シルタの村とカモシカ
村を抜け出したポッシュとハルは、朝日に包まれた森の中を歩いていました。
ハルは相変わらずおしゃべりでした。彼が村にいたときは、こんな風にお話する相手もいなかったのでしょう。彼は息継ぎをするのも忘れて、ひたすらポッシュに話しかけていました。
一方ポッシュは、小鳥のさえずりや風に揺れる木々の音を聞きながら、自分のペースで旅をするのが好きでしたし、今までだって、そうしてきました。それなのに、こんな風に自分の調子を狂わされては、とてもいい気分で歩けません。彼はだんだんいらいらしてきました。
「なあ、きみを一緒に連れて行くと約束してしまったのは僕だ。だから、僕にだって責任がある。それはわかってる。だけどね、ぼくはこの選択が正しかったのか、足を進めれば進めるほどわからなくなってきたよ。今更こんなことを言うのもおかしいけど...... きみ、もしかしたらあの家に戻ったほうがいいかもしれないぞ」
ポッシュはそう言うと自分のかばんからクズノハを取り出してかじり始めました。
「そんな! 帰れるわけないじゃないか! 今度こそ殺されちゃうよ」
ハルはびくびくしながらどなりました。
その言葉を聞いたポッシュは、ますます機嫌を悪くしました。
実を言うと、ハルは伯父さんと伯母さんの本当の気持ちを知りません。あの手紙を書いたのも、サネカズラの実をポストに入れたのも、すべてポッシュがたったひとりでやったことでした。あの時の彼は、こうするのが最善だと考えたのです。しかし、その考えが今頃になって揺らぎ始めたのです。
「だったら、少しは静かにしていてくれよ。きみは、少ししゃべりすぎだ」
「しょうがないだろ! 喋る相手がいないことほど惨めなことなんてないんだぞ!」
クズノハをむしゃむしゃやりながら言うポッシュに、ハルは言いました。ポッシュは一層クズノハをむしゃむしゃやるのに専念しました。
その後もふたりは歩き続けました。ハルの口数の多さは相変わらずでしたが、ポッシュはクズノハを食べたり、空を飛ぶ鳥なんかを目で追ったりして、なんとかそれに耐え、歩き続けました。途中、ハルが足が痛いだの疲れただのぐちを言いましたが、それでもポッシュは歩き続けました。
そうやって何キロも歩くうちに、ふたりは森を抜けて高い丘の上に出ました。見晴らしのいい丘の上を歩いていると、突然ハルが声を上げました。
「おい! あそこにあるのはひょっとして村じゃないか?」
ポッシュは彼の指差す方向を見ました。丘の下に、確かに村が見えます。
「ひょっとしなくても、あれは村だ」
「おまえ、あんなに大きい村に気がつかなかったのか? お空ばかり見上げてるのは良くないぞ」
ハルはポッシュにそう言うと、突然元気を取り戻したように全速力で丘を駆け下りていきました。途中で派手に転びましたが、それでもすぐに起き上がって走りました。
ポッシュも慌ててハルの後を追いかけました。
丘の下にはにぎやかそうな村がありました。たくさんのひとの笑い声や音楽が響き渡り、おまけに美味しそうなにおいもしています。
しかし、すぐにその村の中へは入れませんでした。この村は立派な村でしたから、大きな門があったのです。門の前には、ポッシュやハルよりずっと大きな体をしたウサギの門番さんがいました。ふたりが門の前まで歩いていくと、門番さんは腕組をして小さなふたりを見下ろしました。
「なんだね君たち。見かけない顔だな」
門番さんは気難しい顔をして言いました。真っ白な体にくすんだ緑色のスカーフを巻きつけていて、少し歳をとっています。
「おれたち、ずっと遠くから来たんだ。だけど手ぶらで来ちゃったもんだから、ここの村に寄りたいんだ」
「ぼくは手ぶらで来てないぞ」
ハルの言葉にポッシュは反論しました。しかしハルは短い両手をこすり合わせて入れてもらえるようにお願いします。
「まあ良いだろう。丁度今日は村の祭だ。わしは怪しいものが入り込まんように見張っとっただけだ」
「お祭り! じゃあ、中に入れてくれるんですね」
ハルは目を輝かせました。
「いいぞ、入りたまえ」
門番さんは少し微笑んでそう言うと、重たい扉をひとりでゆっくりと開きました。
どっしりとした音と共に、門からふ溢れ出た村の空気がすっぽりとふたりを包み込みました。ハルはそれがよほど嬉しかったのか、しばらくの間顔をにやつかせていました。その一方で、ポッシュの方はあることに気がつきました。
てっきり彼は、この村にはウサギしかいないのだと思っていました。しかしよく見てみるとどうやらそうではないのです。
「あれは猫じゃないか」
ウサギたちに混ざってネコの姿が見えるのです。たいてい、ネコとウサギは同じ村には住みません。習慣や食べ物に違いがあるからです。ポッシュが前いた村もウサギたちだけの村でした。
「ここじゃウサギもネコも同じ村に住んでるのかな」
ポッシュはそうハルに話しかけましたが、返事は返ってこなかったので彼の耳に聞こえていたかどうかはわかりません。
ふたりは村の奥へと足を進めました。奥へと進めば進むほどお祭りの賑やかさは増していきます。新鮮な魚、つやつやと輝く木の実、大きなかぼちゃ......
