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「やったか?」
「やってません」
ゆっくり強く言い返すと、クライヴ殿下は「だろうな」と大きく息を吐いた。執務室の大きな机の自席に着いて、椅子の背中にもたれる姿は実に大儀そうだと思う。
その机の前に立たされて、私は縄できつく縛られている。
すぐそばには帯刀した兵が、縄の端を持って控える。不用意に動けば、この場で切り伏せると言うことだろう。
城の中で人が殺され、もっとも強く疑われたのは私だった。
疑われる理由は、なくはない。
死んだのはワイルダー・バーの遺児として、それを主張していた女のひとり。私は彼女たちのすべてを疑って、それを隠してもいなかった。
そして何より、殺害に使われたのは私が自室に隠し持っていた短剣だった。
殿下が問う。
「あの短剣は」
「護身用に」
「隠してあったそうだな」
「飾るようなものではないかと」
「自分の立場は理解しているか?」
「恐らくは」
理解している。もう終わりだろうと言うことは。解らないのは、目の前の男だ。
殿下はさっき、「だろうな」と言った。そして現状を苦慮するように、息を吐いた。
理解できなかった。それではまるで、私を信じているかのようだ。
疑惑だけでも致命的だ。裏切り者を血縁に持つこの身には。信じるのは、馬鹿だと思う。
殿下は椅子の背から体を起こすと、机の上に両手の指を絡ませて組んだ。さらりと揺れる赤髪の下から、琥珀の瞳がこちらを見つめる。
「かなり、拙いぞ」
「仕方のないことです」
私自身、疑われて当然だった。自分を含め城内の誰もが、そう考えているはずだ。
一年以上前、この城に入り込むために私は偽名を使った。裏切り者の姪が雇われるはずがなかったし、当時は秘密の役目を果たせば逃げおおせるつもりでいた。
現在使っているフェイスと言う名は、しかし紛れもない本名だ。偽名は、無駄だった。すでにクレメンス叔父が殿下のそばに仕えていたので、何げなく即座に暴露された。
あの時点で、私は一度終わっている。
そのはずだったが、追いつめられるあまりに私は泣いた。泣いて、一族の罪を償うために身分を偽っても仕えたかったと訴えた。
訴えたら、まあいいか、と雇われた。
よくはない。解りやすい怪しさそのままに、私は殿下の命を狙っていた。それは今もだ。
叔父は仲間を手にかけ、国を裏切ったコーネリアス・ウォルフ。本人は本人で偽名を使って殿下に近づく不誠実さに、とどめのように今回の事件だ。
「叔父はどうなるでしょうか」
「自ら謹慎、と言う事になっている」
生きている方の叔父のことだ。姿が見えないから、謹慎と言うならそうなのだろう。しかし、自らと言うのが気になった。
私も叔父も周囲からはうとまれていたが、特に使用人は口をきくのも嫌がった。だから私は親しい知人を作ることができなかったし、叔父を担当する下女はよく変わった。
ほぼ城から出ずに生活する叔父が、城内の女たちからことごとく嫌われるのは死の宣告にひとしい。が、それを一切気にしないのがあの人だ。まあ……元気ではいるだろう。
何だか不思議な気分だった。
すべてが自分のことではないような、なのにどこかほっとするような気持ちがした。
確かに、今回のことは知らない。私は女を殺してはいない。
けれども、そんなに違うだろうか。
誰へのものかは別にして、殺意は私の中にいつもあった。それはただ命じられただけの、望まぬものではあったけれど。
馬鹿だと思う。何も知らず信じるのは。
「……殿下も、あまり情け深くてらっしゃると足元をすくわれかねませんよ」
余計なことを言ったと、はっとしたのは目の前にある顔が変化したのを見てからだ。こちらに向けられた琥珀の瞳が、わずかにゆれて言葉の意味を問うている。
その視線から逃れるために、頭を伏せた。
「聞かれたことにはお答えしました。もう、よろしいですね」
「フェイス」
素早く礼を取り、執務室から強引に辞した。監視の兵をひきずるように部屋から逃げて、扉の音を背中で聞く。
それと同時にこぼれた涙は、どこまでも身勝手な私の心だ。