表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/36

- 014 -

 体の前面を大きく切られ、エスは後ろの床に倒れ込んだ。男は、流れるようになめらかな動作で剣の切っ先をそちらに向ける。

 エスが真っ直ぐ突き出した剣は、黒衣のフードを破いている。そのため男は、真新しい傷のついた顔をさらすことになった。

 魔術師は、倒れたままのエスを見つめた。とどめをさそうか、考えるように。

 息を飲むのは主人か、下僕か。

 サイモンとランサは、立ち尽くしていた。倒れて動かないエスを、助けることもできず。

 もう、嫌だ。

 これ以上は、嫌。

 私は、考える前に手にしたランタンを投げつけていた。それは男とエスの間にガツリと落ちて、砕けたガラスと中の油をまき散らす。火が燃え広がるのは、あっと言う間だ。

 魔術師は黒衣の外套を腕で払って、後ろへ下がりながらに火を避ける。そこにつかつか近づくと、私は男の頬を思いっ切り叩いた。

「もう、いいでしょう!」

 我ながら、情けなく震えた声だった。

 魔術師の男が、黄褐色の瞳を私に向ける。手には剣。その刃で軽く首をなでるだけで、簡単に命を奪えるはずだ。

 でも、どうでもよかった。そんなことは。

 すでに一番大切な人を奪われた。これ以上、何を失うのも許せない。

 けれども。男は、音もなく私から離れた。

 かわりに短剣をひらめかせ、女が足早に近づいてくる。黒衣の魔術師はそれをダンスのようにくるりとつかまえ、外套の中に一緒に包んで消えてしまった。

 まばたきの間に、煙のように。

 それから、数秒かかった。はっと気づいて、殿下に駆けよる。

「殿下! クライヴ殿下!」

 血が流れている。見て解るだけで何か所も、体中に切られた傷がある。椅子の上で頭と肩だけがびっしょりとぬれ、触れた頬はぞっとするほど冷えていた。

 息は、ない。

 目の前が暗くなり、その場にへたり込む。頭の中がぐらぐらと揺れ、吐き気がした。訳が解らない。体ではないところが引き裂かれるように痛いのに、涙は出ない。

 はっはっ、と呼吸が勝手に早くなり、体中がしびれるように苦しかった。

「拷問を受けたな」

 悲しみではなく、息苦しさで生理的な涙のにじんだ目を上げる。そこにいるのは、エスだった。切られ、少し血のついた服の上からランサの上着を着せられていた。

「……エス……?」

 大丈夫なのかと問うより先に、抜いた剣で殿下と椅子を縛りつけた布を切る。

「フェイス、息を整えろ。ランサ、手伝え」

「どうする」

 けわしい顔で問うランサに、足元を示す。床には、ぬれた荒布が落ちていた。

「水で拷問されたらしい。……大きな傷がないなら、間に合うかも」

 最後は、消えるような声だった。

 殿下を急いで床に下ろして、その横たえた体を前にエスが問う。

「できるな? フェイス」

「やります」

 うなずいて、私は教えられるまま殿下の唇に息を吹き込んだ。

 あとで知ったが、荒布を使った水の拷問があるそうだ。顔をすっぽりと荒布で隠し、上からばしゃばしゃと水をかける。

 水を含むと布はほとんど空気を通さないが、目が粗い荒布は少しだけ呼吸ができた。すぐには死なないが、空気が足りずにずっと苦しい。これは、拷問に都合がいいらしい。

 本当に殺されるのではないかと恐怖して、あっさりと秘密を話してしまう者もいる。

 それに、ろくに空気が吸えないと人は頭が回らない。弱ったところに甘い言葉をささやいて、だましたりもすると言う。

 困るのは加減を間違えて、意図せず殺してしまったりもすることだ。殿下も、そうだったのかも知れない。妙に頑固なところのある人だから、きっと相手は焦れただろう。

 私は祈るような気持ちで、唇に触れた。

 エスが手の平を下に両手を重ね、殿下の胸を規則的に強く押す。何度か押して手を止めた間に、口から肺腑へ空気を送り込めと教えられていた。

 これを続けている途中、ランサがエスを止めて役目を変わった。魔術師に切りつけられた部分から、新しい血がにじみ出していたからだ。浅い傷ではないのかも知れない。

 心配が浮かんだのは、ランサと交代してからだった。余裕がなかった。入れかわり休むエスからは、汗がぽたぽたとしたたった。傷に構わず、必死になってくれたのだと思った。

 私も、ただ必死に息を送り続けた。できるなら一緒に、自分の命もわけたいと願って。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=547031077&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