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 サロンの中は、日の光とお茶の香りで満たされている。

 テーブルには宝石のような茶菓や繊細なティーカップが並べられ、輝くような王侯貴族が席に着く姿はまるで優雅なティータイムだ。

 もう、訳が解らない。

 手渡された花束を抱きしめて、その場にへたり込んでつぶやいた。

「どうして」

「生きておられては不満か、スタンリー」

 不思議と、責めるような響きはなかった。

 言ったのは、獅子だと思う。声はすぐそばからした。でも私は、それを確かめることができなかった。確かめるべきとも思いつかず、その人からずっと目を離さなかった。

 だからほとんど呆然と、顔はそちらへ向けたままに返事をした。

「いいえ、まさか」

 不満など、あるはずがない。

 でも、これは本当に現実だろうか。

 変装なのだろうと思う。土にこそ汚れてはいないが、身に着けているのは質素な服だ。

 ざっくりとしたシャツに、すり切れたような色あせたズボン。最後に見た頃より伸びた赤い色の髪が、広い肩で跳ねている。

 そんな格好をする意味も、変装する理由も解らない。

 この城にはたくさんの庭がある。庭師なら、城内を歩いていても見とがめられることはないだろう。以前から王妃の庭を世話していたバッカスも一緒なら、なおのこと。

 しかしそれは、部外者が城の中に忍び込もうとする場合だ。この人が、忍び込む必要はない。そのはずだ。

 だって、そもそも城から出てもいない。クリフォード殿下から、そう聞いた。どこかに逃れたとは考えられない、と。

 いや、違う。そうじゃない。解らないのは、もっとずっと単純なことだ。

 死んだのだと。そう言われた。

 どうしてだろう。どうして、ここに。目の前に。二度と会えないはずの人が。

 解らない。

 テーブルを介して向かい合うのは、兄と弟である二人の殿下だ。

「元気そうだね」

 ラヴァンデュラの花に似た瞳を、優しくほほ笑ませながら問う。

「体はもういいのかな」

「ゆっくり療養させて頂いたので」

 失望も、おどろきも。見事に感情をおおい隠していた顔が、その一言にこわばった。

「……五か月」

「はい、兄上」

 こわばる笑みを浮かべたままで、クリフォード殿下が目を閉じる。薄く開いた唇からは、後悔のにじむようなため息がこぼれた。

 側近たちが動揺したのは、そのことに対してだったと思う。この人が、心の内を覗かせるのは初めてだ。次兄殿下のそばに控えた者たちは、たじろいで息を飲んだ。

 その人は、白絹であつらえた優雅な長衣に身を包んでいた。疲れたように長椅子の背へもたれ、白絹の体を預ける。それから閉ざした目蓋をゆっくり開いて、弟を見た。

「襲われて、死に掛けたのは事実か」

「事実です。今生きているのは、周囲の者が懸命にこの命を拾ってくれたおかげです」

「やはり、誰からも愛される者は得をする」

 そう言って向けられた薄紫の視線を追って、琥珀の瞳が私をとらえた。

 その瞬間。まるで太陽に焼かれるように、痛いほど胸が熱くなる。

 それはじわじわと全身に広がって、やがて涙になってあふれ出た。あわてて顔を隠してうつむくと、手にした花に涙の粒がぱたぱたと落ちた。

 ――ああ、本当に。クライヴ殿下だ。

 胸を焼かれて、やっとそう理解した。

「それで、どうする?」

 残ったお茶に手を伸ばしながら、クリフォード殿下が話をうながす。まだ表情に笑みを含む兄に対して、クレイヴ殿下の声は固い。

「五か月です、兄上。五か月もの間、療養と、備えるための時間を頂きました。打てるだけの手を、打ったつもりです」

 ほとんど同時のことだった。

 クライヴ殿下が静かに言うのと、その目の前でクリフォード殿下がカップを取り落すのは。陶器のぶつかる音がして、テーブルにこぼれたお茶が広がった。

 薄紫の目が、きょとんとしたように自分の手を見る。

「何をした?」

「茶の中に、毒を少し。ごく弱いものですが」

「そんな!」

 悲鳴のように叫んだのは、侍女のひとりだ。

 主人であるクリフォード殿下のために、お茶を入れたのは彼女だった。

 そして、その茶葉やお湯を運んだのは私だ。

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