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毒なんて、知らない。
しかし王宮からきた側近たちは、噛みつくように私をにらんだ。案じるように、守るように。自分たちも不安であると言うように、主であるクリフォード殿下を囲んでいる。
お茶を入れたのが信頼できる侍女なら、湯と茶葉を運んできた私が怪しい。
そう疑うのも、当然と言えば当然だ。ただでさえ、私はクライヴ殿下にこだわっていたのだし。
「スタンリー! 貴様……」
ぎりぎりと歯噛みする側近の男に、クライヴ殿下が落ち着けと言う。
「確か、パースだったな。悪いが、それは違う。お前達に防げたものでもない。ここへ運ぶ前に、厨房で湯を用意した者に入れさせた」
「それは……おかしい」
クリフォード殿下がゆるゆると首を振り、長椅子に腰かけたサイモンを見る。
ならばこの、年若いグレンデル家の後継も毒を飲んだはず。そう言いたげに。
けれども、そんな兆候はなかった。カップさえ持ち上げられないクリフォード殿下とは違い、四肢にもしびれは出ていないようだ。
そして妙なことに、あわててもいない。
茶に毒が入っていたと聞かされて、これは変だ。絶対に。本人よりも、下僕のランサが。
サイモンの茶を入れたのは、彼だった。このべたべたとした過剰な愛で主を包む美貌の下僕が、主人に毒を飲ませて平気な顔でいるはずがない。
それならば、彼が隙を見てクリフォード殿下に薬を盛ったと言う方が解る。
しかしグレンデル家の美しい下僕は、その疑惑を否定した。
「私は、殿下の器に触れてもおりません。入れたのは、我が主の器の中です」
ただし、入れたのは解毒するための薬だ。ランサは不服げにつけ加えた。それでも、毒を飲ませるのは不本意だったと。
その行為が意味するところを理解して、クリフォード殿下はくすくすと笑う。
「肝の据わった事をする。すっかり騙されてしまったよ」
「申しわけありません、クリフォードさま」
サイモンは愛らしい顔を困らせて、金の巻き毛をゆらしながらに謝った。
――確かに、疑おうとは思わない。
まさかこの少年が、毒入りの茶を平然と飲むとは。中和されてあったとは言え、目の前の人物に不審をいだかせないためだけに。
そして、それは恐らく成功だ。
今はもう、長椅子の上から動くこともできないだろう。パースは大きな男ではない。彼と侍女たちだけの力で、歩くことのできないクリフォード殿下を抱えて逃げるのは難しい。
だから彼らは何もできず、主人が丸裸にされるのをただ見ているしかなかった。
「子供だと思って、あなどったかな」
息苦しいのか、クリフォード殿下は自分の首元に手で触れる。
立襟の留め具を外そうとするが、上手く力が入らないらしい。横から侍女が手伝って、やっと深く息をつく。
「お楽に?」
「うん。ありがとう」
ほほ笑んで、礼を言う主に側近たちは少し泣きそうな顔をした。
「サイモン殿の助力を得られたと言う事は、自分に取ってこの上ない僥倖でした」
だから、もっと警戒するべきだった。天使のように愛らしい、この少年の鋭い爪に気づけるように。
慎重に、狡猾に。
自分を、殺そうとするのなら。
静かな声でそう言った、クライヴ殿下の琥珀の瞳が少し悲しく陰って見えた。
毒で自由を奪われながら、弟に兄が問う。
「いつ気が付いた?」
「クレメンスを取り込もうとなさった時に。本人から報告を受けました」
えっ、――と。思わず声を上げたのは、私ひとりではなかったはずだ。それは、あまりに。……叔父らしい。
叔父は、長椅子のそばに立っていた。
腰かけたクライヴ殿下の少し後ろで頭をたれて、冷たげな薄緑の目を伏せている。
「クリフォード様から内通者となるよう打診があったと、最初からお伝えしてありました。その上で、クライヴ様はわたくしを傍に置かれたのです」
「ならば、最初からだ」
「そうでしょうか」
緑の目を床に伏せたまま、淡々と言う。
けれどもその口調に反し、空気はピリピリと肌を刺した。恐らく今この瞬間を、叔父はずっと待っていたのだろう。そう感じた。
「わたくしには、何が最初なのか解らぬのです。クリフォード様、貴方は、わたくしの兄も内通者として使っておられたのでは?」