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「スタンリー、大丈夫か」
その呼び声に、はっとする。
執務室の大きな机の向こうから、ヴィンセント・L・ハーディーが薄青い瞳で私を見ていた。
「……ええ」
返事はしたが、何も聞いていなかった。
ごまかせないと言うことは、いぶかるような領主名代の視線で解った。
「申し訳ありません。少し、ぼんやりしていたようです。何かご用でしたか?」
「いや。クリフォード殿下と面識があったのか、と。尋ねただけだ」
あまり、聞きたくない名前だ。
その人と一緒に、叔父を探しに庭へ出たのは少し前のことだった。
クライヴ殿下の話を聞かされ、叔父の秘密を知ってしまった。秘密があるとは、思いもしなかった。それも、あんな重大な。
あとのことは、よく覚えていない。ここにいると言うことは、自分の足で歩いて戻ってきたのだろうと思う。
少し考え、領主名代の質問に答える。
「面識と言うべきかどうか……。二年ほど前になります。叔父の事件があったあと、身内の者は王の御前で審問を受けたのです」
実際にはその日の真夜中もう一度、祖父の家で会うことになった。内密に。
氷のような薄青い目を、獅子はしかし気づかわしげに少しゆらした。
「……私は、あれからリシェイドには一度も戻らぬままでいる。申し訳ない。貴方まで審問を受けたとは知らずにいた」
「叔父の罪です。獅子様が気に病まれることはありません」
あわてて首を振ると、その人は珍しく、困ったように薄く笑んだ。
「その呼び方は、改めてくれると有難い」
ふと、誘惑に駆られた。
あの真夜中の訪問を、この人に告白したらどうなるのだろう。
何か、力になってくれるだろうか。王に話して、救い出してくれるだろうか。
誘惑は、甘かった。
憐れんでくれるだけでも構わない。そんなあさましい考えが、胸の中でぐずぐずと熟れたようにふくらんだ。
しかし、私にはできない。とても無理だと。
そのことも、充分に知っていた。
あの訪問の目的を思うと、私たちには最初から二つにひとつの道しかなかった。
服従か、死か。
審問にかけられた時にはもうすでに、運命はほとんど決まっていたのだろう。
一族すべてを連座させ、残らず処刑しろと言う者もあった。だが、そうはならなかった。かわりにすべての者が官職を解かれ、長く王のそばで仕えた祖父は地位も権力も失った。
権勢と言う意味で手足をもがれたも同然の、この処罰を決めたのは王だ。
しかし、審問の場にはクリフォード殿下の姿もあった。
王の隣で、あの優しい顔にほほ笑みを浮かべて。それでも憂えるような表情で、王の耳に何ごとかをささやいた。
だから、あの人なのだと思う。私たちの命を助け、そして手足をもいだのは。ほかに道をなくしておいて、駒にした。
だがそのことに気づいたところで、何にもならない。暗殺計画を知ったあとで逆らえば、やはり命を失うしかなかった。権力者の陰謀とは、そう言うものだ。
だから私の服従は、自分と一族すべての者を盾に取られたその上にあった。
叔父も、そうなのだろうか。
夜、部屋を訪ねた。
「嘘をついてらしたのね」
扉を閉じると同時になじった私に、叔父はおどろいているようだ。薄緑の目をぽっかり大きく見開いて、こちらを見つめながらに意外そうに言った。
「わたくしに、嘘がつけると?」
「いいえ。だから、余計に許せないの」
解らない、と。
叔父は灰色の頭をかたむける。
この人に、嘘がつけるとは思えなかった。でも実際、だまされていた。ずっと。私も。
「フェイス、わたくしにも事情が……」
「あの時、叔父様が言ったのよ」
言葉をさえぎりながら、たまらず顔を伏せた。普通でいられる自信がない。あの時のことを、思い出すだけで泣きそうになるのに。
「もう大丈夫だと、脈も呼吸もしっかりしていると。よく頑張ったって、ほめてくれたわ。……叔父様」
そう言われて私はあの日、雨に濡れた叔父の肩にすがりついて泣いた。
信じたのは、叔父の言葉だ。脈も呼吸も、戻ったのを自分で確かめてはいない。
「クライヴ殿下は、いつ亡くなったの」




