再会
家からはとてもいいにおいがしていました。シルタがスープを作って待っていたのです。
ハルは帰ってきたポッシュを見て、「どこに行っていたんだ」とシルタが止めるまでしつこく聞いてきましたが、ポッシュは何も答えませんでした。彼はずっと、カモシカの言ったことを考えていたのです。
「かぼちゃのスープよ。少しこがしちゃったけど、なんてことないわ」
シルタはそう言って、少し雑に鍋をテーブルの上に置きました。それからまた二人の背中を押して、席に着かせました。
ポッシュはスープを飲んでいる時、一言も話しませんでした。それどころか、ハルと目も合わせようとしませんでした。いいえ、合わせられなかったと言った方が正しいでしょう。
そんなポッシュを見て、ハルは言いました。
「おい、おまえ、なんだかおかしくないか?」
「おっ、おかしくない」
ポッシュはぎょっとした様子で言いました。しかしハルは引き下がりませんでした。
「おまえが無口なことは知ってるよ。ウサギは大体そうだって聞いたし。でも、やっぱりなんだか変だ」
「そうねぇ。何か言いたいことがあるのなら、言っておいたほうがいいと思うわ。うちあけ話は食事中にするのが一番いいのよ」
ハルに続いてシルタもそう言いだしました。だけど本当は、シルタはハルが気づくずっと前から、ポッシュが何かをかくしていることを知っていました。
「......ウソなんだ」
ポッシュはぼそりとつぶやきました。彼の頭の中には、カモシカの言葉と自分自身の心の声が響き渡っていました。
「ぼくはウソをついた。ハル、きみの伯父さんと伯母さんをだましたんだ。そして、きみにもまだ、真実を伝えていない」
「なんだいそれ。どういうことだい?」
ハルは目を丸くしました。きっと、スープを飲むのも忘れていたのでしょう。彼のスプーンはそっぽを向いていました。
ポッシュは、すべてをハルに伝えました。伯父さんと伯母さんはハルを嫌っていなどいないこと、そのふたりにウソの手紙を書いたこと、そして、そのことをハルに黙っていたこと......
「どうしてだ...... どうして言ってくれなかったんだ! おれ、あの村に帰るよ!」
ハルは大声をあげて立ち上がりました。しかし、ポッシュはあわててそれを止めました。
「待ってくれ。きみ、どうする気なんだい?」
「二人のところへ戻って、ちゃんと話すんだ!」
「でも、今君が戻ってどうするんだい? 」
「うるさい。そんなことより、どうしてあの時の君は、そんなことしようだなんて思ったのさ」
ハルはポッシュの予想以上に怒っていました。
「あのふたりを、安心させられると思ったからさ...... きみを早く独り立ちさせるためにあんなことをしていたのなら、なおさらね。ふたりの努力を無駄にしたくなかったんだ。ごめんよ」
そう言ったとたん、ポッシュは急に目頭が熱くなりました。思わず、なみだがこぼれ落ちそうになりましたが、固く目をつぶってこらえました。
しかし、ハルの方はこんなことを言いだしたのです。
「なに、平気さ。あの村のみんなで力を合わせれば、きっとなんとかなる」
「そんなほしょう、どこにもないじゃないか。だからしばらく村を出て、それで......」
ポッシュがハルに対してそう言いかけた時でした。
「うるさいな! 旅人のおまえはどうせ、ひとつの村に住み続けたことなんてないんだろ? だからそんなことが言えるんだ。ちがうか?」
ハルが、そうどなったのです。
あたりの空気は、一瞬にしてぴしりと凍りつきました。シルタもどうしていいかわからず、ただスプーンをくわえて、ぼう然としていました。
「なんだかあたし、初めに余計なこと言っちゃったかしら。どうもおいしい食事とは不釣り合いな話になってきたわね」
彼女は心配そうな表情をうかべて、ポッシュの方を見ました。しかし、ついに彼の目からは、なみだがこぼれ落ちてしまいました。今の彼に、物事を前向きに考えるほどの余裕なんて、これっぽっちもありませんでした。
「とりあえず、あんたたち相当疲れてるんだと思うわ。ひとまず休みなさいよ。寝床はちゃんとあるのよ」
シルタは泣いているポッシュはそのままにして、気が立っているハルに優しく言いました。
「だけど、おれ......」
「その村へ戻るにせよ、ちゃんと休まなきゃだめよ。今夜は雨も降りそうだし、今から行くだなんてバカげてるわ。まだちょっと早い気もするけど、さあ、もう行って。寝室は階段を上がって右の部屋よ」
