
そういえばヒカリもあの手紙で学校のこと書いてなかったっけ? じゃあ、僕はとりあえず学校に行けばいいのか。うん、絶対そうだ。じゃあ明日は必ず学校に出席してその謎に迫らないとな。よしよし、一歩前進だ。日進月歩ってこういう感じの意味だったっけな。
僕がそんなことを考えている間も、ヒカリはどこか窓の外を眺めながらしきりにため息をついていた。なんだよ、僕が真紀に会いたいって頼んだから悪いのか。そんなこと言われてもなあ……。過ぎたものはしょうがないだろ。それに、元の世界の人同士でいる方がいいじゃないか。僕は別に真紀とでもいいけど、ヒカリは変なとこに連れていかれた~とか言ってたから聡とはあんまり面識がないはずだ。多分だけど。
それなら話は簡単。僕とヒカリ、聡と真紀。このペアになるのが一番みんなが安心できる。ちなみに女子同士男子同士のペアは、なれたらそれはそれでいいかもしれないけどできないからボツ。以上。
じゃあまあ明日は普通に過ごしながら行こう。来た時と同じくらいの時間にあの時と同じことをすれば、もしかしたら帰れるかもしれないし。まあ、まったく同じことをすることができるかもわからないし、できてもそれで本当に帰れるかどうかもわからないけど。
「……つまんない。あたし帰るね」
吐き捨てるようにそうつぶやくと、ヒカリは立ち上がって窓を越えて帰って行った。その帰り方……いつもと変わらないな。なんであそこから帰るのかわからないけど、僕も母さんに見つからなくて済んでるから少しは感謝してる。見つかったらいろいろと面倒だからな。
いや、僕らは同性の友だちって感じなだけだから関係ないんだけどさ。変なこととか何もないし。でも誤解されるのが嫌だから窓から帰ってもらってるだけだし。こっちの方が近いからヒカリもいいだろうし。うんうんうん。
「どうぞお帰りください」
「……ばーか」
なんでこんなに性格悪くなってんだろう。前はこんなんじゃなかったはずなんだけど。なにが原因で彼女はこんなに悪い方に変わってしまったのだろうか。まあいいや、ほっとけば多分戻る。うん、ほっとこう。ヒカリは寂しがりやだから、そのうちまた寄ってくるだろう。
そして次の日。僕はもう帰る気満々だった。だというのに。
「38.7℃ってどういうことだよー……」
熱がありました。ガッデム!……あれ、ガッデムってどういう意味だったっけ。まあいいや。
というわけで38.7℃の熱を出してしまった。もちろん学校は休まなければならない。僕の計画がー。
僕は平熱がもともと高いからそこまでしんどくはないのだけれど、しんどくないからこそ余計にムカつく。僕は動けるんだぞ! 学校に行く!
