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納得できないと言うふうに、クレメンス叔父は目を伏せたまま言葉を継いだ。
「我が兄は、祖国に固い忠誠を誓っておりました。誇り高い軍人でもありました。その兄が、リシェイドを裏切る事は有り得ません」
「けれども、実際に裏切った。そうだろう? ハーディー」
クリフォード殿下が、薄紫の目を向けて問う。獅子はそれに、ろくに上げることもできなくなった左の肩を押さえて答えた。
「確かに、裏切りはありました。この傷を付けたのはコーネリアスです。ですが、裏切られたのは祖国ではなく私です」
そしてまた、裏切らせたのも自分だと。獅子は氷のような青い瞳を陰らせる。
「ウォルフ家は名家です。あれの父も、王の近くでお仕えする重臣でした。跡継ぎとしての重圧も、誇りもあったはず。それを私は、理解してはやれなかった」
何者かと内通し、獅子の牙と称された英傑ワイルダー・バーを殺害した。
私が聞いていたコーネリアス・ウォルフの罪は、そこまでだ。
――どうしよう。頭と胸の内側が、そんな思いでいっぱいになった。
それが本当にあったことだと、私は解っていなかった。ただ聞かされたままに言葉をなぞって頭に入れて、それだけで解ったような気になっていた。
肩を押さえた獅子の姿に、やっと。
叔父の罪は現実だ。
生きていた者の命を止めて、あとにはどうしようもない傷を残した。
そのことが少しだけ、解った気がする。
「アイディーム侵攻には、クライヴ様も参戦しておられたと聞きました」
クレメンス叔父が、二年前に話を戻す。
その話なら知っていた。クライヴ殿下は王族ではなく、軍人として加わっていたのだと。
「身分は秘してとの事ですが、獅子の牙、つまり兄たちまでは事実が知たされていたとか。ですから、機会はあった筈です」
しかし当時のクライヴ殿下に、危険が迫ることはなかった。
これは、少々不自然だ。
王族の死はそれだけで、国家の損失と言うべき不幸だ。コーネリアス叔父が祖国を裏切っていたのなら、その機会を見逃すだろうか。
「結果論では?」
「仰る通り、そうかも知れません」
次兄殿下の問いかけにあっさりとうなずき、叔父は伏せていた目を上げる。
「ですが、こう考える方がわたくしには納得し易いのです。兄は、祖国を裏切ってはいなかった。何故ならば、兄が通じていたのは貴方だったからです。クリフォード様」
内通したのが、王の息子だったとしたら?
立ち居振る舞いも気品にあふれ、怜悧であると評判の。王の二番目の息子がその相手でも、裏切りと呼ぶべきなのだろうか。
「クライヴ様と、クリフォード様。二年前の事件以後、わたくしに声を掛けたのは御二方だけです」
こちらの感情を抜きにすれば、当然だ。
誰もが恐れたはずだった。他国と通じたコーネリアス・ウォルフの弟を。血縁であると言う理由で、私と母がうとまれたように。
では、二人の殿下が恐れなかったのはなぜなのか。
「理由は二つに一つしかない様に思います。余程の物好きか、恐れる必要がないと知っていた。わたくしは、貴方は後者だと考えます」
冷たげな薄い緑の視線を受けて、クリフォード殿下は少しうつむいて息を吐く。そして赤い髪をさらりとゆらし、再び顔を上げた時にはそこに確信めいた笑みがあった。
「面白い仮説だった」
「そうですか」
残念ながら、事実ではないけれど。そんな意味を含んだ言葉に、叔父はすんなり引き下がる。決して認めはしないだろうと、予測していたのかも知れない。
「ウォルフ家の者は賢いが、素直過ぎるね」
追及を受けていたはずのクリフォード殿下はそう言って、複雑そうに笑って見せた。
ぼんやりと思う。叔父の仮説は、どこまで正しいのだろうかと。
証拠はないのだろう。あれば、こんなふうにのんびりしているはずがない。ならば本人が罪を認めない限り、すべては仮の話だ。
解っている。それでも。
もしも本当にクリフォード殿下に従っていたのなら。たったひとりで裏切り者の汚名を着せられ、叔父は見捨てられたことになる。
その汚名は、ウォルフ家に連なる者を縛りつける鎖だ。そのために私はコーネリアス叔父の死後、駒として利用されることになった。
その鎖が、ないのなら。
何のために私は、クライヴ殿下を殺そうとしていたのだろう。