優しいが故に
―第8話―
私は今、一ノ江くんの家にいる。繰り返す。私は今、一ノ江くんの家にいる。繰り返す。私は…
「早く入りなよ」
「はっ…はいっ!!」
本当に、驚きの急展開とはまさにこの事である。告白から数日で、デートにプレゼント、そして自宅にお邪魔する事になるとは…
「乾燥機は自由に使っていいから」
「うん…ありがとう」
「ちょっと待ってね…姉が使ってた服があったと思うから…」
一ノ江くんはそう言いながら、押し入れの中を探る。
「あの…一ノ江くん…」
「なんだい?」
「本当に迷惑じゃない?お家の人とかにも…」
「大丈夫だよ。今家に誰も居ないし」
「!!」
誰も居ない?という事は…今この家には私と一ノ江くんの二人きりではないか!!
「あ…えっと…」
オロオロする私に、彼はお決まりの淡白な口調で言う。
「あった。ちょっと大きいかもしれないけど、制服が乾くまでこれ着といて」
「…」
「…大丈夫だよ。別に覗いたりとかしないから」
「う…うん」
「奥の洗面所使っていいよ」
私は、言われた通り洗面所へ行き、濡れた服を乾燥機に入れ、一ノ江くんから渡された服を着る。
その服は確かに、私には少し大きい。
「ねえ、一ノ江くんって何人家族なの?」
洗面所から何となしに質問する。
「四人。両親と、歳の離れた姉が一人。姉は今海外で仕事していて、両親も共働きだから家には僕しか居ない事が多いね」
「そうなんだ…」
着替えを終え、部屋に行くと、一ノ江くんが二段ベッドにもたれかかっていた。
「昔は姉弟で使ってたんだけどね…」
そう言う一ノ江くんの横顔は、どこか寂しそうだった。
私は、自然と彼の隣に座る。
分かっている。これもあくまで、単なる親切心で家に上がらせてもらっているという事は…
でも、彼の隣に居たいと、心からそう思った。
「…今朝はごめんね」
彼が口を開く。
「酷い事を言うつもりはなかったんだけど…君の事を深く傷付けてしまったみたいだね」
とんでもない。傷付けたのは私の方だと言おうとすると…
「君が…泣いてるのを見て、本当にすまない事をしたと思ったよ」
どうやら、さっき泣いていた事に気付いているようである。声も上げずに、雨で涙も分かりにくかった筈なのに、彼は気付いていた。
私も、彼に思った事を話す。
「明彦くんから聞いたよ。一ノ江くんに何があったのか…」
「…やっぱり、明彦に何か言われたんだね」
私はコクッと頷く。
「一ノ江くんを諦めるように言われた。私達両方にとって良くないからって…」
「…」
「私は…一ノ江くんのそばに居たいって思ったから、明彦くんの忠告を無視した。そのせいであんな事に…」
「それは違うよ」
一ノ江くんは遮るように言う。
「僕は怖かったんだ…僕と関わる事で、君が不幸になってしまうんじゃないかって…」
「だから君を遠ざけるような事を言ったんだ。そのせいで、君をかえって傷付けてしまった」
「僕は、自分一人が全部抱えれば、誰も傷付かずに済むと思っていた。けど、それは間違いだったんだ…」
「僕は…あの時と何も変わってない。僕を好きになってくれた人を、また辛い目に遭わせてしまった…」
うつむきながら語る彼に、私が話しかける。
「そんな事ないよ!!一ノ江くんは悪くない。私のせいだってば!!」
「違うよ、僕が…」
「…」
数秒間の沈黙の後、一ノ江くんが語り出す。
「前にも聞いたけど…僕のどこが好きなの?」
「僕には…人に好かれる要素があるとは思えない」
「一体何で…僕なんかを…」
私が思うに、彼は優しすぎるんだ。優しいが故に全てを抱え込んで、優しいが故に傷付いて、優しいが故に…
「優しいところが好き」
私は彼を好きになった。
「僕は優しくなんかないよ」
「優しいよ。だって一ノ江くん、自分より他人を優先して、自分の事は後回しにしちゃうんだもの」
「…僕を嫌いにはなってくれないかい?」
「無理だよ。只でさえ好きな人に優しくされたら、絶対に嫌いになんかなれないよ」
その言葉を聞いて、一ノ江くんの顔が、ほんの少しだけ和んだ気がした。
恐らく彼は、いつも仕事で家に居ない両親にワガママを言う事もなく、ずっと溜め込んで来たのだろう。
その事が、彼をより無機質に、そして孤独にさせた原因だと言えよう。
私は、横から一ノ江くんを抱き締める。
「今はそばに居させて。それと、一ノ江くんは酷い人なんかじゃないよ。私と一緒で、少し不器用なだけ…」
雨の降る中を歩いてきたせいか、私達二人とも、身体が冷えきっていた。
「あと、辛い時はそう言っていいんだよ。でなきゃ疲れちゃうもん。約束だよ」
「…ありがとう」
私達は、冷えた身体が暖まるまで、身を寄せあった。
外では、今朝の強い風も、先ほどの豪雨もすっかり収まり、健やかな風が吹き、雲の切れ間から青空がのぞいていた。