こっそり家を出ようとしたが朝食を持ってきた母さんに捕獲された。ちえっ。
「今日はおとなしく寝てなさい」
そう言われて、僕はうなだれた。もうなんか嫌になってきた……帰りたい。なんかこのままだとうつ病なるんじゃないかなって感じの。
だいたい、家にいても暇なだけだし。ゲームも本もロクなものないしさー。全然聡の姿を思い浮かべられない。僕のような姿で真面目にグロ本を読んでるってか? 想像できん。にやにやして? いや、なんでグロ本でにやにやするんだ。おかしいおかしい。
ふと母さんが持ってきた朝食を目にすると、急にお腹がすいてきた。よし、食べよう。
今日はサンドイッチ。間に挟まってるのはチーズにハムにトマトにレタス……あと、なんだこれ。きゅうり? いや、ピクルスか。玉ねぎもちょっと入ってるな。
サンドイッチを食べ終えると、僕はベッドに倒れこんだ。もう、寝よう。寝るしかない。することがなかったら寝ればいいんだ。って、食べてすぐ寝転んだら消化に良くないんだっけ。あーもう、どうでもいいや! 就寝! おやすみ~。
はっ。今何時だ。きょろきょろと辺りを見まわす。時計発見、ってあれは壊れてるやつだ。あれ?ベッドに置いてあった目覚まし時計どこ行ったんだろう。
しばらく探しているとベッドの下で転がっているのを発見した。僕の寝相がきっと悪かったんだな。
時間は十一時すぎ。まあまあ寝たかなー。大きく伸びをして、またベッドに寝転がった。まだ眠気がとれないけど、まあ結構寝たなー。
いやーでも、寝て食べて寝て……ってまさに不健康生活じゃないか? え、なんか怖い。不健康生活って響きがまず不気味なんだけど。ってか、そもそも生活って言ってもまだ数時間の話なんだけどな。
「聡ー具合どうー?」
ノックもなしにドアを開けてきたのはいつも通り姉の美智佳だった。もう、相手にすらできるような気力がない。体力はまだある。動ける。でも反抗する気力がまったくない。本当に、全然ない。精神的に疲れた……精神科には行きたくないけど。
「一人でいる時が一番楽」
「そっかそっか!」
彼女は頷きながらも出て行こうとしない。えっ、だから僕は一人がいいんだって。
「よーし、姉としてきっちりとお世話してみせる!」
いやいや、だから出て行ってくれよ。うるさいだけだから。ほんとうるさいだけだから。おいマジでやめてくれ僕の安眠妨害をするんじゃない。ふざけるな。
お世話とかいいから。やめてほんと、そういうの苦手だし。
「あの、美智佳さん?」
「さあ聡! あたしの名前を呼んで! 早く!」
動揺する僕に、美智佳は叫ぶ。こ、鼓膜……破れる……。
「えっ、と、原野美智佳……?」
「はい大正解! 寝ていいよー! じゃあねー!!」
バタン! と激しい音をたててドアは閉まった。やっと静かになった……んだけど。意味がさっぱりわからん。僕は今なにをされた? なんだったんだ、あれは……。
お世話するって言っといて僕に名前を言わせてあっていたからと出て行った。……ほんとになにがしたかったんだ!?
ひとしきり考えてみるも、全然わからない。なんか、僕の中で原野美智佳という存在は謎の人物になったんだけど。
驚きを隠せないまま表情でがっちり表現。驚き。驚愕。じゃなくて。
「はあぁ~……」
なんか、すごく疲れた。熱があるとかそういうことではなく疲れた。怪しげな感じだなー。あの人はなにがしたかったんだろう。
最近めんどくさいことばっかりだ。真紀やヒカリとプチ喧嘩するし姉には変なことされるし、ハイテンションなあの子にもなんか意味不明なことされるし……。なんか、学校に行ったのがすごく昔に感じるくらい家にいる気がする。交通事故に遭って熱が出てって、そんな不幸なことあるかよ。
ベッドに寝たままごろごろと寝返りをする。暇すぎる。こんなにすることがないとは思わなかった。考えたりするのも頭を使うから面倒だし、なにより熱を出している時にそんなことをしたら余計に熱が上がって治るのが遅くなるかもしれない。つーか、絶対そうなる。だからそれもダメ。却下論外。
次に、ゲームをしてみようかと考えた。賢者のやつはあんまり面白くなかったけど、極めてるっぽかったからもしかしたら他にもソフトを持っているかもしれない。さっそくゲームソフトを探すことにした。しかし。
「立つのも大変じゃねーかー……」
立つだけで結構体力を使う。というか、今は多分体力がそんなにないんだと思う。そのせいで、僕は立ち上がるだけでもかなり時間がかかった。なんということだ。
このままでは埒が明かないと思い、姉を呼ぶことを決意した。姉に頼めばなにかソフトを持ってきてくれるかもしれないし。
ゆっくり立ち上がってゆっくり歩き、振動を体になるべく伝えないようにして。差し足抜き足忍び足。
「おーい」
なんでだろうか、小声でささやきながら姉の部屋のドアを軽く叩く。はいはーい、という声。ここで、僕はちゃんといろいろ考えておくべきだった。この家のドアは外開きなのだと。失敗を、思い出すべきだったのだ。
勢いよく開いたドアは、僕の顔面にクリーンヒットした。見事に。かなり痛かった。今度こそ血が出たんじゃないかと疑いたくなるほどの痛さだ。これは、やばい。
「うわっ、もう気をつけてよ~。さっきも同じことしてたし。バカなの?あんた」
「……うぅ」
返す言葉もございません。僕はうなだれた。そうだよ、どうせ僕はバカだよ。悪かったな。
ふてくされてみるが、ただの負け惜しみのようにしか思えなかったのでやめた。こういうのを負け犬の遠吠えっていうのかな。あれ、なんか意味違うような気がする。これは気のせい?
