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小さな部屋ではあるが、私は城内に個室を与えられていた。
それは過去に名の通った貴族の血筋だからかも知れないし、コーネリアス・ウォルフの身内と言う汚名のせいかも知れなかった。
休憩半分で自室を整理していると、開け放したドアの向こうにクライヴ殿下が現れた。
「フェイス。お前、幾つになる?」
「もうすぐ十八になります、殿下」
ベッドを整えていた体勢のまま何とかそう答えるが、内心では完全に混乱していた。
殿下は「そうか」と赤い頭をうなずかせ、スタスタと部屋に入ってくると手にした封書をこちらによこした。
「歳が近いが、惚れるなよ」
誰が。誰に。何で。どうして。
それらの言葉をぐっと飲み込み、渡された手紙に目を落とす。
宛名にあるサイモン・グレンデル本人に心当たりはなかったが、家名なら解る。リシェイドの中でもかなり古く、高名な武人を多く輩出した貴族の名だ。
思わず恋するような人物なのかと、首をかしげているところに「出しておけ」との指示が重ねてあった。
手紙のことだろう。それはまったく構わない。構うのは、執務から抜け出してきたらしいクライヴ殿下が、そのきっちりとした服装で私のベッドに寝転んだことだ。
整えたばかりのシーツを乱し、自分がいつも使っている枕に燃えるような赤い髪が意外なほど柔らかに触れる。
その光景に、私は心臓が止まるかと思った。
思わず殿下を突き飛ばし、大急ぎで枕の下から取り出した物をエプロンドレスの中に隠した。はっと我に返ったのは、そのあとだ。
遠慮なく、いきおいに任せて突き飛ばしたからだと思う。殿下は決して小柄ではないのに、全身がベッドと壁の隙間にはさまるように落ちていた。
隙間からのろのろと腕や肩が現れて、赤い髪の下で伏せられた琥珀の瞳がゆっくりと上に向く。あの瞳が私の姿をとらえたら、何か恐ろしいことが起こりそうな気がする。
「手紙の手配をしてまいります!」
耐え切れず、なかば叫んで自分の部屋から逃げ出した。
預かった手紙を封じた蝋には、軍用ではなくクライヴ殿下のリングによって印章がなされていた。私信でありながら、しかし蝋の色が至急の用件を示している。
めずらしいと思いながらも騎兵を借り受け、本国に向けて早馬で手紙を送り出した。
その報告は自分でせず、軍通信部の兵に任せた。もう少しだけ、逃げたかったからだ。
城内をしばらく歩き、外に面した石の回廊に出る。そこから芝に下りると少し離れた右手には、身の丈よりも積み上げられた蔦のからんだ石垣があった。
知らなければ見逃してしまいそうな小さな木戸を石垣の中に見つけ出し、くぐり抜けるとまるで別世界のように美しい庭が視界いっぱいに広がっていた。
この城の庭はその大半が緑の草葉を茂らせているだけだが、これは唯一の例外だった。
王妃のための庭だそうだ。この場合の王妃とは、アイディームが小さいながらもまだ一つの国であった頃の話だろう。
さすがにかつての王妃の庭を荒らすことは忍びないのか、王妃のために石垣で守られた内側だけは願い出た地元の者によってよく手入れされていた。
そのこぼれんばかりの花の下、抱えた膝に額をのせる。そうしていると、じわじわと後悔めいたものが胸の中からあふれ出てくるのがよく解った。
どうして、あんなにあわててしまったのだろう。
今になって思えば、何とでもごまかせたのではないだろうか。殿下を突き飛ばすなんて失態にくらべれば、例え百個も嘘をついたとしてもまだその方がましだった。
エプロンドレスのポケットを探り、取り出した短剣を泣きたいような気持で見つめる。
殿下を傷つけるためではなく、自刃するために手に入れたものだ。いつも枕の下に隠してあって、床に入るたび指先で触れて自分の心を確かめていた。
殿下を殺してしまったあとは、喉を突いて私も死のう。
この城に入った一年以上も前からずっと、毎夜そうして誓い直した。毎夜誓えば誓うほど、ゆらいでしまう自分の心も嫌だった。
クライヴ殿下の暗殺は、時期になれば指示があると聞かされていた。何もないまま、今になるまで時が過ぎた。
もっと早く、指示があればよかったのに。
かわりに一族すべてが殺されたとしても、あの方に生きていて欲しいと私が願い始めてしまうより前に。