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どんな思いで言ったのか、やはり私には想像もできない。
「二年前の事は、いずれ明らかにして頂きます」
苦々しげな表情で、赤い髪をかき上げる。そして強い決意をにじませるように、琥珀の瞳が次兄殿下の顔を見つめた。
「ですが、今回の事は違います。罪は全て贖って頂くつもりです」
「毒を飲ませる位だから、きっと逃がすつもりはないのだろうね」
「ありません」
「全く……。あの時、死んでいてくれたら良かったのに」
クリフォード殿下は薄紫の瞳を優しく向けて、弟へと笑いかけた。
その辛辣な皮肉は、しかし本人にはあまり響いていないらしい。たった今思い出したとでも言うように、質問で返す。
「そうでした。あの時の魔術師、あれも兄上の手の者ですか?」
クライヴ殿下が拷問によって死にかけた、あの夜の。
「あれは違う」
即座に答えて、薄紫の視線を私に向ける。
「魔術師を使って殺すなら、最初から彼女を引き込みはしなかった」
「殺しが目的ではなかったかも知れません」
「……そう? でも、無理はないね。ここは、いわくのある土地だから」
それがどう言う意味なのか、私にはよく解らない。
しかしクリフォード殿下の言葉を最後に、辺りには苦痛に耐えるような沈黙が落ちた。
小さな雷鳴のようだった。
はぜるようにパリパリと、音を立てて引き裂いて行く。引き裂かれたのは空間だ。それはサロンの中に現れて、ここではない場所へつながる口を開いていた。
何とかそれを理解したのは、裂け目の向こうに豪奢な部屋が広がっていたからだ。それは王都の、リシェイドの王城にあるはずの広間だった。
リシェイドの王都と、このアイディームは早馬で半月。
その遠く離れた物理的な距離を、たやすく無視して越えるのは魔法でしかあり得ない。
「あぁ、なるほど」
これでようやく解ったと、クリフォード殿下が愉快げに笑う。
「グレンデル家は、魔術師を隠していたのか」
「いいえ、クリフォードさま」
サイモンは、金色の頭をふるふると振った。
「ランサはたまたま、すこし魔法が使えるだけです」
空間を引き裂き、離れた場所と場所をつなぐのはランサ・ディヴェルソの能力だった。
少年の言い分は、少なくとも嘘ではないだろう。しかし、真実とも思えない。
魔術師は我がリシェイドには存在しないはずだったが、魔術師ではない者は魔法を使えないはずでもあった。
クリフォード殿下は、弟を見上げる。
「クライヴは知っていた?」
「軍学校の頃、偶然に」
立ち上がれない兄君の横で、クライヴ殿下は立位の礼を取ったままに答えた。
裂け目のこちら側にいる者で、床にひざまずいていないのは二人の殿下と、サイモン・グレンデル。そして獅子の四人だけだ。
美しい下僕が片膝をついたそのそばで、ばっくりと口を開いた向こう側。
そこにおられるのは王だった。
守っているのは近衛だろうか。鎧に身を包んだ男たちが数人、恐る恐ると言う様子で裂け目を越えてこちらに渡った。
ラヴァンデュラの花に似て、薄紫の瞳がやわらかに笑む。
「父上自らお出ましとは。光栄な事です」
「……連れて行け」
王は答えず、近衛に命じて立ち去った。
兵がクリフォード殿下と側近たちを拘束し、王宮側へ連れて行く。それを見送り、クライヴ殿下が獅子とクレメンス叔父を呼んだ。
「王宮へ行く。留守を頼んだ」
「お戻りはいつに?」
「さて、父上次第だな。妻子が気になるか? ヴィンセント」
「……いえ、まぁ」
「できるだけ早く戻る。今少し帰宅は待ってくれ。クレメンス。サイモン殿とあの二人も行くが、連れて戻る。客室はそのままに」
「承知致しました」
「そうだな、それと……」
そこで一度、言葉が途切れた。
カツコツと床を蹴る足音が近づいて、クライヴ殿下の靴先が私の目の前で止まった。
そして、告げる。
「フェイス・スタンリー。……お前は、覚悟を決めて待っていろ」