「もーしっかりしてよ。これだから、おと…………これだから聡はっ、バカなんだからっ!」
美智佳はそう叫んだ。彼女の言っていることが一瞬わからなかった。きっと、言い間違えなんだろう。これだから聡は。そういう言葉を言いたかったんだ。うーん、でも、やっぱ気になる。
「なんて、言おうとした?」
「は?」
僕が質問すると、え? でもなく、なに? でもなく、は? と言われた。は? って。
僕が聞きたかったのはさっきの言い間違えはなんだったのかってことなんだけど。だってなんか気になるし。それを答えてほしかっただけなんだけど……は? って。
「なにが?」
美智佳は少し嫌そうに言う。わ、やめて睨まないで。
「なにがって、さっき言い間違えしてただろ? それだよ」
その瞬間、すっと彼女の目が細められた。えっ、怖っ! なに、めっちゃ怖いんだけど!!
「人の間違いをわざわざ追求するのはどうかと思うけど。そんなことしてるから気味悪がられて嫌われんのよ」
なんかひどくねー? 姉の言葉を聞いてすぐに思ったのはそれだった。追求したのは僕が悪かったとして、そんなんだから嫌われるんだーなんて言われたら傷つくんだけど! 一応友だちいるぞ! こっちにも、元の世界にも!
キレて興奮する僕を冷たい目で見下ろしながら、彼女は次々と毒を吐いてくる。
「だいたい聡はさ? そこまでかっこよくもないくせに調子乗りすぎなのよ。別にかっこよくなんかないの。平凡なの。周りの顔面偏差値が低いからって調子乗ってたらマジで嫌われるよ?」
顔面偏差値……女子って恐ろしいこと言うのな。そうだよ僕の顔は平凡だよ。でも別に平凡でいいじゃないか。そこまで悪くもないってことなんだから。そしてそのあとの『周りの顔面偏差値が低い』っていうところがさらに怖い。山崎も高岡も眞鍋も、別に普通にかっこいいと思うけど……。
というか、付き合う相手とか結婚する相手を顔で選んだらいけない気がする。イケメンは三日で飽きるんだぞ。
だいたい、イケメンがおじいさんになる姿をお前らは見たいのか。ブサイクがおじいさんになっても別にひかないけど、イケメンがおじいさんになったところを見るのはつらくないか……? 別に自分を正当化したいわけじゃないけどさ。やっぱ、女子ってわからん。
「それに聡さ。なんかあたしにたいして結構威張ってない? そーゆーの、マジでやめてほしいんだけど。ウザキモ」
う、ウザキモ……だと……。ウザキモって、つまりはウザいとキモいを掛け合わせた魔の言葉であり、言い方によっては本当に恐ろしいことを引き起こすであろう言葉……。
いや、これは僕が適当に考えただけなんだけど。でも、魔の言葉だと思うよ。一応悪口だし。暴言だし。ウザキモって、人によってはかなり傷つくと思うけど。
「あと、あたしのこと美智佳って呼ぶのやめて。今日からお姉様ね」
吹き出すかと思った。真顔で、彼女は言ったんだから。今日からお姉様ね、って。
驚きのあまり、声も出せなかった。美智佳さんとか呼んでたけど、やっぱりあれはダメだったんだな。それにしてもお姉様か……ちょっとハードル高すぎないか? まあでも、仕方ないか。お姉様どころか女王様だもんな。あ、今のは別に悪気はないから。
「わかったわかった」
適当に返事をすると、頬を平手打ちをされた。はあ!? 暴力! 暴力反対! つーか虐待! 虐待反対!