「あらあんたたち、見かけない顔ねえ」
歩いている途中で、ふたりはこの村長のネコに出会いました。焦げ茶の毛並みをしたおばさんネコで、首には赤いリボンを巻いています。ポッシュやハルよりも少し太っていました。
「あたしは村長なの。村のひとと、よく来るひとの顔は全部覚えてるのよ」
彼女はまたそう言って得意げな顔をしました。
「おれたち、初めてここに来たんだ。今日はお祭りだって聞いたけど、なんのお祭り? クリスマスにはまだ少し早い気がするけど」
ハルは彼女に聞きました。ポッシュは何も言わずに黙っていました。
「今日は冬を迎えるためのお祭りよ。みんなで食べ物を持ち寄ったり、踊ったり、クリスマスの計画を立てたりするわ。今年は早く雪が降るらしいから、みんな張り切っているの。......ところであんたたち、旅をしているの?」
彼女はそう言うとポッシュの背負っている荷物を指さしました。ポッシュは手短に「そうだよ」と返事しました。
「だったら、しばらくはこの村にいたほうがいいと思うわ。さっきも言った通り、今年は早く雪が降るらしいもの。雪の中を旅するのは危険よ。もしよければうちに来るといいわ。今夜は雨も降ることだし」
そう言うと彼女はふたりの背中をぐいぐいと押していきました。その途中で、思い出したかのようにふたりに自己紹介しました。
「ああ、言い忘れたけどね、あたしはシルタっていうのよ」
ふたりもそれに続いて自己紹介しました。ポッシュは自分の名前を言うのを少しためらいましたが、彼の名を聞いてもシルタはにこにこしているだけでした。
こうして、さんにんはシルタの家へやてきました。杉の木で作られた小さな小屋でしたが、とても温かみのあるすてきな家でした。中ではぱちぱちと暖炉が燃えています。
「今日は一段と冷えるわね。なにか温かいものでも作るわ」
シルタはそう言って暖炉に薪を投げ込みました。しかしポッシュは荷物を床に下ろすと言いました。
「それはありがとうございます。でもぼく、ちょっと外に出てきます」
「どこ行くんだよ」
暖炉のそばで丸くなりかけていたハルが聞きましたが、ポッシュは「すぐ戻ってくる」と答えただけでした。
ポッシュはハルもついてくるのではないかと少し心配しましたが、彼はついてきませんでした。
ポッシュはにぎやかな村の通りを抜け、ひとけの少ない川のほとりにやってきました。彼は手頃な石の上に腰を下ろすと、小さくため息をつきました。
今、彼の頭の中は混乱していました。いろいろなことが立て続けに起こるので、冷静に考え事をすることができなかったのです。その時の感情で物事を決めてしまったこと、伯父さんと伯母さんにウソをついてしまったこと、ハルに本当のことを秘密にしていること、自分はこれからどうするのかということ...... それらが彼の頭の中でぐるぐると回っていました。
ポッシュはまた段々といらいらしてきて、近くにあった小石を川へと投げ込みました。しかし本当は、自分に石ころをぶつけたいくらいでした。
そうして彼が三つ目の小石を投げ込んだとき、近くで誰かの声がしました。
「おいよせよ。川の水がにごるじゃないか!」
そこにいたのは大きなカモシカでした。
カモシカはこの寒い中、川に水を飲みに来ていたのです。彼は目を丸くしてポッシュに言いました。
「君、誰だい? どうやって入ったんだい? この村のやつじゃなさそうだけど」
「ぼくはポッシュ。そりゃもちろん、村の門から入ったよ」
ポッシュは言いました。するとカモシカはさらにびっくりしたようでした。
「へえ、何するためにこんなところにいるんだい? 何もないだろう」
「どうゆうことだよ。この村のお祭りはそんなによそ者に厳しいのかい?」
