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サイモン・グレンデルの屋敷にエスがいたのは、ほとんど偶然に近かった。
そもそも殿下が出した手紙は、サイモンからその下僕であるランサにエスの所在を確かめて欲しいと頼んだものだ。ランサとエスは、軍学校で親しかった。それだけの理由で。
しかし、エスはそこにいた。本人を連れて現れたサイモンに、実は殿下もおどろかされていたのかも知れない。
名前も同じ、出身も同じ。だがエスは、エステラ・フィルメと名のる女を知らなかった。
「母も祖父母も死んでるし、十三の頃から故郷には戻ってなかったもんで。多分、死んだとでも思われてたんだろうな」
故郷を離れ、消息の知れなくなった者ならばなりすますには都合がいい。
見舞いの手土産に持参した果物を剥き、しゃりしゃりとかじりながらエスはそう言う。
「軍学校にはどうして?」
ベッドの上に腰かけて問うと、藍色の目がすっと逃げた。薄暗く、あいまいに笑う。
「いや、ちょっと。強くなりたくて」
「ちょっと強くなりたくて、女の人が?」
それは無茶苦茶だと思う。思いはするが、実際そうしてしまったのだから仕方ない。
「よくばれませんでしたね」
「そりゃもう、必死だよ。スゲーがんばって隠したもん。ほんとつらかった。真冬の水風呂とか、死ぬかと思った」
食べかけの果物を片手に、エスは思い出すのも嫌と言うように重い息を吐いた。
父親をどう思っていたのか、聞いてみたかった。どうして、親子だと言うことを秘密にしたのかも。でも、できなかった。それは踏み込み過ぎた質問だと思った。
ただあとで、殿下とワイルダーの間にこんなことがあったと聞いた。
二人が実際会ったのは、二年前のアイディーム侵攻の時だそうだ。殿下はこれに、王族の身分を隠して従軍した。
そうしたら、殿下は軍学校の後輩にあまりに似た男を見つけた。それで、本人に確かめたらしい。お前、息子はいないか? と。この時はまだ、エスは男だと信じ切っていた。
だから当然、返事は、いない。本当にいないかと聞くと、娘ならいる、と返事があった。
会ったことはないが、娘は自分の星なのだと。まるで秘密の宝物を少しだけ見せてやると言う顔で、ワイルダーは明かしたそうだ。
会ったことがないのなら、娘と言うのが間違いかも知れない。一度、本人たちを会わせてみよう。これは、殿下の悪だくみだ。
しかしそれが敵わない内に、ワイルダーが死んだ。エスもまた、その死からほどなく卒業を待たず軍学校を去った。以降行方が知れなくて、それきりになったそうだ。
だから、もしかすると。殿下は最初から、考えていたのではないだろうか。
降ってわいたように現れたワイルダー・バーの遺児たちが、ずっと疑問だったエスの出自を明かすきっかけになるのではないかと。その、最後の機会だと。
行方知れずのエスを探した本当の目的は、それだったのかも知れない。
扉の外から、訪いの声があった。
「失礼、こちらにエスは居りますか?」
「どうぞ、おられますよ」
「何かご用ですか?」
外から開かれた扉に向かい、エスが言った。言葉が少し丁寧なのは、戸を開いたランサの横にサイモンがいるからだ。
「お医者さまが探していたよ」
「ああ、そっか」
診察の予定でもあったのだろうか。あの夜、魔術師につけられた傷はまだ治っていないはずだ。申し訳ないことをした。
「引き止めてしまいましたね」
「いや、忘れてた。もうほとんどいいし」
「ほんとう?」
心配からか、問うサイモンは泣きそうだ。
「もちろん、本当ですよ。見ますか?」
「エス! ぼっちゃまに妙なものを見せようとするな!」
「……ごめんね、ぼくのせいで」
え? ――と。おどろきのにじんだ声は、エスとランサの両方から聞こえた。
「エスはいやだって言ったのに、ぼくがきたいって言ったから。ごめんなさい。エスに家族ができるんじゃないかって、思ったんだ」
あの中に本物の遺児がいれば、エスの姉妹と言うことになる。サイモンまでもがここへきた理由は、それだったのか。
「ぼっちゃま! ですから、その様にお心を砕かれる事はないのです。捨て置けば良いのです。これは、一人で勝手に生きて参ります」
「うん、まあ。そんな感じですよ、オレ」
青い目いっぱいに涙をためて、何度もあやまる幼い主人。それを二人は、不器用になぐさめる。それがどことなくあたたかで、まるで仲のよい兄弟のようだと私には思えた。