血が出るようなのじゃないけど、思わず叩かれたところに手をおいて、血がついてないか確認。理由はないんだけど、なんとなく。なにを考えてるってわけでもない。
いやーそれにしても平手打ちされるとは思わなかった。別にいいんだよ。痛いけど、これで彼女の気が済むのなら、僕はこれくらいのことなら許す。でも……でもさ、これでもメンタル弱い方だから暴言吐くのだけはやめて。ほんとにこれだけはお願いしたい。二度とウザキモとか言わないで。軽くショック死するところだったよ。いやほんと。
「あたしはねぇ! これでもいろいろと苦労してんのよ! なのにねっ、こんな何の感謝もないような態度なんてあんたがしてるから、許せないのっ!」
つまりそれは逆ギレ。一方的な怒り。偏った判断。僕は悪くない。悪かったとすればきっと聡の方だ。僕はゲームをやり方を教えてもらったくらいだし。というか、ゲームを早く貸してほしい。
「だからみち……お、お姉様はさ、いろいろと僕のせいにしすぎなんだよ。僕はそこまでお姉様になにもしてないけど?」
「はあぁ~っ!?」
お姉様、かなりのガチギレです。はあぁ~っ!? です。やばいです。
「ふざけんなっ、バカ聡! あたしは絶対認めないからっ! もう出てって!」
なんか唐突。と思った刹那、気づいたときには廊下に投げ出されていた。わお。
いやー、本当に僕の周りにいる女子の性格って限られてるよなあー。一言で言うと、女王様。ヒカリも真紀も美智佳さんも、みんなわがまま。それぞれタイプが違ったりするけど、とにかく自己チュー。
すげえってたまに思ったりもする。あれだけ自分の意見を人に堂々と言えるなんて、と。僕には多分無理だ。十万くれるって言われても……いや、十万くれるんだったら言うかもしれないけど。
でも、それくらいの条件がないと僕は声を大にして自分の意見を人に伝えることはできない。臆病で、小心者だったりするから。
「……アホらし」
僕は廊下に座ったまま、一人で小さく笑った。姉の部屋の中から何かを壁に投げつけたような音が聞こえたから、慌てて自分の部屋に入ったけど。だって今すごくキレてるし、これ以上怒らせたらもう僕はひきこもりになってしまうだろう。それくらい、お姉様は恐ろしい。僕もあんまり知らないけれど、なんとなく察した。
――――原野美智佳を怒らせてはならない。
隣から、ドタンバタンと激しい音が聞こえてきた。怖い。
怖すぎて、一瞬早く元の世界に帰りたいと思った。それはもちろん、わがままで傲慢で女王様なお姉様のせいで。
これから先が思いやられる。しょんぼりしながらベッドに倒れこむと、低反発のマットレスは僕の体の形に合わせてへこんでいく。それに合わせて、僕の体もどんどん沈む。おお、低反発ってすごいな。って、このベッドでずっと寝てたんだけど。でもなんか改めて思ったというかなんというか。
僕は寝ころんだままここに来た経緯を考えはじめた。たしか、最初はどっちが夢かわからなくて。とりあえずパニックになり続けて、ヒカリに出会ってやっと少し安心して。そのあとヒカリと真紀が入れ替わったりしてなんたらかんたら。姉の美智佳もいろいろとやらかしてくれたし、まあそれなりに充実してたかもしれない。彼女はいないけど、これも一種のリア充かも。