「お祭り? ああ、そうなのか。なるほど」
カモシカはぼそっとつぶやくと、下を向いてしまいました。ポッシュはそんな彼の姿を見て言いました。なるべく刺激しないように、ゆっくりと優しい口調で。
「そう言うきみは、ここの住民じゃないのかい? まるで今日がお祭りだって知らなかったみたいな言い方をするじゃないか」
「ああ、確かにぼくはここの住民のひとりさ。ただ、誰ともつるまないし、自由に生きている。だから今日がお祭りだなんてことは知らないのさ」
「......寂しくないかい?」
「好きでそうしてるのさ。そういうカモシカだよ」
カモシカはそうは言ったものの、どこか寂しそうでした。ポッシュは自分が昔いた村のことを思い出しかけましたが、すぐに頭の奥に引っ込めました。
そしてそれと同時に、このカモシカになら、自分の悩みも打ち明けられるのではと考えました。
「じゃあきみは、ぼくが今何を言っても、誰かに言ってしまうことはないんだね?」
「まあね。話したいと思うひとがいなければ」
カモシカは興味深そうな顔をして、ポッシュの方へ歩み寄りました。どうやらポッシュの話を聴く気は満々のようでした。
「きみは、その時の感情で物事を判断してしまうことがあるかい?」
「突然何を言うんだい」
「わかりやすく言うと、『良いウソ』があると思うかい?」
カモシカは、ポッシュの問いかけに対して真剣に考えました。こんな風に誰かとたくさん話をするのは久しぶりのことでした。
彼はしばらくの間考えていましたが、やがてこう言いました。
「さあ、どうだろうね。完ぺきな答えは言えないけど、ぼくはこう思うよ。それは、ウソをついた本人には決められない。それがついて良かったウソなのか、そうじゃないのか判断するのは、ウソをつかれた相手の方だからね」
「それは、相手に聞いてみないとわからないってことかい? それじゃあウソの意味がなくなるじゃないか」
ポッシュは必死になるあまり、前のめりになっていました。
「まあ、あくまでぼくの個人的な意見だから、あまり気にしないでくれよ」
カモシカは落ち着いた低い声でそう付け加えると、地面に腰を下ろして枯れかけた草をもしゃもしゃと食べだしました。彼は草を食べながら続けました。
「もしかして、君は誰かにウソでもついたのかい?」
「まあ、そんなところ」
ポッシュはハルの伯父さんと伯母さんのことと、ふたりの本当の気持ちをハルに言っていないことを、カモシカに話しました。自分の個人的な考えや言い訳は一切言わずに、ただ起きたことだけを話したのです。
ポッシュの言葉を、一言も聞き逃すまいとするかのように、カモシカは冷静に、そして真面目に耳を傾けてくれました。
しかし、話をすべて聞き終わったあとで、カモシカは少し困ったような顔をしました。
「そうだなあ。もし、そのウソで辛い思いをするひとがひとりもいなくて、みんなが笑顔になるのなら、それは良いウソなんじゃないかな。 だけど、君のそれはどうだろうね。誰か、苦しんでいるひとがいるんじゃないのかい? 例えば、君自身とか」
「ぼくが?」
「ウソを言った本人が、どんな気持ちでいるかってことは、とても重要なことだろ? まあ例えばの話だけどね」
カモシカはそう言いながら、まだもさもさと草を食べています。きっと、もう彼から話す気はないのでしょう。
ポッシュはカモシカにお礼を言うと、その場を後にしました。シルタの家へ帰ることにしたのです。
乱暴な言葉が使えない分、童話って難しいですね......
この物語に出てくる動物たちが四足歩行なのか二足歩行なのか、自分で書いていてよくわからなくなります。