シルタはなるべくハルを刺激しないように注意しました。
ハルはしぶしぶと二階へ上がって行きました。それでも、自分のお皿はちゃんと片付けていきました。
「さあ、もうこらえることなんてないのよ」
ハルがいなくなったのを確認したシルタはポッシュに言いました。彼はハルのいる前では絶対に泣きたくなかったのです。
「なんだよ。あいつだって、あんなにつらそうにしてたじゃないか。自分の村が、好きじゃなかったじゃないか。だから、だからぼくは......」
ポッシュはテーブルに突っ伏して、ぷるぷると小さな体をふるわせました。
次の日、ハルは朝早く目が覚めました。気分はだいぶ落ち着いていました。
「そうだ、ポッシュにあやまらないと」
ハルは寝床から飛び起きました。しかしびっくりして勢いよく飛び上がりました。
あまりにも寒かったのです。ハルは嫌な予感がしました。いつかかいだことがある冷たいにおいが、窓のすきまから入り込んできたのです。彼はあわてて窓を開けました。
「そんなあ!」
ハルは大声をあげました。外の世界は一面真っ白だったのです。どうやら、夕べ降るはずだった雨は、雪に変わってしまったようでした。
「こんなに積もっちゃ、村へは行けそうにないね」
ハルの後ろで声がしました。振り返ってみると、そこにはポッシュがいました。
ハルはポッシュにあやまろうとしましたが、ポッシュはそれを無理にさえぎって言いました。
「ゆうべ、ぼく考えたんだ。どうしたら、誰も苦しまずに済むか。どうしたら、きみときみの伯父さんと伯母さんが笑顔になるのか。でも、この雪じゃあ......」
「いいんだ。もう」
ハルは開き直ってそう言いました。
「こんな時期にこんなに雪が降ったんだ。きっと戻るなってことなんだよ」
ポッシュはハルの言葉に顔をくもらせました。
「だけど、やっぱり会いたいだろう?」
「まあね。でも仕方ないさ」
ハルはそう言って階段を下っていきました。ポッシュは部屋にひとり、ぽつんとつっ立ったまま、しばらくその場を動きませんでした。
窓から明るい日差しが入り込み、彼の顔を照らしました。そしてその時、ふとあることを思いついたのです。
ポッシュはシルタの姿を探しました。しかし、台所にも応接間にも寝室にも、彼女は見当たりません。彼は大きな声でシルタの名前をさけびました。
すると、シルタの返事は庭の方から聞こえてきました。彼女は玄関先の雪かきをしていたのです。ポッシュの姿を見つけた彼女は「おはよう。こんな大雪は何年ぶりかしらね!」とあきれたようにさけびました。
「まあ、ふたりをハルの村から、この村に?」
シルタは首をかしげながらポッシュに聞き返しました。ハルもテラスの階段にこしかけてきょとんとしています。
「この大雪だ。きっと伯父さんと伯母さんも困ってるよ」
「まあできないことはないけれど......」
「この村じゃないとダメなんだ。この村は基本的にいろんな種類のひとたちを受け入れているだろ? それに、水はけも良さそうだし、川もあるし、それに」
ポッシュはかなりの早口でそう言いました。
「わかった、わかったわ。確かに、ハルの村の人たちを受け入れる余裕は十分にあるわ。だけど、この雪じゃあとても連れては来られないわよ」
シルタは最後の方をなるべくハルに聞こえないように言いました。すると、突然ふたりの後ろから聞き覚えのある落ち着いた声がしました。
「ぼくになら、出来るかもしれない」
それは川辺にいた、あのカモシカでした。
シルタはびっくりして思わず声をあげました。
「まあ、カモシカちゃん。来てたのねえ」
「ええ、さっきからいましたよ」
カモシカの背中には、うっすらと雪が積もっていました。
「きみ、どうしてここに?」
ポッシュはおどろいて訪ねました。ハルはカモシカのことを知らないので、相変わらずきょとんとしたままでした。
「あれからなんとなく気になったのさ。もしかしたら、力になれるんじゃないかと思って。あの子が帰ると都合が悪いなら、向こうに来てもらえばいいわけだからね」
カモシカはそう言ってハルの方を見ました。ハルは少しだけ後ずさりしました。カモシカを見るのは初めてだったからです。
「だけどあなた、何か考えがあるの?」
シルタが心配そうにたずねました。
