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「リーナ」
あきれたように言う侍女を、主であるクリフォード殿下がたしなめる。
どう言うことなのか、解らない。叔父を探すと、意外なほどそばにいた。
「……叔父様、どう言うこと?」
「脱獄があって、捜索に兵が集中したのは事実です。結果として、警備も手薄になっていました。ですが」
叔父の話は、そこで途切れた。倒れそうになった私を、あわてて抱き止めたからだ。
サイモンが長椅子の上を端にずれ、隣に私を座らせた。天使のように愛らしい顔を曇らせて、そわそわと心配ばかりする。
「フェイス、よこにならなくて大丈夫? ぼくにもたれてもいいよ。へいき?」
「申し訳ありません。少し、めまいが」
頭の中が、ぐらぐらとゆれている。
警備が手薄になったところを、襲われたのなら。それは本当に私のせいだ。
「フェイス、良く聞きなさい。クリフォード様も仰ったでしょう。そう仕向けられたのだと。確か、脱獄を手引きした者がいたはず」
「……ええ、叔父様。兵が、牢を開けたの」
兵は、誰かに頼まれたのだと言っていた。
ティーカップを持ち上げながら、クリフォード殿下がうなずいた。
「魔術師の策略だろうね」
「城内を混乱させるために、利用されたのでしょう。あの日、雨だった事も都合が良かった。フェイス、気に病むのはお止めなさい」
すべて、魔術師の謀ったことだから。
叔父は腰かけた私のそばに立ち、少し重たく肩に触れてなぐさめた。でも、無理だ。何もかもが自分のせいで、悪い方へ転がって行く。そんな思いにとらわれた。
「罪深いね、我が弟は」
困ったようにほほ笑みながらつぶやいて、手にしたカップをテーブルに戻す。侍女の入れたお茶は、半分ほどに減っていた。
ふと、思う。あの魔術師は、誰の手の者だったのだろう。
魔術師は金で雇われる。ならば、雇った人間がいなければおかしい。
それがどうして、クリフォード殿下ではないと言い切れるのか。私を使って、実の弟を殺そうとしていた人なのに。
今まで考えなかったのが不思議なほどだ。疑惑は、あまりにもしっくり胸に落ちた。
「こちらでしたか」
サロンの扉は開かれていた。そこへ姿を見せたのは、領主名代であるヴィンセント・L・ハーディーだ。靴を鳴らして長椅子へ近づき、礼を取る。
クリフォード殿下は薄紫の目をゆっくり伏せて、それを受けた。そして少し陰りのあるほほ笑みで、問いかける。
「それで、弟にはいつ会える?」
会えるはずがないと知っている。それなのに。表面ばかりは弟の容体を案じるように、憂いを含んで獅子を見上げた。
何て、残酷なのだろう。
優しい顔で、喜ばしげに笑んで。クライヴ殿下はもう死んでいると、私に教えたのはほかでもないこの人だ。今さら心配などするはずも、その理由もない。
長椅子から立ち上がり、顔を伏せて礼を取る。これ以上は、見ていたくなかった。
「申し訳ありません。体調が思わしくないようです。失礼させていただいても?」
話の途中で口をはさんでしまったが、クリフォード殿下は特に気にしたふうもない。「よくお休み」と、下がるのを許した。
軽く膝をまげて見せ、それからサロンを出ようと扉へ向かう。すると、私の腕をつかんで止める者があった。獅子だ。
「……あの、何か?」
「あ、いや」
止められたのはこちらだが、戸惑っているのはあちらだった。冷たく青い瞳をゆらして、困ったように私と出口を見くらべている。
「何をなさっているんです」
その戸口に立って、あきれたように言ったのはバッカスだ。
王妃の庭を世話する庭師が、どうしてこんなところにいるのだろう。それに、助手か、弟子だろうか。ひとり、若い男を連れている。
その男は藁で編んだ鍔の広い帽子をかぶり、手に花束を持っていた。つかつかとサロンの中に入ってくると、それを私に押しつける。
「やる。好きだろう」
思わず、帽子に隠れた顔を見上げた。
しかし男はすぐに私から離れ、テーブルの方へ近づいた。長椅子に座るサイモンの隣へ、どっかりと大儀そうに腰かける。
そして帽子を取りながら、クリフォード殿下に挨拶をした。
「ご無沙汰しております、兄上」
帽子の下から現れたのは、赤い髪と琥珀の瞳。クライヴ殿下が、そこにいた。