「ぼくは色々な近道を知っています。でもそこは、ぼくだけしか通れない岩場です。誰か空を飛べるものに案内を頼めば、ハルの村まで行けるでしょう。幸い、僕にはひとり友達がいますから、そいつにも同行を頼んでみます。帰りは村のひとを背中に乗っけて帰って来ればいいんです」
「まあ、空を飛べる方なら、フクロウのおじいさんがいるわ。あの方なら、ここらへんの地図はすべて頭に入っているわよ。私から頼んでみるわ」
カモシカは「それは助かります」と言っておじぎをしました。ハルはカモシカの方へおそるおそる近寄って言って、「本当にいいのかい?」とたずねました。しかしその目は雪面よりも一層きらきら輝いていました。
「もちろんいいとも。どうせぼくには雪かきの才能がないからね」
カモシカは微笑んで言いました。
ポッシュはカモシカに自分も一緒に行きたいと言いましたが、彼は言いました。
「君たちはここにいて、村の雪かきを手伝わないと。それに、ヒヅメもなしに崖なんて降りられないだろ?」
カモシカと、そのつきそいにん達がハルの村に行ったのは、その日のお昼前でした。誰もが予想していた以上に早く、事が運んだのです。村に向かったのはカモシカとその友人、フクロウのおじいさんとその息子、そして通りがかりのヒマな山羊でした。
ポッシュとハルは村の雪かきをして彼らの帰りを待っていました。待っている間中、ふたりはずっとカモシカと伯父さん伯母さんのことを考えていました。特にハルは、一秒たりとも、ほかのことなんて考えませんでした。そのせいで、時折シャベルですくった雪をあさっての方向へ投げ飛ばし、何度かポッシュに注意されました。
しかしポッシュの方も、しょっちゅう作業の手を止めては、カモシカ達が超えていった山の方をながめるのでした。
「そんなにじっと見つめていなくても、みんなちゃんと帰って来るわ」
そんなポッシュに、シルタは笑顔で言いました。
そして、日も傾き始めたころ、ついにその時はやってきました。
ポッシュとハルは、村の門の前で彼らの到着を待っていました。シルタは寒いから家の中にいるようにふたりに言いましたが、どちらも言う事を聞きませんでした。ふたりとも家の中にいると、なんだかむずむずしてしまい、気持ちが落ち着かないのです。
ふたりが門の前で座っていると、となりにいた門番さんがふと、遠くを指差して言いました。
「おい、明かりが見えるぞ。帰ってきたんだ」
みんな、明かりの方を見ました。だいだい色のぼんやりとした明かりが、ゆらゆらとゆれながら、こちらに近づいてきます。
村の中からも、彼らの姿を見ようと住人達が何にんかが出てきました。
門の前の一同は、カモシカたちの姿を確認すると、いっせいに拍手をしました。うす暗い冬の空に、村びとたちのあたたかい拍手の音が響き渡りました。
そして、ハルはついに伯父さんと伯母さんの姿をふたつのまるい目にとらえたました。ふたりはカモシカの背中の上で泣いていました。しかし、同時に笑ってもいました。
ハルは、全速力でふたりのもとまで走り寄りました。ふたりもまた、カモシカの背中から飛び降りて、ハルに駆け寄っていきました。その間も、村びとたちの拍手は鳴り止みませんでした。
ポッシュは、カモシカの方を見ました。
カモシカは少しもつかれた様子を見せずに微笑みました。
「みんな、連れてきたんだね」
ポッシュはカモシカの友人と、フクロウたちの背中に乗っているネコらを見て言いました。しかし、カモシカは首をふって言いました。
「いいや。全員はついてこなかったんだ。どうしても動きたくないという一家がいてね」
「なあに、何か困ったことがありゃあ、わしが力になってやるよ。どうせ空を飛んでいけばそう時間はかからんさ。同じ年寄りどうし、助け合わなくちゃあな」
そう言ったのはフクロウのおじいさんでした。
「どちらにしろ、あいつらは孤独じゃあない。しかし、もっと早く気づいてやるべきだったわい」
おじいさんはそう言うとかるくあいさつをして、飛び去っていきました。おじいさんの息子のフクロウも、それに続いて飛んで行きました。
「ぼく、伯父さんと伯母さんに謝ってくるよ」
ポッシュはカモシカに言いました。
「ああ、そうするといい。きっと許してくれる」
カモシカはそう言ってまた微笑みました。ポッシュは、彼が伯父さんと伯母さんに何か言ったのだと直感しました。しかし、何も言いませんでした。
カモシカは、どこか満足そうな顔で、村のみんなをながめていました。
その夜の村は、いつにもなく温かでした。外に雪が積もっていることなんて、誰もが忘れていました。